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真実の見つけかた

昨年末からじっくり取り組んでいた絵の納品がおわって、勤めている美術館の企画展も先日ぶじ終了し、心身ともに軽くなり迎えた休日。起きてカーテンをあけるとものすごい好天で、こんな日に散歩に出ないわけにはいかないような気持ちになる。

が、まずはソファに陣取りテレビをつけた。先週放送された『日本アカデミー賞』を再生する。毎年ものすごく楽しみにしている番組だったのだけれど、当日はゆっくり観る時間がなくて録画で我慢し、尚且つ結果を先に知りたくないのでここ2日ほどネットニュースや新聞をなるべく見ないようにして過ごしてからの、待望のひととき。そうしておいて本当に良かった。劇場で観て感動した『新聞記者』の主演をされたシム・ウンギョンさんが、最優秀主演女優賞を告げられた瞬間の、驚きと喜びを一緒になって味わえた。テレビに向かって拍手しながら一人で泣く。その後、ようやく解禁したニュース等を振り返ると、あの作品が賞を取ったことに対して賛否両論があるようだけれど、みんな思うところはそれぞれなのだなと思う。

私がなぜ『新聞記者』が好きかというと、社会派な理由ではなくシンプルに「新聞が好き」だからである。物心ついたときから新聞はいつもそばにあり、大学で初めての一人暮らしを経験した際も引っ越しと同時に新聞購読の契約を当たり前のようにしていた。(ただし経済的な理由で日刊紙のみ。それでも、気になるニュースがあった日は実家に電話して「今日の夕刊、今度帰省するまで取っておいて」と頼んだこともあった。)映画の中でも一番好きなシーンは、不正を暴く記事が紙に刷られ、印刷所の機械を通り、束になって、配達員によって各家庭に運ばれていく…という様子を丁寧に映した場面だった。これほどまでに情報が目に見えて伝達していくさまが、5Gに沸くこの現代で実感を込めて描かれた事に感動したし、情報の「重み」を体感することが出来た。

ああ、もしもいつか著名人になれたら、愛読している地元紙の「好きです。○○新聞」というキャッチコピーの広告に出たい。それが私の野望の中で多分最大級の夢である。


さて、あまりに日本アカデミー賞を堪能しすぎて遅い時間になってしまったが、簡単な支度をすませ、午後になりようやく散歩に出かけた。道行く人たちのマスク率は日に日にあがっている気がする。バス停ふたつぶんを歩き大きな公園に到着すると、エネルギーを持て余したこどもたちが激しくボールを投げ合うグラウンドを避け、人の少ない道を選んでぶらぶら歩く。アパートから近いわりに公園内を散歩するのはひさしぶりだ。きょろきょろと木々を眺めていると、ふと口の中におにぎりの味がした。実際に食べていたわけではない。子どもの頃、父母弟の4人で何度もこの公園に遊びに来ていた、その時よく食べた我が家の定番弁当「お茶漬けの素」をまぜたおにぎりの味が、脈絡なく私の口の中に蘇ったのである…ちょうど、底が見えぬほど淀んだ茶色い池に辿り着いたところで。なんとも言えぬ気持に陥ったそのとき、ぱっと目の前にちいさな虎柄の猫が現れて、口の中のモヤモヤは吹き飛んだ。

「おい、にゃん太」と勝手に呼びかけデジカメを構えると、逃げることなく私の足元をするっと通り、淀んだ池の近くにあった水たまりをぺろぺろ。柵があり、少し地面よりも低い位置でかがんで水を飲んでいる猫の姿は、おそらく私にしか見えていなく、通りかかる人からしたら「なぜ、あの女は、こんな花も咲いていない茶色い場所で淀んだ池を見つめながら微笑んでいるのだろう?」と不審に思ったのではなかろうか。

「おーい」と、誰かの呼び声がした。私に、ではなく、その声に反応したのはにゃん太だった。「おーい。マメーー。」と、木陰のベンチにいたおじさんが引き続き呼んでいる。にゃん太改めマメは、そのおじさんのいる方向へささっと歩いていく。私はデジカメをポケットにしまい、ふたたび歩き出した。木陰のおじさんは公園に住んでいる人だろうか。猫の姿が木に隠れて見えなくなったと同時にかがんだ姿勢になったおじさんの姿を遠目で眺め、私は公園の花壇の方へ戻った。

おが屑が地面にびっしり敷き詰められたスペースに、ベンチがみっつ、三角に並んでいる。そばには「ミツマタ」という札のついた、本当に枝が3つに分かれた黄色い花が咲いていた。この空間がすごく絵になるなと思い、湿ったおが屑を踏みつけながらデジカメでバシャバシャ撮る。勤務している美術館は、3月後半から半月ほど臨時休館になる。この機会に、現在企画が進んでいる作品の資料をあつめにどこかへ出かけようかな。そう思ったとき、ふと考えた。

美術館の臨時休館は、もともと年間予定の中に組み込まれていたもので、今日本中の関心を集めている新型コロナウイルスの流行とは全く関係がない。それでもたぶん、春休みに遊びに行く場所を探してうちの美術館を思いついてくれた人が、ホームページを開き、「臨時休館」の文字を見たら、おそらく「ああ、やっぱり、コロナの影響で休館している」と思うのだろうな。別にそれでも全く問題はないのだけれど、それは事実ではない。でも特に説明しなければ、その推測がその人の「真実」になるのだ。『新聞記者』でも、複数のネット記事で「国内の女優に出演をすべて断られたから韓国の女優さんに主演がまわってきた」というような情報が出回る一方で、製作者サイドの人はこれを否定し、「最初から日本の女優さんにはオファーしていなかった」と話されている。真実がどちらなのかを見分ける事は私にはできない。でも、シム・ウンギョンさんの演技はすばらしかったし、彼女が主演で良かったと、ひとりの観客として本当に思っている。


公園からの帰り道、本屋に寄った。ここも子どもの時から通っている古い店である。本好きの友人が「好きな本屋さんを応援する為に、どこでも買えるけど、なるべくその書店で本を買うようにしている」と以前言っていたが、私も「読書がしたいな」と本をまとめ買いしたい気分の時は、いつもこの地元の店に来るようにしている。以前知り合いの新聞記者さんが「あれは結構リアルな記者の雰囲気」と評されていた、横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』(文春文庫)を手に取る。その他に、気になっていた本をさらに2冊抱えた。レジに向かう途中、昔から大ファンである宮部みゆきさんの30年をつめ込んだ新潮社の『宮部みゆき全一冊』なる、ものすごい本が目に留まり買おうかどうしようか迷うが、財布の中身を思い出し、今日はやめておくことにする。食べきれなかったパンがあるし、本を早く読みたいからと近くのお惣菜屋に寄って、人参ラペとスープを買う。すっかり暗くなった道をてくてく歩いてアパートに帰る。今日は、いい休日だった。








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