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『パリには猫がいない』第6話

第6話「モンマルトルの人たち」


ようやく青空がのぞいたパリ4日目。
満を持してのオルセーは、色々な意味で想像以上だった。

まず、入場待ちが長かった。これはもちろん想定していた事だったけれど、一昨日のルーヴルが予想外にすんなり入場できたから、オルセーも朝一ならさほど混むまい、と楽観していたが甘かった。1月2日である。無事に年も明けて、人々が徐々に街へ出掛ける頃合いかもしれない。長い列を待つあいだ、寒さだけは少し辛かったが、中学時代からの友人であるRが相棒なので話題には事欠かない。仕事の話に始まり、最近みた展覧会、映画、本、さらには学生時代の昔話まで遡って、それにも飽きたらお互いの家族の近況まで共有できる仲である。

1時間程待ちようやく入場すると、我々はすぐ5階へ向かった。これもあらかじめ決めていたルートで、一番混むメインエリアから攻めて、徐々に下降していく作戦である。
まず最初に目に飛び込んだのは、新印象派の作品群。スーラやシニャック。これが想像以上にとても美しかった。画集ではさほど好みでなかった作家たちも、実際に目にする本物の明るさは強烈で、部屋の入口から立ち止まりっぱなしである。

次の部屋はルノワール、モネ、マネ、ドガと、印象派巨匠のオンパレード。ルノワールは実物の持つ輝きがすごいなあと常に感じる画家だ。画面が本当に輝いているよう。特に《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》、この作品を当時夢中になっていた『美の巨人たち』で観たのって、もう20年近く前になるのか…と感慨に浸る。これもルーヴルで観た《民衆を導く自由の女神》同様、パリで観ることにすごく意味のある作品だと思っていたから、嬉しかった。

マネの《草上の昼食》は、まずその意外な大きさにびっくりした。
この絵は当時サロンに落選し、その後の落選者展でも物議を醸したといわれている。しかし実際、その絵の前に立ってみると、「どうやったらこの絵を落選なんてさせることができたんだろう?」ということが不思議でたまらないほどの魅力だった。
そして、何と言っても私の心を震わせたのは、ドガだった。

エドガー・ドガ。
油絵を本格的に学び始めた高校時代、私はよごれた作業着に身を包み、画集に載っている大好きなドガの絵を穴が開くほど見ていた。

このきれいなグリーンは、ほんとうはどんな色なんだろう?

画集の印刷具合によって、ドガの色は特にさまざまだった。いつか本当の色を見てみたいと、ずっと思っていた。けれどいざ作品に向き合うと、何も考えられず頭はまっしろ。
本物だ、という感動だけが、ただただ胸にあった。
お気に入りだった作品以外の小品も、久しぶりに目にすると瞬時に記憶が蘇り「あっ。これ、見てた!すごく見てた!!」と思わず指をさしてしまいたくなるほどにひとりで興奮した。
20年の歳月を瞬間移動して、制服を着ていた頃の自分とパリにいる今の自分が交錯する。なんとも感動的な体験だった。

オルセーは、期待以上にすごく良かった。印象派は日本でも大人気でしょっちゅう展覧会があるから少々食傷ぎみ、と思っていたが、歴史を代表するような名品の実物はやはり格が違う。行く先々の部屋で宝物に出会うような、夢のような時間だった。
しかし、残念だったのはかなり見逃しがあったことだ。オルセーはルーヴル程の広さではないにしろ、小さな展示室がいくつもあり、目当ての作品を探しきれなかった。下調べの足りない自分の自業自得なのだが…。

気を取り直してモンマルトルへ。言わずもがなの20世紀パリの画家たちが集った伝説的な街だが、Rの目的は別にあった。映画『アメリ』の大ファンである彼女にとって、映画の舞台となったモンマルトルはいわば聖地。私も出国前、ぜひDVDを観ておくようにと言われていたが、間が悪くアパートのプレイヤーが壊れており、観れずじまいで現地へ来てしまった。

モンマルトルはメトロの駅を出た瞬間から下町感に溢れまくっていた。駅前なのに?と思うほど、まわりは「セックス・ショップ」一色。こんなに沢山あって需要があるのだろうか…と呆けつつ、この町ではこれまで以上にスリに気を付けよう、とバッグを持つ手に力を込める。

アメリが働いていたカフェとやらで遅めのランチ。私はハンバーガーセットで、Rはその名もずばり「アメリ丼」。これがなかなかのツワモノで、おそらくこの店に押し寄せる日本人アメリファンの為のメニューと思われるが、白地に青い柄の入った和テイストのどんぶりに、サーモン、キュウリ、青りんご、トマト、ビーツなどのサラダが盛りだくさんに乗っていてその下がご飯……。
しかも普通の白米ではなくて、タイ米でもない細長い米型の、得体の知れない偽ごはん…。。。

これまでパリで4日を過ごしてきて、食べものは本当においしいものばかりだったけれど、ここへきて強敵が現る。私の注文したハンバーガーセットは美味しかった(ポテトが特に!)けどRは当然食べきれず、残りは私が引き受けて、野菜不足を唱えながらなんとか大部分食べきった。

このカフェでは、いくつか人との交流もあった。隣のテーブルに座った4人家族の小さい男の子ふたりがものすごく騒いでいて、手を変え品を変えご両親が(現地の人かはわからないが西洋人)ご機嫌をとるも全然おさまらない。さすがに何度か隣の席の私たちに「すみません」という様子でご両親が目くばせ。私は意識して笑顔でそれを受け、いないいないばあ的なことをして和ませようとしたが効果はゼロ。彼らの方が席を立つと、下の子の口まわりがすごく汚れてしまっていたので、私が持ってきたウェットティッシュをお母さんに差し出した。ちょっと驚かれたが、御礼を言ってくれた。

もうひとつは、かわいい黒人のウェイトレスさん。彼女が私たちのお皿をさげてくれるとき、何かを聞いた。最初はRも私も聞き取れなくてぽかんとしてしまったが、親切な彼女は何度か言葉を変えて尋ねてくれて、あるとき人差し指をほっぺにかざして「セ・ボン?」。
ようやく「おいしかった?」と聞いてくれたとわかった。
嬉しくておもわず大きくうなずき、

「セ・ボン!セ・ボン!!」

とふたりで阿呆みたいに繰り返した。彼女はにっこりして、お盆を手に背を向けた。

アメリのカフェを出て、ゴッホの住んでいたというアパートを経由してモンマルトルの丘をぶらぶら歩き、出店のホットワインを買う。サクレ・クール寺院前の階段に座ってすこし休憩。
眼下に広がるパリの絶景をぼーっと眺めていると、ふと、前に腰かけていた子連れのフランス人らしき男性が振り向いて、
「いる?」
というふうに、見ず知らずの私たちにナッツの入ったカップを差し出した。

フランスの人は高飛車だなんて、いったい誰が言ったんだろう?

もらったナッツを噛みながら、しみじみ考えた。パリに来て、人から嫌な思いをさせられたことは(初日の物乞いの人を除き)一度もなかった。たとえばエレベーターに先に乗っていたフランス人の男性が、「ドウゾ」と声をかけてくれたり、テイクアウトのお店でも、システムがわからずまごまごしていても、店員さんは根気よく教えてくれて、本当にどこでも親切だ。

「それだけ日本人が観光でお金を使ってくれるからだよ~」と冷静なR。

モンマルトルの丘は、お正月だからかすごい人出で、みんな幸せそうに見えた。日本で見かけるとあまり快く思えないラブラブなカップルも、パリだとすごく自然で、素直にいいなあと思える。外国に来て、言葉が分からないぶんコミュニケーションに敏感になっているためか、シンプルな意思表示や、大事な人をわかりやすく大事にする接し方ってすごく素敵だなと思えた。



モンマルトルをあとにして、4日目にしてようやく歩くシャンゼリゼ通り。ブランド店にはふたりとも興味ないし、今日はよく歩いて疲れたので、凱旋門までは行かずに途中で折り返す。初日に行ったグラン・パレを通り過ぎ、セーヌ川ごしに、ライトアップされたエッフェル塔と輝く夜のパリを眺めた。「パリの街は、実はたいして美しくない」とこれも結構言われているが、パリの夜景は文句なく美しい。そして昼のパリも、無駄のない街並みや建物を私はとてもいいなあと思う。パリは、憧れの街としてすごく遠い存在に思っていたけれど、実際に来てみると、なんだかすごく居心地がいい。

私、ここなら住めるかも。

ふいに恐れ多いことを考えてしまうのも、ラッキーが重なって未だ痛い目に合っていないからだろうけれど。
Rが言う。
「もうすぐつくね。あっ、お部屋、なんていうんだっけ?」
「ヴァン・カーター。」
と答える私。

今日もマロニエのフロントの人が私たちの帰りを笑顔で迎えてくれた。


(つづく)

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イルミネーションに興味ない私ですら惚れる。/写真by宇佐江みつこ

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