見出し画像

不登校は子どもより保護者に時間をかけて対応した方が良い理由

この記事では「不登校の子どもの対応をする際には保護者との対話に8割時間をかけた方が良い」という話をします。

先日、いろいろ思うところがあり、下記のようなツイートをしました。

私は過去に小・中学校、高等学校の教員を経験し、その中で約30名の不登校の子どもたちを学校生活の復帰に導きました。今日の話は主に教員の視点から論じますが、この話はもしかすると自分の子どもが不登校になるかもしれない保護者という目線から見ても有益ではないかと思います。

不登校は増え続けている

2018年(平成30年)時点で小・中学校の不登校児童・生徒は約16万4000人(文部科学省, 2019)、30日以上学校を登校していない、病気や経済的理由を除いた人数です。1998年(平成10年)に一度ピークを迎えた後、しばらく平行もしくは減少傾向にあったものが、2012年(平成24年)以降ずっと上昇し続け、気づけば過去30年で最も多い人数を叩き出しています。これが少子化の進む日本で起こっているわけです。

この数字から「そもそも不登校は『問題』なのか?」「そもそも学校に行くべきなのか?」という議論をしても興味深いでしょうが、ここではしません。現在の学校の存在理由を考えれば、学校側が不登校の子どもを学校生活に復帰させる努力をすることは業務として避けられません。にもかかわらず、16万人ですから、指導的にも制度的にも、抜本的な解決に至っていないことは明白です。

不登校の短期解決を目指して、かえって長期化をもたらす悲劇

ではなぜ不登校の子どもが増加し続けているのでしょうか。いくつか理由は考えられますが、その1つは「不登校の長期化」があります。先ほど「30日以上登校できていない」という定義を書きましたが、中には1年以上の子だっています。大人だって連休後に仕事に行くのが辛いように、子どもも休みが続けば余計登校しずらくなるもの。不登校の増加は長期不登校の人数がじわりじわりと蓄積された結果とも言えます。

ただし、長期化を防ぐ方法は割と明白です。

迅速な初期対応、これだけです。

しかしそれができていないのが現状です。最初のツイートに戻りますが、その原因に1つには教員が「子どもの対応"しか"していない」ことが挙げられます。対応というか、要は子どもの説得ですね。教員も最初はすごく熱心なんだけど、1週間、2週間すると教員の方がその子が不登校であることに慣れてしまう。実際、不登校の子どもへの対応は精神的にも肉体的にも根気が要ります。

短期的に解決しようとして、かえって不登校を長期化させてしまうのです。

このような悲劇を起こさないためには、そもそも不登校とはどういう状態なのかを解釈しなおうす必要があると思っています。

子どもにとって不登校は合理的

ここで、改めて不登校の定義を見直してみましょう。先に言っておきますが、この定義は不登校を理解する上では役に立ちますが、不登校を解決する上では何の役にも立たないということを覚えておいてください

不登校とは,何らかの心理的,情緒的, 身体的,あるいは社会的要因・背景により,児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること (ただし,病気や経済的理由に よるものを除く。)をいう。

ポイントは、不登校とは「状態」であるということです。

多くの人は「背景」、すなわち不登校に至った理由に注目するはずです。いじめが原因になることもあるし、急な転校が原因になることもあるでしょう。

ただしそれらは所詮、不登校の「きっかけ」でしかなく、「継続」の原因ではないのです。

また、不登校の「きっかけ」も約半分は「その他(という名の「よくわからない」)なのが実態です。いじめが原因だったら、きっかけとなったものをつぶせば解決できるかもしれません。しかし、本人ですらきっかけがよくわからないものを、他人がどうにかできるはずがありません。

ですから、不登校は「背景」ではなく「状態」に注目すべきです。

そして、「状態」としての不登校の認識は実にシンプルです。なぜなら不登校という状態は「その子にとっては家にいること(学校に行かないこと)に合理性がある状態」といえるからです。この捉え方のコツは、環境を「学校」中心で考えるのではなく、「家」を中心に考えてみることです。

例えばいじめがきっかけであれば「いじめっ子がいるから学校に行かない」のではなく「いじめっ子がいないから家にいる」が正しい。きっかけがよくわからない子は「なんかめんどくさいから学校に行かない」ではなく「楽だから家にいる」が正しい。

不登校とは「学校に登校しないこと」ではなく「家に居続ける状態」であること。そして、その状態を保つことがその子にとって最も心地よい合理的な行動となっているということになります。

このような捉え方をすると、不登校の子供への初期対応も変わってきます。「学校への登校を促す」前にやるべきことは、「家から出る」ことになります。散歩でも運動でもいいし、休日なら家族と旅行に行ってもらってもいい。学校と家というどちらも超狭い世界で二択を迫るより、どうせ休むならいっそ思いっきり外の世界で遊んでこい!くらい言ってしまってもいいかもしれません。

人間というのは大変興味深いもので、「思いっきり休め!遊べ!」というと、経験上、大体8割が1〜2週間くらいで学校に戻ってきます。その多くは「休んだことへの罪悪感」「このままじゃヤバイという焦燥感」「やることがなくなったり飽きてしまって手持ちブサになる」「あれ、そもそも何に悩んでいたんだっけ?」「自分の悩みってなんかちっさいなぁ・・・」などなど。

重要なことは自分で構築した合理性を自分自身で否定させるという点にあります。基本、極端なロジックにコミットしている考えを他人が論理で崩すのは、容易ではないどころか逆効果です。「学校に行かないと人生困る」とか、「みんな君に会いたがっている」とか、そういう御託を並べても、目前の家にいる状態に合理性を感じている子どもにはほとんど届きません。不登校を解決できるのは、基本本人しかいない。そして、その答えを見つけられるのは、家の中ではなく外にある。不登校の半分は理屈で考えても原因が分からないからこそ、状態だけをシンプルに捉えた方が良いと私は考えています。

初期対応は保護者のケアと信頼関係構築が9割

遅くなってしまいましたが、ここからが本題です。先述したような対応というのは、保護者と教員がよほどに心の余裕ち信頼関係がなければ実現はほぼ不可能です。教員は経験を積めば不登校の子どもに出会うことも珍しいことではないですが、保護者にとってはその子一人が全てです。もし私が親の立場だったら、担任が「学校に急いで来なくても大丈夫」といきなり言い出したら、勢いで顔面をブン殴ってしまうかもしれません。

多くの場合、初期は子ども以上に保護者の方が学校に通えなくなったことに不安や焦燥感を感じるものです。なので、一番しっかりと話をすべきなのは、子どもに対してではなく、保護者に対してです。しかも、保護者が不登校と認知した段階で、できるだけ迅速かつ丁寧に行った方が良いでしょう。

具体的には、1)保護者の心配を先出しして感情を汲み取っていることを示す、2)その上で、保護者から話を聞き、子どもの心理状態と今後起こりうる行動をストーリー立てて話す、3)これからとる大人の態度と子どもの思考変容のプロセスを明確に伝える、4)3)の協力を求める、ということをしっかり話すといいでしょう。

特におすすめするのは、子どもに話をする内容とその意図について、先に全て話してしまうことです。ついでにその子がとるであろう反応まで予測して伝えるとより良いです。そうすることで、子どもへの対応に信頼を持ってもらえると同時に、保護者が子どもの立場で考えやすくなるというメリットもあります。

保護者の立場から、子どもが家にいることを正当化するロジックを理解するのはかなり難しいことです。そもそもその価値基準が理解できない、理解できないことに対する苛立ちと不安、自分の子育てが悪かったんじゃないかという自己否定、学校の対応への不審、不登校の原因への様々な憶測の想起(最悪そこで存在しないいじめが誕生することもある)など、心理的にはとても落ち着かない状態です。必要があれば保護者にまずカウンセラーを紹介することも検討した方が良いでしょう。

何をどう捻っても、子どもと一緒にいる時間で教員が保護者に勝ることは絶対にありません。なので、保護者にまず不登校の「状態」とはなんぞやということを理解してもらい、理解したことに安心してもらうのが近道です。

結局のところ、不登校は本人と保護者にしか解決できない

不登校の原因を考えるのは正直とても不毛です。原因がはっきりしないことの方が多いし、原因があったとしても取り除くための制度やルールが存在しない場合も多いです。教員の立場でできることは限られているし、その事実は保護者にも知ってもらった方が良いでしょう。どうにもならないをどうにかしようとするのは、時間と労力の無駄です。

不登校の状態を解決する方法は、結局のところ「不登校状態を続けることに本人が合理性を感じられなくなる状態」に導くことであり、ジャッジするのは子ども自身。それに直接寄り添えるのは基本的に保護者です。

不登校は学校という存在がなければ起きない現象ですから、教員が解決しなければならないという発想はそもそも傲慢です。不登校の初期対応で保護者の対応ができない教員は、自分の立ち位置とその限界を誤解しています。

冒頭の不登校数の増加を見ると、教員が子どもの置かれている世界の認識が遅れている可能性も少しよぎってしまいます。今回は、ある子どもが不登校になった場合の話をしましたが、不登校をそもそも出さない環境づくり、あるいは学校に行かなくても学べる環境づくりはまた別に議論しなければならない内容でしょう。学校関係者の中で、そういった議論がもう少しちゃんと深まっていくことも心より願いたいものです。

最後まで読んでくださってありがとうございます!