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9/29 学校帰りの道に父が立っていた日

若い時の苦労は買ってでもせよと言いますが、苦労なんてしないほうが幸せに決まってるじゃないか!

いやまぁ学ぶことは大事ですよ。苦労をしたからこそ学べることもあるとは思います、思いますけどね。嫌な思いはしないに越したことはない、そう思います。どうもカモです。


(・◇・) (・◇・) (・◇・)


忘れもしない、僕が高校2年の9月29日。

その日もいつもと変わらず授業が終わると部活に行き、秋の高校演劇コンクール地区予選のための練習をしていました。

・・・そういえば部活について少し触れたことはありましたが何部かは書くの初めてでしたね。

そうです、演劇部に入っていました。もともと役者志望ではなかったんですが、いつの間にか舞台立ってました。笑

まぁ、部活についてはまたの機会にでも書きたいと思います。


練習を終えて、いつもと変わらず仲間たちと学校を後にする僕ら。

駅前まで自転車を押しながら他愛もない会話をして歩きます。

いつもなら電車組と駅前で分かれて解散。僕は自転車に乗って家に帰ります。


しかし、この日は駅を少し通り過ぎたところに父が立っていました。

大きめのボストンバックを持って立っている父。

なんとなく様子がおかしいことに僕は気づいていました。

父は僕を見つけると駆け寄り「家を出てきた」と言いました。

僕は、あぁとうとうこの日がやってきたか‥‥という感じで父の言葉を聞いていたように記憶しています。


(・◇・)


そう、突然この日がやってきた、というわけではないのです。

父は「お金がない」と口にはしなかったものの、生活が変わっていくんだから嫌でも気づきますよね、お金がないことは。


祖母の家を出て父と二人で暮らし始めたのは僕が10歳くらいの時でした。

3LDKのマンションで父と二人で暮らすには少し大きいかなとも思えるマンション。まだその頃は父も働いていたので余裕で暮らしていました。

しかし、僕が中学1年の頃だったと思います。父と二人で買い物をしていたときに喧嘩に巻き込まれて父は怪我をしてしまいました。

目の上、まぶたを3針ほど縫う怪我。

その怪我のせいで、父は仕事が出来なくなってしまっていたようです。


この頃、まだ僕は気づいていませんでした。父が仕事をしていなかったことに。

父は在宅で仕事をしていたので、いつでも家にいるのが当たり前だったので気づかなかったんです。

高校に入って部活を演劇部に決めたとき、執拗に反対してきたのを怪訝に思った記憶があります。

「演劇なんて金持ちがするものだ」みたいなことを言われました。


このときすでにお金に余裕がなかったんですよね。ハッキリそういえば良かったのに言わないから僕はまだ気づいていませんでした。

しかしこの頃から、僕の持っていたゲームやマンガを一切合切売られたりしたので、なんとなく「あれ?お金ないのかな?」と思い始めました。

それまで毎月もらっていたお小遣いもなくなり、毎日食費として500円もらうだけになりました。

僕はその食費500円から部費を捻出したり、合宿代を貯めるために昼ご飯はパン1個とかの生活に。


(・◇・)


僕が「これはやばいな」と思ったのは、3LDKのマンションから引っ越すことが決まったときでした。

荷物もできるだけ最小限にしてワンルームマンションへ引っ越しました

二人で暮らすにはかなり狭い部屋。そこへ引っ越して、思っていたよりもやばい事態になっているんだなと思い知らされました。

部活の顧問に「けっこうやばいです」なんて笑いながら話したりなんかしてたんですが、時すでに遅し。


9月29日、学校帰りの道に父が立っていました。


僕は自転車を押しながら父に尋ねます。

「これからどうするの?」

父は「ぶらり列車の旅でもするか」なんて言っていました。

まぁ、それはそれでいいかもな、なんて半分あきらめながら僕も思っていた記憶があります。

部活は楽しかったですが、楽しいだけじゃないのも確かで。その頃ちょっと友人との関係がギクシャクしていて、少し疲れてたんですよね。なのでもう、それはそれでいいかななんて、少し現実逃避気味に思ったりしてたんです。


思っていたんですけどね。

その日、近くの神社で野宿をしていて、眠れるわけもなく、一睡もせず、いっぱいいっぱい、いろんなこと考えてたんです。

その頃、部活で、友人関係で、家庭環境で、同じように悩んでる友人と会話した時のことを思い出していました。

「今はこんな状態だけど、でも、あきらめずにみんな一緒に笑顔で卒業したい」


‥‥ここで僕があきらめてしまったら、その友人の願いまで壊してしまう、僕の勝手な想いですが、そう考えていました。

朝になり、父はどこかへ向かうつもりのようでしたが、僕は最後にもう一日、学校に行きたい、と学校に向かいました。


(・◇・)


学校へ行った僕は、いつものように授業を受け、友人たちと他愛もない会話をしていたように思います。

まぁ、そんな記憶は一切ないんですけどね!

その日の記憶は、とにかく顧問に相談しよう!そう思って学校へ向かい、昼休みだか放課後だかに顧問の部屋に行き、現状を話した、その記憶しかないですけど。笑

僕の現状の話は顧問から担任へと行き、担任が父と話をするという方向に。


部活が終わり、担任と一緒に父のいる駅前に向かうことになります。

このとき僕は一抹の不安を抱えていました。

僕の父は頭の良い人だったので、うちの担任じゃ論破されて終わるな、そう思っていました。

案の定、父と会って担任は話をしましたが、丸め込まれて終わりました。笑

行く宛なんかない、列車ぶらり旅とか言ってたのに、担任に父は「行く宛はあるんですよ〜」的な話をして丸め込みました。

よくもまぁペラペラと嘘が出てくる口だなヲイ、と思いながら僕は聞いていました。


担任が去った後、さて、僕が怒られる番です。

「なんで話したんや?」「お前、昨日は一緒に行くって言うたやないか」と。

いや一緒に行くなんて一言も言った覚えはない

ただ、あきらめかけていたので、そう取られても仕方ないような反応はしてたんだろうな、それはスマンかったなと思っていました。

とりあえず、昨日は野宿で一睡も出来なかったことも父に伝え、僕は小学校からの友人の家に行くことにしました。

ここで僕は、父との別れを決意することになります。


父は去っていく僕に「お前もか」と言い残しました。

そのときの僕には父が言っていたことの意味はわかりませんでしたが、少し後に知ることになります。


(・◇・)
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その後の話👇


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