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自分の可能性

たまに、考えてしまうこと。それは「自分の可能性」についてだ。今回はそれについて話していきたい。先に言っておくが、僕は努力という言葉があまり好きではない。たくさんの人が「努力」という言葉に病的に取り憑かれてるような気がするからだ。それを考慮したうえで、時間のある方は読んで頂きたい。

自分は対して運動ができるわけでもなく、勉強ができるわけでもない。さらに、歌も人より優れてるとは言えないだろう。だがしかし、これは努力によって覆すことが出来るのではないのかと思う。そう思うが、僕も含め大抵の人は行動に移すことが出来ない、または、出来なかった。
なぜなら、すごく活躍した人が何をしてきましたか?と聞かれ、「努力を積み重ねてここまできました。」と言われても僕みたいな平凡な人には既に「別の世界の人」として映っているからだろう。その人たちは努力ができるという「才能」があるとどうしても壁を感じるのだ。「あの人が言ってたし、頑張ろう!」と思っても今まで続いてきたことがなかった。

しかし、最近になってある変化が自分に起きた。
それは受験シーズンの時だ。僕の中で1番の努力をした時だ。しかし、それは世間一般では当たり前のことで、東大や京大など名門の人達より努力をしたのかと言われると、してない!と全力で答えることが出来る。
だが、その努力をしたのかしてないのかは人の価値観であるのではないだろうか。
僕の中の「ベストを尽くす」は、他の人からすれば「ベストではない」のかもしれない。だが、僕がその「ベスト」で満足出来たのなら、それでいいでは無いか?周りの罵詈雑言なんか無視をすればいいではないかと思った。
このことを例に、
努力は自己満だという結論に至った。

そして、それから可能性という無限大のようなものも、
どこまでやれるかという可能性を信じる、
どこまでやったら自分は満足できるのか、
ということではないのかと思った。

可能性も同様に自己満であることに気づいた。

よく都市伝説系のテレビでやる「信じるか信じないかはあなた次第」はこのことにも当てはまるではないか。全てはイルミナ…おっと、誰か来たようだ。