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10代最後の誕生日ー美大時代の日記帳⑤ー

まだ新幹線が開通する前、駅に自動改札すらなかった15年程前の地方観光都市・金沢。その小さな街の美大に通いながら、たいしたドラマも起きない一人暮らしの日々を偏執なまでに細かく綴った『美大時代の日記帳』第5回。プライバシー配慮のため、登場する人物や時期の詳細は少し脚色しておりますことをご了承ください。

それでは、開きます。

美大生のテスト週間

学生生活の中で、定期的にやってくる試練といえばずばり、テスト期間だろう。しかし、美大においてのそれは「合評がっぴょう」(自分の作品を教授及び他の学生に見せる批評会のこと)が第1位であり、座学のテストは心理的にその次か次くらいにあたる。

以下は、最大の試練である合評会を終えたあと、身も心もボロボロな状態で迎えたテスト週間の日記のまとめである。

日曜日
ようやく合評と作品提出を終えて、アパートの部屋も制作モードからふつうの生活モードへと戻せたというのに、自分に覇気がない。明日は歴史の講義中テスト代わりのレポートを書かなきゃいけないので、その為に借りてきた本を今夜読まなきゃいけない。水曜の日本美術史の時間には恐らくノートを提出しなければならないが、私のノートは真っ白に近い。金曜は美術解剖学とフランス語のテスト…。
ああ、早く自由になりたい。

月曜日
午前は実技をサボり、アパートで勉強をした。午後1発目の授業は歴史。今までの総括レポート(本持ち込み不可)。なんとか書いた。あとは先生の良心次第……補講になりませんように。その後、文学の提出課題である『草の花』(福永武彦)の年表について、教授から「皆、もっとちゃんと書かなきゃダメっすよ~」という軽すぎるダメ出しを受けるが、不可の判定にならないなら、私は直すつもりはない。

火曜日
昨夜午前3時半まで科学技術史のレポートを書いていたため、当然の如く寝坊した。今日は学食の牛丼が100円の日らしくてまわりの人が皆どんぶりをかきこんでいたが、私はあんまり牛丼が好きじゃないのでサンドイッチ。もう9月になるが、春の入学以来、未だに学食をたべたことがない。
午後は卓球で汗を流す。クラスメイトたちとの楽しい体育の授業。ところで、今日知ったのだが科学技術史のレポート提出は明日までだったらしい…。何の為に私はあんな深夜まで…。まあ終わったんだからいいけど。

水曜日
今日で前期の講義は最後。テスト期間なので美大の図書館は非常に混みあっていて、いつも私が座る「M席」(自由席だが、座席にアルファベットがふられていた)も人がいて座れず。仕方なく食堂に戻って、友だちとノートまとめ。淡泊だがこれ以上書き足すものもないので、事務局に日本美術史のノートを早々と提出した。日本美術史はよくサボってる上に出欠代わりのメモも出さずに帰ることがたまにあるから怖いなあ…。大丈夫かなあ。レポートは真面目に書いたからかんべんして下さい。

木曜日
我ながら、テストをなめている。
今日は午後すぐに帰ってきて、ご飯作って、その後はテスト勉強…のはずが。テレビを観ながらスケッチブックを引っ張り出し、つらつら描いて、実は昨日も寝しなに4枚くらい描いて、今日も4枚描いてしまった。明日はフランス語のテストなのに…。
そして気づく。

フランス語のノート、日本美術史のノートの裏を使ってたから、昨日提出しちゃって、手元に、ない………。

金曜日
やっと全てが終了した。合評、レポート提出、ノート提出と続いて今日ついに最後のテストが終わった。ばんざい。出来はどうだか知らないが、半分以上とれてたら可なら大丈夫だという感じ。
明日から夢の3連休。何しよ~とわくわく色々考えてたら、ボディーシャンプーで髪洗ってた。


恐怖の履修届

ああ無気力。しかも涙が出る程あかぎれが痛い。右手故に使わないわけにもいかない。はあああ。

今日から後期が始まった。かねてから後期授業の変更を計画していた私は朝も早よから事務局へ用紙を取りに行き、おまけに前期の成績表までもらってきた。なんとか落とした単位はないらしい。ほっとしたのもつかの間、単位を落とすよりある意味ショックな事実が判明する。
午後の授業前に再び事務局へ行って、先ほど書いた履修届の変更を提出しようとしたら、事務局の人から
「みだりに授業の変更はできません」と冷たくあしらわれる。おまけに、「鉛筆で書かなきゃだめだよ」と言われ、失意の底へ。3教科も増やそうと思っていた私の計画が全てパア。
ああ、後期は前期以上に暇になってしまう。毎日午後1つ授業受けたら帰宅…。2年生になった時が怖い…。

大学というのは本当にキビシイ。春、入学したてで、内容も配分もよく分からないまま必死で書いた履修届。何故他の皆はうまくやれているのだろう…自分が情けない。

夜ご飯は料理本に載っていた、キッシュというやつを初めて作って後悔した。食べたこともない料理を作るのはやはり間違っている。味のないお好み焼きみたいなものが出来上がった。


10代最後の誕生日

19歳のハッピーバースデー。

まさか自分が1人きりで誕生日を迎えることになるなんて、実家に居た昨年までは夢にも思ってなかった。祝ってもらうのが恒例になっていると、それがない事がどれ程空しいかわかる。

学校の静物油彩も大詰め。個人アドバイスでS先生から「ビンの色が良い」と褒められて喜んで筆も進んだ。昼。クラスメイトのUさんが、思いがけず、
「誕生日おめでとー」
と言ってくれてびっくり仰天した。私言ったっけ?と不思議に思うと、連絡簿に載ってた油画専攻全員(25人)の誕生日を携帯に登録しているらしい。嬉しかった。
帰り道、以前「営業」(『美大時代の日記帳』③参照)で回ったことのある百万石通り沿いの歯医者へ向かう途中、いいかげん空気が足らずにガタガタ悲鳴を上げていた自転車の後輪に空気を入れてやる。自転車屋さん、空気入れありがとう。
歯医者さんに着くと、金曜の午前ならいいというので予約を入れたが何故かその日は治療はしてもらえないらしい。それまでもつかな、私の歯…。

スーパーに寄り道し、掃除機をかけて敷物の埃をはたいて、母からの荷物を待つ。7時前くらいにチャイムが鳴る。届いた段ボールの中には、宝の山のように食品が詰め込まれていたのと、図書券20枚。ありがとうお母さん。誕生日カードには、実家にいるハムスターたちの写真がプリントされていた。ありがとうお父さん。一生大切にします。

ああ、歯が痛い…。


母の段ボール22220220516_23005350_0009


*美大の座学…私が通った美大では、午前が実技で午後が座学だった。座学には「美学」「美術史」「美術解剖学」などの専門的なものから、「文学」「心理学」「哲学」などの一般的な科目もある。外国語は「フランス・イタリア・ドイツ」から1つは必修。私は2年続けてフランス語を選択したにも関わらず、何一つ習得しないまま10年後のパリ旅行では「ボンジュー(こんにちは)」「ボンソワー(こんばんは)」「メルシー(ありがとう)」の3単語で乗り切った。





今週もお読みいただきありがとうございました。初めて1人で過ごした誕生日は、なかなか感慨深いものでした。あのとき、「一生大切にします」と感動した父の誕生日カード。私は、いつ紛失してしまったのでしょう……。

◆次回予告◆
『おでかけがしたい。⑪』散歩しながら振り返る、「最近宇佐江さん…もしかして、元気がないですか?」ときかれてドキッとした話。

それではまた、次の月曜に。



*美大生の不可思議な日常。ご興味のある方はこちらもどうぞ↓




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