自己肯定感!

昔から私は自己肯定感が低いです。最近はそれをどう向き合っているかというと、小さなことでも誉める。自分なんか、、、って思わずに、頑張ったぢゃん!って言ってあげています。笑

他者からみれば、それは当たり前だ。そんなことで、、、って見られたとしても、それは他者軸だから気にしないでおこう。(本当は気にしてるときもある!)

って感じである。沢山失敗しても次はこうしよう、これがよくなかったかと分析して次に繋げることが失敗から学ぶことである。

ただなんで自己肯定感が低かったと言われると、怒られてるだけで改善を自力で見いたせなかったのである。できない私がいけない、、、って思うばかりで親を怒らせてしまったことに注意点を向けていた。

次は同じことを繰り返さないようにというより、怒らせないようにを優先してたから物事と向き合えていなかったのであった。

でも結局これに気づいたのは、高校の担任がきっかけを作ってくれたからである。もっと自分で早く気づけたらよかったのに、、、と思うけど、あの時気づかせてくれた担任、親と向き合ってくれたことに感謝である。

お世辞にも私の母親は良いとは言えない。

何を期限損ねることしたか忘れたけど(テストの点数が悪い、お稽古のできが悪い)幼少期から外の倉庫や部屋の押し入れにいれられたり、、、箸で頭をスパンと叩かれたり、顔面グーパンチされて結婚指輪の金具の鼻にあたり内出血になったり、顔面に口紅でバカと書かれたり、口の中に食べ物詰め込まれたり、、、まぁ今なら児童相談所に報告行ってもおかしくない。

そんなこんなで暴言だけ言われ、次からどうしたら言いかよりまたされたらどうしようが先行してたって訳である。

言葉に出すとやはり胸が苦しくなるもんだが、、、母親のことは今も好きにはなれない。嫌いでもないが、よく思っていない。今は丸くなったので、特に暴言もないが。笑

原因を探れたのはこの数年ではあるが、それでも私を誉めてくれる方の言葉を信じようって思えるようになったのもこの15年である。

身近な人の言葉に傷ついても、それを癒してくれる言葉もちゃんとあるってことを気づけたのは高校の先生や友達、バイトの先の先輩がいたからだなと思った。

話は脱線したが、人から受けた言葉でも自己肯定感をあげられるし、さがるので今一度なにか発するときはよく考えてから伝えたいよねぇ。

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