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めずらしい生き方にはほど遠いけど僕は僕を信じて生きていって #人生を変えた一曲 by LINE MUSIC

ある夏の日、外回りに出ていた。
その日は朝からかんかん照りで、昼のピーク時には蜃気楼のような現象が見えるほどだった。
 
革靴の中は蒸れて気持ちがわるい。
歩くたびにシャツの脇に汗が滲んで、スーツパンツも今にも脱ぎ捨てたい。
ダメだ。人が外に出ていい温度ではない。
ドトールで休憩がてらアイスコーヒーを1杯飲んでからクライアント先へ向かおう。
 
今日こそはしっかりと結果を残さないといけない。プレッシャーと焦燥感に苛まれる。
 
スマホを取り出してGoogleマップを開く。
日光で熱を帯びるスマホの画面を汗で湿った指先でなぞる。
検索の読み込みでグルグル回るアイコンをしばしの間ぼーっと眺めて、検索結果を確認して落胆する。
 

この街にドトールはなかった。
ドトールほど探せばすぐに見つかるコーヒー店もないのに。
厳密に言えば、数キロ歩いた先に店舗はあったが、その距離を歩く活力はなかった。
外れにある見知らぬ喫茶店に入るのも気分が乗らず、結局そのまま歩きはじめた。
 
フラフラと体を揺らしてクライアント先に向かう最中、ふと道沿いにあるガラス張りの医院に映された自分の姿を見て、辟易とした日々で積み上がっていた何かが決壊した。
 

自分は何をしているのだろう?
本当に自分のしたいことはなんなのだろう?
こんな生き方でいいのだろうか?
 

自問自答しても見出せなかった。
当たり前だ。今まで自分に真剣に向き合ってこなかったのだから。その事実が恥ずかしくて情けなくて仕方なかった。
 
今日もダメだった。
定時が過ぎ、悶々としながら残業をしているとオフィス内にひとりになる。
空虚なオフィスは心と連動しているようで、一刻も早くここから抜け出したくなった。
 
施錠と消灯をしてビルの外へ出る。
いつものようにイヤホンをして、足早にターミナル駅までの雑踏の中に身を融け込む。
耳に入る音は、街の喧騒と相反して優しく響いて、繰り返すさざなみのように心を撫でる。
 
行き場をなくして彷徨っていたあの頃、確かにこの曲は僕の心を繋いでくれていた。
 


23歳の時に広告代理店に入社をした。
恥ずかしい話だがやりたいことがあるというわけでもなく、何か想い描く未来があるわけでもなく、漠然と何かを企画したいという理由で就活をして、最初に内定を貰った会社へ入社をした。今思えば、性格的に間違いなくNGな業種なのだが、浅はかな広告代理店のイメージが若気の僕の歩を進めたのだった。
 
配属部署は営業部。
目の前には、ジェルでピシッと整えられた七三分けのツーブロックヘアーの男。
周りを見渡すと、威圧感のあるスーツを着たガタイの良いキューピーヘアーの男。
隣にはキューピーヘアーの男に憧れているのか、同じくキューピーヘアーにしている子分感溢れるキューピーJr.の男。
他にも様々なキャラクターがいたが、一瞬で僕はお門違いであることがわかった。
 
誰しもがひと目で思うだろう。
ザ・体育会系だ。
さながら、チーターの檻に放られた産まれたての子羊のように僕は震えていた。
いや、キューピーの檻か。一時期キューピー3分クッキングがこわかった。
 
とは言え、業界的にある程度は体育会系であることは承知の上で、これも社会人経験のひとつだとその時は血気盛んに食らいついていこうと思っていた。
 
入社から2ヶ月が経ち、いよいよ本格的に仕事をしていくという時、ある一抹の不安を抱えていた。
 
その不安の正体は、直属の部長だ。
よくこの人今まで社会で生きてこられたな?というくらいに理不尽で愛想がなく、話しても会話が続かない。
 
年の差が二回りはあり、接し方がわからないのかもしれないが、それにしてもだ。
「井の中の蛙大海を知らず」と言うことわざがあるが、今まで自分が生きてきた世界は本当に狭かったのだと、社会という枠組みを少しだけ捉えた瞬間でもあった。
苦手というレッテルを貼ってしまってからは、部長の目線をなるべく避けてオフィス内を行動するようになった。
過去、集団生活のなかでこういう挙動をしたことなどなかったのに。
 
もちろん、報連相もし辛くなった。
しかしそれを咎められるわけでもない。無言の圧力だけが常に僕を覆っていた。
他人から受け取る感情で一番怖いのは無関心であると肌で感じた。
 
日々、自尊心が削られていくなかで、この会社で我慢して働く意味がどれだけあるのかと考え始めた。
 


会社の飲み会が週1回は必ずあり、多いときは週3回の時もあった。
いかにも体育会系のペースといった感じで、この人たちの血液はアルコールで生成されているのか?と疑った。
とはいえ嫌だったというわけでもなく、その頃はこれが社会人の醍醐味であり、社会人になった証なのだと、夜の繁華街を闊歩していたのを覚えている。
 
しかし、意気揚々と参加していたのは最初のうちだけだった。
 
僕はお酒に強くない。
一定量を飲むと顔は赤くなり、摂取量によっては蕁麻疹のようなものが身体に出現する。
アレルギーではないが、そういう体質なのだ。そして異常にトイレの回数が増える。
 
「俺も若い頃は全然飲めなかった」
「飲み続ければ強くなる」
「飲めないとこの仕事はやっていけない」
「飲めないのに何故この業界に入ったんだ」
 
何度言われた言葉だろう。
まだまだ飲めます、と何度トイレで喉奥に手を突っ込んでリバースをして何事もないような顔で席に戻っていただろう。
一度、机の上でマーライオンのようにぶち撒けてやろうと考えたこともあったが、人間としての尊厳は失いたくなかったからやめた。
 
ある時、他部署の年配の上司に「酒、ギャンブル、風俗をやらないで何が楽しい?」と言われた。
こうした化石のような価値観の人物に出会った時、別に否定をするわけではないけれど不憫だなとは思う。
 
この人は、ライブハウスのバンドサウンドが体の中で縦横無尽に踊る感覚を知らないんだ。
この人は、映画館や美術館で作品を観て外に出た時に見える世界が少し変わっているような感覚を知らないんだ。
この人は、深夜ラジオを聴きながら住宅街を散歩して、明かりの灯ったマンションの一室の誰かの生活に想いを馳せる感覚を知らないんだ。
 

何を楽しいとするのかは自由だし感情のトリガーは十人十色であるというだけで、別にわかり合おうとも思ってもいないから「楽しいんですかそれ?今度やりますね」と適当に返して席を立った。
 
その時、入れ替わりで席を外していた上司が戻ってきたようだった。ちょうど柱に隠れて僕の離席する姿が見えなかったようで、開口一番こう言った。
 
「あれ?忍者どこ行った?」
 
僕は陰で忍者と呼ばれていた。
 
「またトイレか?毎回いつの間にいなくなっているから本当忍者だよな!ワハハ!にしても、よくわからないなあいつは。酒も飲めないし浮いた話もゲスい話も無いし。あいつは大丈夫なのか?」
 
まぁ陰口は言われてるだろうなと感じていたから特にショックも何もなかったが、逆にここまで価値観が正反対な人間をよく会社に入れたなと思いつつ、例のごとくトイレに向かった。
いつでも雲隠れをしてやるぞ。ジャパニーズ・ニンジャの名の下に。ニンニン。
 


おぇ。
朝から何を食べても吐きそうだ。
ランチまでには治るかと思ったが、大好物の唐揚げは口に含んでないのに見るだけで脂の味が口内で再生されて嗚咽をした。
 
逆流性食道炎になった。
初めての経験だった。
食べたいのに食べられないってこんな辛いことだったんだ。
 
自分は精神的に強い方だと思っていたし、ストレスからくる不調には無縁な人間だと思っていた。
だが、身体は正直で危険信号を出しているようだった。
 
この出来事をきっかけに、いつかは転職したいなぁと抽象的に考えていたことを、この日までには転職をすると意思を固めた。
その頃、会社も転換期で環境ががらっと変わるかもしれないという最中だったが、
もっと自分に合う仕事があるはずだと信じて転職活動を始めたのだった。
 

──転職活動中によく聴いていた曲、冒頭でイヤホンから流れていた曲はスピッツの「ルキンフォー」だ。

前向きな応援ソングであることは確かだが、「ルキンフォー」はどこまでも聴き手に寄り添ってくれている曲だと思っている。
 

ダメな事ばかりで折れそうになるけれど
風向きはいきなり変わる事もある

「変わる」のではなく、変わる「事もある」のだ。

めずらしい生き方でもいいよ
誰にも真似できないような

生き方「にしよう」ではなく、生き方「でもいいよ」なのだ。

届きそうな気がしてる
不器用なこの腕で届きそうな気がしてる

「届きそう」ではなく、届きそう「な気がしてる」のだ。
 
たった数文字で受け取り方は全く違うものになる。
言い切りの言葉は、一見聞こえは良いけれど時に無責任だ。
大丈夫。できる。口で言うのは簡単だ。だがそれを実行するのは言葉を投げ掛けた人ではなく、自分自身なのだ。
 
もしかしたら「ルキンフォー」の詞を弱々しく感じる人もいるかもしれない。
しかし、ここまでこれから訪れるであろうまだ見ぬ未来を聴き手に想像させて、自然と勇気付けてくれる巧妙な詞もないのではないかと思う。
 
めずらしい生き方にはほど遠いけど僕は僕を信じて生きていってもいいんだ、と思えた。
本当の意味での優しさと強さに溢れたこの曲に、僕はとても救われたのだ。
 

──いまは異業種に転職をしてそれなりにやれている気がしている。
面倒見がいい上司に自分の好きなことも話せている気がしている。
 
 


探し求めていたドトールは、いまのオフィスの窓から見つめた視線の先にある。


こちらの記事は、LINE MUSIC公式noteオムニバス連載「#人生を変えた1曲」に寄稿したものです。今回ご紹介した、スピッツの『ルキンフォー』も、LINEMUSICで、誰でも月に1回、無料でフル再生できます。



 

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