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これから心理学を学ぶ学生さんへ

 そろそろ大学の合格発表も出尽くして、大学で心理学を専攻することに決まった学生さんもいらっしゃるでしょう。僕は大学と大学院を合わせると10年間、心理学を研究してきました。公認心理師免許も取得しています。そんな僕から、どうしても学生のみなさんにお伝えしたいことがあります。

 先に残念なことをお伝えしますが、大学で心理学を研究しても人の心はわかりません。よく「心理学のテクニックで人を操る」みたいな本がありますが、あれは「こうするとこうなる傾向が多いですよ」ということを大げさに書いているだけです。本当に誰かを洗脳に近い形で操る方法は、ありますが、酷く手間と金がかかって個人が手軽にどうこうできるものではありません。また、ああいうテクニックの元になった論文を原著で読むと、驚くほど難解で高等で非常に精緻に論理だっており、テクニックはその論文に書かれているごくごく一部を切り取って単純にしたものに過ぎないということがよくわかります。
 せっかく大学生になられるのですから「先に大きな金額を提示して、後から適正な価格を見せると安く見えて購買意欲が高まるんだぜ!ヒャッハー!これを利用して営業しまくってやる!」という意識高い社会人になる前に、ぜひ原著を読んで「どういう意図で、どうやってそれを研究したのか」を勉強して欲しいと思います。
 なぜかと言うと、先ほどもお話した通り「人の心なんてわかりっこない」のです。じゃあなぜ心理学なんて分野が存在するんでしょうか。「前提として人の心はわからない」のに「わかろうとする」なんて、解答の選択肢に答えがないのに必死で計算しているアホじゃないかと思われるかも知れませんが、まさに、心理学の真髄はそこにあると思います。
 「わかろうとする」ことが重要なのです。わからないものをわかろうとするには、様々なアプローチの方法があります。それを科学的に(時に科学的でないと思われる心理学分野もありますが)分析していくことが心理学です。ある意味で「わからない事象をどうアプローチするかを考える学問」と言えるかもしれません。
 ここで大切なことはあくまで「科学的に」ということです。たとえば「なぜ人はイジメをするのか」という問いに「人とはそういう生物だから」と答えるのは一見、もっともらしい答えに見えるかも知れませんが、それは某ひろゆき氏が言う「それってあなたの感想ですよね?」と言われたらそれまでです。そうではなく、たとえば人間に近い猿のコミュニティを観察して「類人猿はイジメを行うことで群れのリーダーの生活の質を上げているようだ。だから人間もそういう本能があるのではないか」というような解答を持ち得たら、これは科学的ではないでしょうか。つまり、客観性があるかどうかという話です。
 しかし心という物体?現象?臓器?は、究極的に主体的なモノです。これをどう観察してどう分析してどう客観的に証明すれば良いのでしょうか。その方法はたくさんの偉人たちがたくさん残しています。
 心理学と一口に言っても、社会心理学、個人心理学、臨床心理学、認知心理学、行動心理学、実験心理学、などなどなどなど、たくさんの分野に分かれています。これらを学んでいると同じ事象に対して言っていることが違ったり、あるいは真反対のことを主張しているように見えたりしますが「心理を解き明かそう」としている態度は全ての分野において同じです。
 北海道から東京へ行くには飛行機、船、車、新幹線、様々な乗り物で、あるいは組み合わせていくことができます。徒歩という手段もあるでしょう。どう考えても飛行機が楽です。しかし空港に行くためにはバスや車、電車に乗る必要があり、さらに一番お金がかかります。自家用車で行くと少しは費用が浮くかも知れませんが、長時間の運転を強いられて苦痛です。徒歩で行くのは無謀かも知れませんが、旅先でたくさんの思い出が作られるかも知れません。一長一短です。心理の探求についてもほとんど同じことが言えます。アプローチが違うと長所や短所があり、そしてお互いに見てみるとおかしいことを考えている!と思うのですが、最終地点は一緒です。だから、心理学を学び始めたら最初はそのアプローチの方法がたくさんあって困惑するのですが、ひとつひとつ特長を理解していけば、多くの実を結べます。
 ですから、もしかすると既に高校生の内から「ユングの集合的無意識に関する著作を読んで感動した」とか「社会心理学を学んで効率的な人間関係を学びたい!」など、学びたい分野がある程度定まっている方もいらっしゃるかも知れませんが、僕としては少なくとも大学1年生の内は、様々な分野の様々な理論を薄く浅くで良いのでたくさん学んで欲しいなと思います。
 僕もその内のひとりでした。高校生の内にフロイトの『精神分析学入門』を読んで、父が厳しい人でしたから「きっと僕はエディプスコンプレックスがあるに違いない!」とフロイトの研究に没頭しようかと思っていましたが、たとえば児童心理学とか発達心理学なんかを学んでいく内に「憑き物がとれた」感覚を覚えたものでした。あのまま没頭していてもある程度の成果を残したとは思うのですが、きっと偏屈な人間になっていたでしょう。
 1~2年生の内は広く浅く心理学理論を学んで、3年生ごろに「これだ」と思う心理学の先人や理論を見つけ、それに沿って4年生の卒業論文に励めばよろしいかと思います。(同時に、1~2年生の内は特に英語も勉強して、3年生になるまでに英分の論文を読めるようになるとさらに良いです)
 もし卒業論文で心の葛藤が解決しないと思ったら、ぜひとも院へ進学することを勧めます。院では学部と比較にならないほど「実習」が多いです。
 たとえば僕がとりわけ専攻していたのは臨床心理学ですが、たくさんの施設や病院へ実習にでかけました。日常生活において精神疾患を患っている人と出会うことは、そう多くはないにせよ、あるにはあります。しかし「入院中の」=(社会に出ることには支障がある)精神疾患患者に会うことは医学生や看護学生でもない限りほぼあり得ません。学部生の内は本の中でしか出会うことのなかった彼ら彼女の実際に触れてみると「本と全然ちがうやんけ!」と思ったり「本当にこの人は精神疾患なのだろうか(そうは見えないほど普通の人にしか見えない)」とか「理解できなさ過ぎて本当に理解できない」体験など、自分がいる世界とのギャップに心の底から衝撃を受けます。実習を通して社会を見る目がガラリと変わります。
 また、院へ進学すると自分との戦いにもなります。あなたはなぜ心理学を志そうと思いましたか?先述したように高校生の内に特定の心理学に関する著作を読んだからとか、なにか学びたい目的があったからというのは別にしても、なにかしら「心理学という学問を学ぶことで心の葛藤を解決したい」という欲求があったからではないでしょうか?真理について考えるだけなら、別に哲学でも良かったわけです。真理の中でも心理について考えたかったのは、少なからずあなたの心に何かしらの葛藤があったからではありませんか?
 心の理論を学ぶ時には、必ずと言ってもいいほど「自分だったら……」と自己と比較して物事を考えてしまいます。考えてしまう、というよりはそれは必然でしょう。心は主体的なものですから、心を考えるスタート地点はいつだって自分の心なのです。大学と大学院の大きな違いは、より専門性を高めるという点の他に、論文を書くことが仕事であるというのが決定的に違います。学部でも卒業論文はありますが、院での論文はその比較にすらならないほど厳しく、むしろ院からが論文の本番と言ってもいいでしょう。院に在籍している期間=常に論文を考えていると言っても過言ではありません。そのため、学部生以上に心の理論に触れている時間が長く、それはつまり自分の心を眺めている時間にも匹敵します。正直に言うと、とてもつらいです。学部生の内は心理テストなんかやってその結果を友達と見せ合ってキャッキャしていましたが、院生になると心理テストの結果を真剣に考え込んでしまって「自分とは果たしてなんなのか」という哲学の領域まで足を突っ込んでしまいそうになります。
 そして、たどり着くのが「大学で人の心はわからなかったけど、大学院では自分の心の方がもっとわからなかった」という真理です。しかし何度も言うように「わかろうとする」のが心理学の真髄ですから、大学院で心理学を通した人間と言うのは「自分をわかろうとするのに積極的」です。人間として一回り大きくなる実感が湧きます。まぁ、湧いただけで実際に人間として成長したかどうかは別なんですけどね。

 しかし、心理学を専門的に学ぶと言うことが、社会生活にとって必ずしもプラスになるのかどうかと言われると、僕は僕自身の経験からなんとも言えない気分になってしまいます。
 僕は大学院の在籍中に、授業料をかせぐ目的で障害者施設の職員として働いていました。その施設は設立してから30年くらいの古い施設で、地方の中ではモデルケースになるほど権威がある所でもありました。しかし、障害者施設で働く人材というのはどちらかというと苦労人な訳です。いま、とてもマイルドに言ったことはわかっていただけたでしょうか。とにかく、人材が酷いものです。「知的障害者は訓練したら治る」「統合失調症は幻聴なんかに負けない強い心を持て」「うつ病なんて薬飲んでりゃその内なんとかなるだろ」みたいな、みたいな、考え方をしている人たちが職員として障害者に接していました。僕はたいへんびっくりいたしまして、いやいやいやいやいやいやいやいや、それは間違っておりますから、という話を何度も申し上げたのですが「理解してもらえない」んですよ。なぜかというと「この道30年これでやってきた私たちを大学でちょっと勉強してきた小僧になにがわかるんだ?」という「強烈な自尊心」が彼ら彼女らにはあるんです。それはあるだろう、否定はいたしません。むしろ尊敬します。しかし、心理学を(特に臨床心理学を)大学院レベルで勉強してきたのは僕だけだった訳で、明らかに彼ら彼女らが間違っている(というより古い時代の考え方)のだけはわかるんです。わかるんだけど「ペーペーのお前になにがわかるんだ?」と言われたら「ハイ、そうですね」と言うしかないじゃないですか。
 明らかに間違った方法論、明らかに逸脱した思考、明らかに古いアプローチの仕方。それらをグイっと押し付けられて、それで働かされて、指摘しようものならボコボコに叩かれて、思う訳です。「やっぱり自分の経験が浅いからかなぁ」「大学院での研究は机の上だけど、実践は違うのかなぁ」なんて、自分が悪いって思っちゃうんです。本当に本当に彼ら彼女らは古いやり方で現行の心理学に照らし合わせると酷い事やってるんだけど、自分が違うんじゃないかって、思っちゃうんです。
 そんなある日、ものすごく気分が良くなってですね、こう思いました。「あれ?なんか、人の心というやつが、理解るぞ!?」と。急に相手がなにを考えてどうしようかと思っていることが手に取るようにわかってきたんです。だから物事を深く考えることがなくなって、調子が良くなって、残業しまくって、一日2時間しか寝なくっても平気で、バリバリ働いたんです。
 それが二か月か三カ月くらい続いたと思ったんですが、今度は急に調子が酷く悪くなって、全然眠れなくなって、寝ないとツラくて、朝も起きれなくて遅刻しがちになって、朝起きる度に「よーし、今日は一日の内のいつかで死のう」と快活に思うようになったんですね。
 その日、寝不足で会社に30分遅刻したんですが、偉い人から「お前は責任感ってものがないのか!大学院だかなんだか行っているかも知れねぇけど、それを教えてもらえないんだったらとっととやめちまえ!」と、怒鳴られてですね、あぁ、どうしよう、なんてお詫びをしたらいいだろう、とアワアワしてしまって。
「よし、そうだ。ヤ〇ザはケジメをつけるために小指を落とすというじゃないか。でも僕が小指を落としたらキーボードを打てなくなって仕事ができなくなるから、眼球をひとつくりぬいてお詫びの品にしよう!」と、それしか考えらなくなってですね、机の上にある事務用品のカッターで眼球をくりぬこうとしたんですが、当然ながらうまく行かず、仕方ないから顔面をカッターでズタズタにして「これで勘弁してください!」って謝ったんですね。
 で、そのまま精神科に直行。長期入院しまして、まぁ、この辺はいままで少しお話したり、ツイッターでも話しているので割愛しますが、とにかく。まぁ、ね。
「施設や病院でも心理学をしっかり把握している人は驚くほどいない」ということがよくわかるんです。で、心理学って言うのは科学的な学問なんですが、その研究の結果(たとえば〇〇をすれば人は××する傾向にある!)みたいな手軽な知識は科学的な思考なんていらないんですね。本当はその傾向の中にある「なぜなのか」という問いが心理学の中核なのですが、多くの人はその結果だけを知って心理学だと思いたい訳です。だから専門的に心理学を学んでも「経験と結果だけ」で生きてこられた人たちには到底理解されないんですよ。
 僕の学んだ心理学は、いえ、違います。正しくは「せっかくある心理学という素晴らしい学問を僕が『生かせないまま』に」僕は躁うつ病を発症してその後、長い人生を生きることになってしまいました。
 ですから、心理学を学んで社会に還元したいと思うなら、少なくとも僕のようなやり方ではマズい訳です。もっとやり方を考えるか、受け入れられる職場に行くべきです。あるいは、心理学という「わからないものをわかろうとする経験・知識・考え方」を習得した上で、全く別の領域で働くことだって良いと思います。心理学を心理学のまま相手に押し付けようとした僕も間違っていたんです。決して、みなさんはそうならないようにしてください。

ちょっとまとめてみましょう。
大学で心理学を学ぶ
→「人の心はわからないことがわかった」
大学院で心理学を学ぶ
→「自分の心はもっとわからないことがわかった」
急に人の心がわかるようになった
→精神科を受診した方がいいです

というお話ですね!

 あとこれは、心理学を専攻することとは直接関係のない話なんですが、大学でやっておいた方がいいこともお伝えてしておきます。
 これまた残念なことに、心理学で食っていこうとするとかなり道が狭められることがわかります。代表的なものに僕も取得した公認心理師とか臨床心理士の資格を取って現場で働くという方法がありますが、はっきり言うと給料安いです。大学院まで出てこれかい、と思うことはしばしばです。また、ご存じの通り博士課程まででて研究者として生きていけるのはごくごく限られた一握りしかいませんので、これもまた、絶対になりたい!という人以外にはおすすめしません。
 僕がおすすめするのは、公認心理師や臨床心理士の「他にも」資格を取得しておくことです。最低限、簿記3級、FP3級を取得してください。これは仕事に生かすだけでなく実生活でも役に立つので、大学生なのだからこれくらいの理解は必要です。
「心理学は勉強したいけど、将来的に心理学で食べていくつもりはないなぁ」と思う方には、1年生の内から「社会保険労務士」の勉強をしておくことを勧めます。最短で大学3年生から取得できる資格で、八士業(ご自分で調べてみてください)の中でもかなり有用な資格です。社会保険労務士はある程度、精神疾患の知識も必要になってくるので、心理学を勉強していたらすんなり理解できる領域があります。もしこの資格を取得できたら就活なんて怖くありません。失敗しても必ずどこかの事務所でそれなりの給料で雇ってもらえます。
「自分は絶対に大学院へ行って公認心理師になるんだ!」と思う方にもおすすめする資格があります。それは「消防設備士」と「電気工事士」をセットで取得することです。心理学どころかバリバリ理系の現場資格なんですが、文系でも容易に取得できます。そして、未経験でも何歳になっても働く先が全国どこにでもあります。
 正直、公認心理師になって働くことは「覚悟」が必要です。しかしこの「覚悟」があっても実際に現場で働いてみて「適正」がないことが後からわかることがあります。どっぷり心理学漬けになってから他の仕事をしようとしても、なかなか難しいです。
 そこで「あえて全く違う領域の資格」を持っておくことで、挫折してもすぐに別の現場で働ける保険を持っておくことは非常に有用です。

 僕はこれらのことを恥ずかしながら30歳を過ぎてから気づき、現在は主夫業のかたわら、資格を取得する日々を送っています。とても幸せなことに、僕は精神障害を抱えながらも幼馴染と結婚することができ、そして妻は大企業の会社員なので食べることに困ってはいません。
 しかし、人の心はわかりません。わからないというのは、妻が僕に愛想を尽かす日が来るかもしれないという意味ではなく、妻が心の健康を壊す可能性があるかも知れない、ということです。健康に過ごしていても、ある日突然崩壊はやってくることがあります。あるいは、妻がもうどうしても働きたくないというかも知れません。その時に、僕が働けるように(現在は医師から仕事をしてはいけないと言われていますが、障害が良くなったら働けますから)公認心理師だろうが、消防設備士だろうが、社会保険労務士だろうが、どこでも働けるように準備をしています。
 そして重要なのが「わからないことをわかろうとする」意識は、心理学を学んだ上で習得しているので、社会生活を送る上でどんな困難も立ち向かっていけるだろうと信じられることです。心理学を専攻するからと言って必ずしも将来、心理学に根差した仕事をする必要ありません。
 しかし、心理学を学んだ意義は、せっかく学徒だったのですから、絶やしてはいけないのです。そんな意識を持って、ぜひ、これからの大学生活を有意義に過ごしていただきたいと、切に願っております。

おわり

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