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迷える羊とファンシーな世界


米津玄師
「STRAY SHEEP」発売日に買って聴いた。
今更ながらの感想だが、良いアルバムだった。

スターとなった彼の現段階での集大成、大衆ポップソングのアルバムとしてこれ以上ない解を世間に見せつけたのではないだろうか。

収録時間は60分に満たないが全15曲の大作、あまりにも既発曲が多いのとそれらのクオリティとスケールが大きすぎるため、既発曲を軸としてそこへ向かうための隙間をアルバム曲で繋ぐ、というオーソドックスな構成であったと思う。
そして、そのアルバム曲もリードの「感電」をはじめとして良曲が多かったと感じる。

ただ、構成上バランスを保つためには仕方ないのかもだが、
個人的にはもう少しアルバム曲でキラーチューンが欲しかった、というのが本音ではある。

その点では前作「BOOTLEG」の方が自分好みではあった。

こちらの方がトータルの収録時間が長いのだが、それを知らずに聴くとアルバムとしてコンパクトだと感じた。
序盤~中盤にかけてシングル曲を固め、以降はアルバム曲という極端な構成であったが、「春雷」をはじめとしたアルバム曲がしっかりとキャラ立ちしており、かつアルバムとしてもまとまっていたように感じる。

まあ、どっちかというと今作より前作BOOTLEGのがロック寄りな気もするので単純に自分の好みの問題、と言えばそれまでなのだが。

この感じ、何か既視感(既聴感?)あると思ったら、米津と同時期にシーンで売れた星野源の「Pop Virus」を聴いた感情に近いな、と感じた。

これもまた良いアルバムのお手本のような作品だった。パンチのあるシングル曲を軸に、脇をアルバム曲が固める。
ドラえもん、Drinking Danceが入ってなかったのが意外だったが。

ただ、こちらも個人的な感想としては、
シンガーソングライター」としての集大成、前々作「Stranger」や

台頭したスター」としての実力を如何なく見せつけた「YELLOW DANCER」、こちらのがアルバムとしてのまとまりがあり曲単位でも好きな曲が多い。特に後者はその年に発売されたアルバムでも1,2を争う素晴らしい出来だったと思う。

勿論、このお二方ともに新譜も素晴らしいという気持ちはあるのだが、
各アルバムを自分なりに紐解いた感想として、共通項として「スターになることを受け入れた決意」の前作と「スターになった後の苦悩」の新譜、という違いの雰囲気を感じ取った。

前者はバイタリティに溢れ、後者は様々なしがらみ、間違いなくキャリアハイの売上を更新する見込みがあるからこその産みの苦しみを感じてしまう。どうしても後者はバラードが多くなってしまったり。

自分の好きなバンド「UNISON SQUARE GARDEN」のメンバー、田淵智也の言葉を借用するが(スターという立ち位置を)「引き受ける」ことでの影響、マスに向けた作品となったことがその一因なのかもしれない。
繰り返し言うがあくまで自分の勝手な憶測である。

「引き受ける」ということは大衆に「見つかる」ことでもある。
それは様々な場面で様々な影響を及ぼしていく。

話題は冒頭に戻り、自分は米津玄師のSTRAY SHEEPという作品を通じて更に感じ取った瞬間があった。それは、このアルバムではなく付属のライブBlu-rayである。そもそも自分はこのライブ映像が付いていることもあり発売日に初回限定版を買ったフシもある。

自分は直接現地でライブを観た訳ではなく、この映像が初見だったのだが
「脊椎がオパールになる頃」非常に素晴らしいライブ映像だった。

セトリ、歌唱、演出どれをとっても非の打ちどころがない。また自分はライブ中のMCが少ないライブのが断然好きなのだが、ライブ終盤のMCで
彼が音楽、そして音楽に対する姿勢や客観的に自身を見た際にオーディエンスに伝えたいこと、まるで音楽雑誌のインタビューをそのまま語っていく姿を見て、ああ、彼は本当に音楽に対して、人生に対して本当に誠実な方なんだろうなという印象を受けた。
自分より1歳先輩というほぼ同世代なのにただただ感服するばかりであった。間違いなくこのライブにおいて意味のあるMCであった。

(アンコールの時のバンドメンバーとの楽屋トークみたいなのはちょっとノイズだったが)(ごめんなさい)

ただ、初見では全体的にただただ圧倒されるだけだったが、先日フル尺2回目の鑑賞をした際に思う所がありこのエントリーを書くに至った。それが「見つかる」「受け入れる」ことでの音楽体験での影響である。

米津玄師と聞いて大半の人が思い浮かぶのは代表曲「Lemon」だろう。


彼はこのライブにおいてこの曲を本編の締めに持ってきた。そして、歌唱自体も魂が宿っており素晴らしいパフォーマンスだった。

だが、このライブ空間に自分は強烈なノイズを感じた。曲間、大半の観客が手拍子をしていた。2Aメロからラスサビ前までが特に顕著であったか。同じバラードでもかいじゅうのマーチ、アイネクライネ等のラブソングであればまだ分かる。ただこの「Lemon」という曲でそういった空間が出来上がるのが自分には理解できなかった。

Lemonは歌詞を含め、鎮魂歌がテーマの楽曲と自分は認識していた。
そこに演者が煽っている訳でもないのに皆で仲良く拍手しよう、というような雰囲気が自然と生まれてしまうのがどうしてもノイズになってしまった。

勿論これは楽曲に対する自分の一解釈であるし、それが正しいとは限らない。観客全員楽曲の意味を咀嚼してライブに臨め、という訳ではない。
この曲で手を挙げてノレというのもなんか違う気がするし。自分がオーディエンスの楽しみ方についてこれ、という正解を提示するのはあまりにも傲慢である。

しかしLemonが何百万単位の大衆歌ではなかったらどうだったろうか。小さなライブハウスでの音楽体験なら観客はどういったレスポンスをステージに返すだろうか。

音楽・そしてライヴは生き物である。同じ曲であろうと、ステージ毎その場その場で違う姿を見せるのだ。

別に手拍子をすることが悪いという訳ではない。
ただ、米津玄師という才能溢れるスターが「見つかった」、彼がその役目を「引き受けた」その結果、そこから生まれるライブに自分が参加している姿を想像した際、それが「自分向け」ではなかったというだけだ。

重ねて言うが彼の曲は本当に素晴らしい。そしてライブパフォーマンスも磨きを増してクオリティが高いものを作り上げている。今CDを買う価値のあるアーティストであり、今後も彼の作品を自分は手に取るだろう。
個人的な思いを言えば、次作のアルバムはもっと肩の力を抜いたアルバムにして欲しいなーとはほんのり思っている。

また、今人気のアーティストで言うとOfficial髭男ism、King Gnu、彼らの直近のアルバムも購入し、ともにいい出来だと感じた。次作も楽しみである。両者一番の人気曲がともに今回のアルバムに収録されているという点で上記に上げた米津、星野源と微妙にケースは違うかもしれないが、
こちらも「スターを引き受けた」後のアルバムがどういったものになるのか注目である。

話は変わり、自分の好きなバンド「UNISON SQUARE GARDEN」の話を少ししたい。彼らは、良くも悪くも「割と売れつつ売れすぎないまま現状維持に努める」戦略を取り、それが現在進行形で成功しているバンドである。それをここ数年繰り返し、確かな現状維持という地位をシーンにおいて間違いなく築いたのだと思う。

その結果が、最近発表された新曲「世界はファンシー」である。


今月リリースされるアルバムのリード曲であるが、どこがファンシーなんじゃ、という曲で好き勝手やってんな、という印象である。大衆受けとはとてもかけ離れた曲だ。
恐らくシュガーソング的な曲をユニゾンに期待している層にとっては肩透かし、面食らいもいいとこだろう。しかしそれは彼らが「見つかりすぎず」「引き受けない」スタンスをとった結果、自分たちのやりたい音楽ができている証拠なのではないだろうか。

願わくば、このカオスかつ美しい彼らのファンシーな世界がこれからも変わらぬよう、たまに自分がそこにお邪魔できるような、この距離感のままこれからも変わらずにいられたらと思った。




一つ言えるのは、ここで挙げた音楽全て素晴らしい音楽だと思っています。
その中でも、色んな音楽についての楽しみ方があるなぁ、と。

まあ、そんな自分の思考を書き連ねてみました。


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