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一ノ瀬志希と《水鏡の迷宮》


一ノ瀬志希の魅力のひとつとして、「また志希にゃんがPくんのシャツをハスハスしてる……」というような光景を(原作準拠にせよ二次創作を含めるにせよ)簡単に想像できる点が挙げられると思います。

ところでこの「Pのシャツを勝手に拝借する」という行為は、もしかすると「天女の羽衣を奪う」行為に比すことができるのではないか――そんな思いつきを『秘密のトワレ』の歌詞とつなげてみたのが、今回の考察です。

羽衣伝説(あるいは天人女房説)に関連するものとして、白鳥処女説話と呼ばれるジャンルがあります。それはおよそ次のような出だしを持ちます。

たびたび彼女たちは空から白鳥の姿で舞い降り、その白い羽根の衣を着物のようにぬぐ。すると美しい乙女となり、静かな水のなかで水浴をする。
好奇心にみちた若者などにその場を不意に見られると、いそいで水からとびだして、あわてて羽根の衣をまとい、ふたたび白鳥の姿になって空中高く舞い上がる。――ハイネ『精霊物語』

ここでハイネはデンマークの歌謡について述べているのですが、これに似た話は日本でもお馴染みのものです。
たとえば『鶴の恩返し』のお話などを、絵本なり教科書なりで読んだことのある方は多いと思います。これは「天女の羽衣を隠して自分の妻にする」という現代人からみると多少不道徳な部分が、「恩返しに来た鶴が反物を織ってくれる」という展開になっているわけですが――

正直私に言わせれば「志希にゃんは天女を演じるのも鶴を演じるのも、正直あまり喜びそうにないな」という気がしないでもありません。
それというのも、彼女はむしろ「天女の羽衣を奪う男」を演じる方が「たのしそー!」と感じるタイプであるように見えるからです。

男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。――芥川龍之介

こうして、ひとまず志希は狩る側、Pは狩られる側の役回りを演じることになるでしょう。しかしこの構図は、志希とPの不変の関係であるというわけではありません。
どこかのタイミングで一ノ瀬志希ならではの失踪癖が発揮されるやいなや、
今度はPが狩る側、彼女は狩られる側に回ることになり、立場は簡単に入れ替わるのです。その場合は今回タイトル画像に用いたような彼女自前の白衣を目印に、Pは彼女を捜すことになるのでしょう。

私が思うところによると、志希にゃんの失踪癖もまた「つまんなーい」という脳内の分泌物の作用に突き動かされたものです。敷衍するなら、Pと志希はふたりしてお互いに "chemical show" の影響を受け、また "magical show" を披露しあっているともいえるのではないでしょうか。

このあたりで私が思い出すのが、北海道アイプロの時の台詞です。

……うん、そう。『どっちもかも』しれませんね。ただ、こちらの側でもうひとつ付け加えさせていただけるなら、檻の向こう側でふたりを飼っているのも、やはりPと志希のように見えますけれども。

つまりそこはミラーハウスのごとき迷宮の世界なのでありました。そこで「どうせなら本気で脱出を試みるのも、アトラクションを楽しむ秘訣だし」と覚悟を決めて、いろいろ調べてみました。さて、私が揃えた神話や昔話の数々を駆使して、脱出の糸口は掴めるものかどうか。なんの保証もありませんが、とりあえずは出口目指して一歩進んでみましょう。

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彼女のソロ曲『秘密のトワレ』もまた "chemical show" や "magical show" といった語彙を用いて、そのアトラクション性を露わにしています。これがどういうタイプのアトラクションなのかというと、ただの迷宮ではなくて、ふたりきりで遊ぶ鬼ごっこの舞台としての迷宮ではないかと思われるのです。ゆえにそこでは、狩る側/狩られる側の切り替えも行われています。

遠回りながら順序立てて申し上げますと、神話伝承の中には、男女の役割逆転というアイデアを、異性装で実現したものがありました。
たとえばその例はヘラクレスの女装だとか、ヤマトタケルの女装だとか、諸国の英雄たちの活躍を追う中に、しばしば見出されるでしょう。男装ということであれば、本邦の白拍子を例に挙げてもよいかもしれません。
しかし白鳥処女説話においては、それとは全く異なる発想で男女の役割逆転が実現しうるのです。

それは「生贄に捧げられた女性主人公が、自分を食らいにきたはずの神的存在を無力化して、自分の夫にする」というタイプのお話に顕著なもので、私が一ノ瀬志希とPの関係とあわせて今回語るつもりでいるのは、異性装よりはこちらがメインになります。

その例として挙げられるのが、たとえば御伽草紙に記載された七夕伝説であり、はたまたクピドとプシュケの物語でもあるわけです。

駆け引きも告白も cupidの戯れ

クピドというのは『秘密のトワレ』の歌詞に織り込まれている、この "cupid" のことです。ギリシア神話に登場するアプロディテの息子・エロスを、古代ローマ人はそのように呼びました。ですからクピドは、相手が神々であろうと強烈な恋心を煽らずにはすまない弓矢を持っています。

この恋の矢は、『秘密のトワレ』の中でいうところの "magical show" を示しているようでいて、その実 "chemical show" を代表しているのかもしれません。なぜなら恋は化学式ですし、神々でさえ抗えないクピドの矢はまさしく狂気の沙汰(=crazy things)に他ならないからです。

さて、とある国の第三王女であったプシュケは、あまりにも美しかったので、女神のように崇拝されました。そのため、アプロディテの祭壇はさびれ、人の姿もまばらになってしまいます。
このような理由からプシュケは女神の怒りを買い、「美しくても人間からは愛されない」という罰を受けました。それと同時に「プシュケは人ではないものの妃になることを運命づけられている。とある山頂に巣食うその存在には、神々でさえ太刀打ちできないのだが」という託宣がくだります。
このお告げを人々は「プシュケを怖ろしい怪物の生贄に捧げなければならない」という意味に解釈し、おそれおののきます。

一方プシュケは、殊勝にも観念しきっていました(=狩られる側)。
「かわいい、きれいだ」と周囲から持ち上げられ続けて、うかうかと神輿にのせられた私が愚かだったのだ。それが女神の怒りに触れたのだから、怪物の生贄になって死ぬのも当然かもしれない――
その感情の動きは、一ノ瀬志希が自身のギフテッドを前提としつつ、そこに事実以上の意味を付け加えようとしない態度とつながっている気もします。

しかしプシュケの前に現れたのは、怪物でも人間でもない、神であるところのクピドでした。

実を言うと、クピドがプシュケに接触したのは、これが二度目です。
かつてアプロディテは腹立ち紛れに、「プシュケを恋の弓矢で射なさい」とクピドに命じたことがありました。「あの娘がしょうもないおっさんとくっついて、世間様から幻滅されるところを見たいわ!」という感じです。
ところがクピドは誤って自分を弓矢で傷つけてしまい、自らがプシュケーを愛するような立場になっていました。

あたしなしではもう 渇望も癒えずに
さぁさchemical showの幕があがる タラーンタラーン

この出会いによって、つい先刻まで己が破滅を覚悟していたはずのプシュケは、狩られる側から一転して狩る側にまわることになります。

両方の羽を奪い鎖でつなぎたい 主の訪れだけを焦がれて待つの

この主というのは多分「犠牲(=お供え)を受け取り人々を嘉する存在」という意味です。つまり神ですね。奉納されたプシュケをクピドが抱きしめて「オッケーでーす」みたいな。そんでプシュケの方でも「オッケーでーす」みたいな。そんな感じでふたりは結ばれます。

しかし結局プシュケはクピドの姿をみたことがなく、彼が神であることも知りませんでした。白鳥処女説話によくあることですが、神人あるいは天女の素性は、厳重に秘密にされるものです。そしてその正体を見られたり、羽衣の隠し場所をつきとめたりした瞬間、彼(彼女)は姿を晦まします。

プシュケの場合は二人の姉から「一応真の姿確かめときなさいよ。蛇の化け物だったら、これでブッスリいっちゃいなさい」と短刀を渡されます。迷いもなかったわけではなかったようですが、結局プシュケは「見るだけ見て、蛇じゃなかったら刺すのやめればいいし……」という感じで、好奇心に負けてクピドの真の姿を覗いてしまいました。

「別に真の姿みられちゃってもよくない?」という感想もないではないですが、それは現代人の目線でしょう。神話の時代だと、神の真の姿を目撃した人間は、気が狂うとか死ぬとか、ろくなことにはなりません。
たとえばゼウスの真の姿を見たセメレーは、ゼウスがまとう雷の熱に耐えきれず焼き尽くされたといいます。

そんなわけでクピドは、少なからずプシュケを思いやる心もあって、彼女の前から去りました。もともと自分がプシュケに対して抱いている気持ちが "chemical show" によるものだという後ろめたさもあったかもしれません。

このような事態に直面して、プシュケは心から後悔します。ああ、あんなことをしなければよかった――ところが彼女はクピドを諦めるでもなく、大人しく帰りを待つでもなく、むしろ自らクピドを取り戻す旅に出ることを決意するのです。

・あたしは時間を無駄にはしない主義なの
・恋は化学式 だけどこれはserious love

クピドの真の姿を見た時、プシュケ自身も誤って恋の矢に触れてしまった(=同じchemical showにひっかかった)のだともいいますが、いずれにせよたくましいというか、なんというか。

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以上のように、白鳥処女説話は、長いものになると三幕構成になっているようです。
その第一幕では、白鳥の乙女の羽衣を盗んだ男が、彼女を妻にします。
第二幕では、妻が奪われた羽衣を発見するか、正体を見破られるかして、飛び去ってしまいます(=失踪)。
そして第三幕がどんな話になるかというと、男は失踪した妻を取り戻すため、妻の父から課された試練に挑まねばならないのです。

このような物語の主人公とその相手役に、常に名前が与えられているとは限りません。しかし名前を与えられている(あるいはあてはめられた、ともいえるでしょうか)場合もあって、その一例が、七夕のお話に出てくる天帝の娘・織姫と彦星ということになります。これがゲルマンではオーディンの娘プリュンヒルド(=ブリュンヒルデ)とジーフリト(=シグルド)という名前の組み合わせで記憶されている――というのが私の理解です。
そこから更に男女の役割が入れ替わると、御伽草紙における天稚彦と名もなき娘になったり、ローマ神話におけるアプロディテの子クピドとプシュケになったりするわけなのでしょう。

さて、プシュケはクピドと再び暮らすために、天帝ならぬアプロディテの神殿を訪ねて、三つの試練を課されます。
試練の内容のふたつめまでは「床に散らばった大量の豆類を仕分けする」「金毛羊の毛を全て刈りとる」といったもので、プシュケはこれら二つの試練を、旅の途中で偶然親切にしたケレス(=デメテル。大地母神)などの協力を得て、クリアしていきました。
そして彼女を待ち受けていた最後の試練は「プロセルピナ(=冥府の女王。ケレスの娘)のところまでお使いに行って、美(=magical show)をわけてもらう」というものだったのです。

このような冥府行の典型例として挙げられるオルペウスやイザナギの物語において、彼らは妻を冥府から連れ帰ることができません。
プシュケも実際、この最後の試練を達成することができませんでした。
みんな決まって「見てはいけないものを見る」という禁忌を犯してしまうのです。

プシュケの場合は、本来アプロディテに手渡すべきお使いの品だったプロセルピナの小箱を開けて、中を見てしまいます。

神々(=魔法の使い手)が、なにを使って化粧しているのか知りたい。そしてあわよくばそれを用いてクピドをもう一度魅了したい――プシュケはそのようなことを考えていたのだと、この物語を語り継いだ人々は想像してきました。

君をたぶらかす香りに投与して
さぁさmagical showの幕があがる タラーンタラーン

しかし箱の中には想定外に危険なものが入っていました。睡眠は美の秘訣とはいいますが、それは冥府の眠り(=死)であり、不死の神々以外には扱えないものだったのです。かつてクピドの本性を暴いた時と同じ好奇心が、彼女を今度は致命的な失敗に導いたといえます。
冥府から現世に戻る道の途上で急激に体温を失いながら、安らかにして永遠なる眠りを予感して、プシュケはこのように考えたことでしょう。

清浄なる世界で 君とこうなりたかった あぁもう戻れない ごめんね

にもかかわらず、クピドとプシュケのお話は、バッドエンドではなくハッピーエンドを迎えます。
古代ギリシア人は、深刻な悲劇を書くかと思えば、その一方でハッピーエンドにもこだわりをもっていました。彼らは『magical showの幕があがる』と宣言した途端にその幕がおりるような竜頭蛇尾を許さないでしょう。
古代ギリシア人が「妻を連れ帰れなかったオルペウスのお話」だけでなく、「妃をヘラクレスに連れ帰ってもらったアドメトス王のお話」にも拍手喝采を送ったことは、このような心理に支えられています。
古代ギリシア人に限らず、ローマ人や我々にしたって、同じ心のはたらきに動かされることはあるものです。我々はいつだって、気に入ったお話の続きを、もっと聴きたいのですから。

「どちらの結末が人生の真実をより多く物語っているか」といった論点に、私は関心がありません。
ただ、クピドとプシュケの物語は、Pと志希の生活風景の一部にしっくり重なるものと感じることがあります。ではいったい両者はどのように重なるというのか、そこのところを試しに少しだけなぞってみましょう。

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ある日、一ノ瀬志希は、Pの上着を勝手に拝借してクンカクンカしておりました。ところがそのジャケットは、これから外回りに出かけるPが着ていくために用意してあったものでした。
「上着返してくれ。それから、二時間ぐらい事務所あけるけど、俺がいないからってレッスンさぼんなよ」
ドアを強めにガチャンと閉めて、Pはそそくさ出て行ってしまいました。

彼は彼でアイドル・一ノ瀬志希のプロデュースをがんばっているようですが、志希にゃんにしてみれば、これでは「つまんなーい」わけで、例の失踪癖が頭をもたげます。

さて二時間後、外回りから帰ってきたPは、事務所に志希にゃんがいないことに気付くことでしょう。Pは憤慨/心配しつつも再び町に出て方々を尋ねまわり、己の担当アイドルを連れ戻そうとするに違いありません。

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クピドもこのPと似たような感じで、プシュケが母と面会した直後から行方不明になっていることを知ってショックを受けます。
居ても立ってもいられなくなったクピドは、母を問い詰め、冥府まで出かけて、怪我こそないもののぽっくり死んでいるプシュケを発見するのです。

君には きっと狂気の沙汰(crazy things)

正直「おまえなー…」とボヤいたのではないかと私は思いますが、とにかくクピドはプシュケの身体を抱えて、冥府から再び天に昇ります。
そして三度こういうことが起きないよう、神々の父・ゼウスに懇願して、プシュケに不死(="magical show" を開演しうる権能)を授けてもらいます。今度こそふたりは、晴れて夫婦となったのでした。

この時、ゼウスに懇願するクピドの必死さたるや、志希にゃんの失踪絡みで関係者に頭を下げてまわるPと変わるところはないでしょう。
その姿をみてプシュケも志希にゃんも一時は反省するのですが、それはそれとして、また次の騒動がすぐに持ち上がる可能性は否定できません。

ついさっきまでいたゴールの向こうには、おそらく次の迷路のスタートがあって、なかなか鬼ごっこは終わらない――これはそういうお話なのでした。めでたしめでたし。(了)