過去と「付き合って」いくこと。

PMDDと向き合いたい、と言っても、「治療」できるものではないであろうことは薄々気付いている。

「付き合って」いくしかないのだろう、この身体と。

同時に、自分の「過去」をなかったことにもできなくて、「付き合って」行くしかないのだろう。この悲しい生い立ちと。

ここ最近の私はある意味、過去とケリをつけたがっていた。

「なかったこと」にして、平然と生きていきたかった。

過去の生い立ちは、私に色々な不自由を残していった。

何を見ても、何を見ていても思い出す、数々の悲しい出来事。

新しい場所に身を置くことで、人に話すことであるいは、「ケリ」をつけたかった。

もう「なかったこと」にして、前を向いて生きていきたかった。

「何の問題もない人間」になって、「平穏」に、「普通」に生きていきたかった。

……でも、それはできなかった。

もがいて、苦しんで、余計に、自分の首を絞めただけだった。

なりたい自分になれない歯がゆさから、悔しさから、余計に、イライラしてしまうばかりだった。

当たり前のことにやっと気付いた。

過去をなかったことにすることにはできない。

苦しくても悲しくても、私は私として、生きていくしかない。

悲しいけど、「ああやって」育ってしまった自分として。

過去を許すことはできない。

許さなくていい。

ずっと、恨んでいよう。

恨みたいだけ、恨みに燃えよう。

押さえつけるだけ、怒りは内から身を焦がすだけだから。

ただしく、憎もう。

悔しかったことを、悲しかったことを、悲しいと嘆こう。

いつまでも、いつまでも。

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