杉本うさぎ
自作の詩集
自作のコラム集
自作の小説集
半死半生の心を奮い立たせて 生きているフリをしている。 本当は死にたくて、死んでしまいたくて、消えてしまいたい。 だれか、明確な生きる理由を教えてくれないか。 そしたらさっさとそれ達成してさ、消えてやるから。 家族の悲しむ顔とか、世間体とか、死んではいけない理由が増えた。 僕をこの世界に繋ぎ止める糸をひとつひとつ切り刻んで、全てから開放されたら、心置きなく死ねるのかな。 生きるフリはもう懲り懲りなんだ。 中途半端だ。 どっちつかずの体躯、精神。 きっとあの日からずっと生
珈琲を淹れることは、緻密にも大胆にもなれる。 どっちが美味いかなんて知らない。 飲む時の気分にもよるからね。 珈琲の豆の量を数えて、挽き目を調整して、湯温を計って、重さと時間で抽出速度を計算する。 いつもそんなんじゃ息苦しくなっちゃうよ。 たまには適当に豆を取り出して、直感で挽き目を決めて、適当なタイミングでケトルを火から下ろして、スケールなんて使わずに感覚で抽出してみる。 それで良いんだよ。 それでも美味しい珈琲は淹れれるんだよ。 結果オーライさ。 たぶん生き方
少年の目には希望の光しか見えていなかった。 失敗も挫折も泥臭い汗水も全てが未来に繋がる気がした。 興味のあることに一心不乱で、いつも全速力だった。 不安なことなんて何も無かった。 流れる雲も、霞む夕暮れも、転がる石でさえ輝いて見えた。 明日の心配なんて無く眠れた。 日常に何の疑問も不満も見当たらなかった。 幸福を幸福とも思わず、それが当たり前だと思っていた。 そんな少年時代も終わりが来る。 少年は青年へと成長し、社会を知り社会に馴染む必要があった。 それが無理だと分かった
珈琲を趣味として、いろんな産地や精製方法の豆を飲んでいると、よくどこの国の、どこの農園の珈琲が一番好きか、聞かれる。 その質問に対する私の答えは「うさぎ珈琲」と答えている。 要するに逃げているのだ。 どこのどれが1番だなんて決められないのである。 うさぎ珈琲と答える理由としては、味云々以前に思い入れがたくさんあるから好きなだけ、どこよりも美味しい豆を届けているという自信があるから答えているだけなのだ。 グアテマラの珈琲豆とインドネシアの珈琲豆を比較してもあまり意味がない。
良いものと良いものを引き合わせて、より良いものをつくる。 ブレンドの基本的な考え方。 どんなに良いもの、優れているものでも欠点が存在したりする。 その欠点も含めて楽しむこともできる。 しかしその欠点を補って楽しむこともできる。 ブレンドは2種類から多くて5種類までの豆を混ぜ合わせる。 配合比率も重要だ。 どの豆を軸に考えるか、どの豆を主役にして他を引き立て役に回すか。 あるブレンドでは引き立て役に回っていた豆が別のブレンドでは主役になることもある。 良いところは引き立てあ
珈琲は豆を粉にしてドリップしてはじめて飲むことができる。 粉にする時の粒の大きさを挽目といい、飲みたい味によって挽目を変える必要がある。 濃く抽出したい時は細かく、あっさり飲みたい時は粗く。 珈琲の種類によっても適した挽目は異なる。 珈琲の焙煎度によっても適した挽目は異なる。 飲みたい味やその豆が持っているポテンシャルを一番引き出せる挽目が存在する。 それを間違えてしまっては、どんなに丁寧にドリップしても、不完全なものができてしまう。 私はこれまで、就職しては失敗したなと
これまでの人生を振り返ってみる 興味の移り変わり その度、新しい道を探して歩いてきた それなりに成果を残してきたと思う 出会うべくして出会った人もいる そんな思い出が、明日を生きにくくしてるなら、 過去の栄光は捨てていく 一度ドリップしたコーヒーかすでは 二度目のドリップはできない 新しい、コーヒーを淹れて。 思い出のかすだけ食べていけば生きていけるよ 味も麻痺しててよくわからないな ところどころ都合よく塗り固めているから どこまでが本当でどこからが嘘なのか、 そんなこと
生きたいと強く願えば願うほど 死にたい気持ちが芽生えてくる 私は平穏に暮らしたいと望む 心配事なく安心を望む 健康的で過ごしたいと望む 笑っていたいと望む 多くは望まない 最低限だけ 慎ましく生きたいと望む 望みが叶わなかった時 失望に変わる ちょっとした躓きが 無念に変わる ただ生きたいと望むことが 叶わなかった時、 望んだように生きられないなら いっそ死んでしまいたいと思う 本当は生に執着して 自分自身を鼓舞して 生きて 生きて 生きて 生きたい 死ぬのが怖い
人の悪口ばかりを言う人が周りから好かれるイメージを持つことができるだろうか。 私はできない。 「あなたは面白くない。頭が悪い。美しくない。できっこない。」 そんなことを言われ続けても、その人のことを好きになるだろうか。 私はならない。 対人関係を良好にするコツの一つは、相手のいいところを見つけて褒めてあげること。 「君のクレバーなところが好き。気の配り方が尊敬できる。おしゃれな君に憧れる」 そんなことを言われたら誰だって嬉しいものだ。 人が対人関係を学ぶ一番はじめの相手は
私は今、 笑っていますか。 泣いていますか。 怒っていますか。 感情が制御できない。 地図を失くしてしまった旅人のように、 気持ちの現在地が分からない。 感情が分からないから、表情も作れない。 今、笑えばいいのか、泣けばいいのか、怒ればいいのか。 誰か教えてください。 ただ彷徨うことしかできなくて、どうしたいのかも分からず、漠然と立ち尽くす。 将来、子供ができた時、我が子は父親(私)を見て何を思うだろう。 誇れる人間になれているだろうか。 目指したい背中をしているだろ
丁寧な暮らしに憧れる でも、丁寧な暮らしってどんなものかよくわかっていない 丁寧な暮らしを続けていれば 丁寧に生きるってことになるのかな 辞書で「丁寧」を調べてみる ー動作・態度などがぞんざいでなく礼儀正しいこと。 ー仕事のやりかたが雑ではなく、念入りなこと。 この意味を暮らしに当てはめてみる。 生活に必要な所作を疎かににせず、丹念にすることだと思う。 ぞんざい・雑・疎かにならないためには、時間をかけて集中することが大事そうだ。 礼儀正しく・念入り・丹念には、きちんと感
夢を持っていますか? 夢があれば活力になる。 はやくその夢を実現したいと頑張れるから。 私には夢がある。 居心地のいい喫茶店を開業すること。 だから珈琲のこともっと知りたい。 居心地のいい空間とはどんなものか知りたい。 その欲望が原動力になっている。 夢を見るのにも上手い下手があることを知った。 学生の頃、見ていた夢。 レンジャーになること。 そのために努力した。 人脈を作った。 公務員試験に合格するためにいっぱい勉強した。 そして26歳、レンジャーになるための試験をす
ちょっとしたミスを大失敗と思っていないだろうか。 少しのつまづきで全部が台無しになってしまったと思っていないだろうか。 発達障害の人は0か100で考えてしまう癖がある。 発達障害に限ったことでは無いかもしれない。 よく分析してみることだ。 100の内、20が失敗だったとしても80が成功なら、それはもう成功と呼んで良い。 100の内、50が失敗でもう50が成功だったなら、もう一度やり直せばいい。 成功した部分はそのままで、失敗した部分は繰り返さないように。 大丈夫、全部失敗
人生は美しい 美しさには背景がある 流れる汗も 泥臭い努力も あの日の悔し涙も 戦いに流した血も 美しい 決してキレイではない 美しいとキレイは違う 人生には良きも悪いも含まれる 総合して美しいのだ 着飾った人生よりも 見栄を張った人生よりも 贅にまみれた人生よりも 悲しみの上に立ってただ生きるあなたが 美しいのだ 美しさには人を動かす力がある 感情を揺さぶる美しさに出会えたなら あなたもきっと美しくなれる そのあなたに出会えた私も きっと美しくなれる その連鎖が世界を変
しとしと 外の世界は雨 薄暗い部屋の中で静かに流れる時間 そこには苦い珈琲 空を覆う黒い雲 僕の行く末を暗くする 今日は何もしないでおこう 家に籠もって孤独と過ごす 雨音が教えてくれた 暗闇と過ごす意味 雨は絶望に似てる 容赦なく僕に降り注ぐ 黒い雲と黒い液体 真っ暗な僕の未来は ほろ苦くしかし甘い じんわり身体に沁みていく 止まない雨はないと言うけれど 今降っていることを無視するわけにはいかず 雨だろうとなんだろうと 時間は過ぎていく 雨が辛いわけじゃない 雨が憎
判断力とはなんだろうか。 未来を予測してリスクが小さいものを選ぶ力。 もしくは、効用が大きいものを選ぶ力。 判断するのには自分に問いかけてみる必要がある。 期日までに間に合うか 今、自分にとって必要なことか それをして喜ぶ人は誰か 自分にどんな利益がでるか それをすることで出る犠牲はなんだ 判断には過去の経験が活かされる。 過去の経験から自分の実力を計ることができる。 過去の経験から結果を予測することができる。 過去の経験からやるべきかそうでないかが分かる。 判断力とは