毎日一首評④

はこばるる母の鏡に廃屋の隣家のさくらあふれゐたりき
/小林幸子『枇杷のひかり』

 何を隠そう私の愛唱歌の一つである。母の亡くなったあとの場面と読んだが、鏡が持ち主を失って(ゴミとして)運ばれてゆく状況がなんとも言えず悲しい。特に女性にとって日々装いに使用する鏡は特別な意味を持つ。鏡が運ばれてゆく様をみて、母が本当に亡くなってしまったことを主体は実感したのではないだろうか。その運ばれてゆく鏡に、最後に隣家のさくらが写りこんだ。しかも、溢れるほどに、である。それは鏡が、いや、母が最期に見せてくれた美しい姿なのだ。

 さて、読みはおおよそ上述のとおりだが、韻律の話を少ししたい。私がこの歌を"愛唱"する理由の一つは韻律の心地よさなのである。分かりやすいところから指摘すると、初句~三句のハ音の頭韻である。「ハこばるるハハの鏡にハい屋の」と続くことでリズムを生んでいる。この頭韻以外にも、音の鈍いA、O、Uの音が多いことにも気づくことができる。これらが生む韻律を裏切る存在がリ音である。つまり、「隣家」のリであり、「あふれゐたりき」のリ(キ)である。鋭いI音の、特に目立つリやリキが四句目の頭と結句の末尾という句の端に位置していることは特筆すべきである(ちなみに、上句にある「鏡に」のミ、ニの音は同じI音でも鼻音であって比較的に目立たない)。このように、ハ音の頭韻を始めとした鈍い音の作る韻律と、それを裏切る要所要所のリ音とが絶妙な韻律を生んでいるのである。

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