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真冬の大冒険 轉 '格闘'

落ち着け。
まともに考えろ。

不動産屋かセキュリティ会社の窓口が開くのが朝10時として
最低でもあと5時間ある。
それまでどうするつもりなのだ自分よ。
どこで何をしようというのか。                       

手ぶらで。
ノーマスク部屋着のまま。
この寒空の下に。
5時間も?

無理無理無理無理。
絶っっっ対に無理。

こうしている場合ではない。
今できることをしなければ。

マンションの敷地のまわりをぐるっと一周してみる。
お行儀よく並んだ部屋の窓はどれも暗い。
何の収穫もなく二つ目の角を曲がり、
裏通りに面した一角にさしかかる。
おお、煌々と光を灯した窓が!

……うちだった。
すぐに戻るはずだったから
もちろん電気はつけっぱなしだ。

でも待てよ、隣の部屋の窓も明るくないか?
なんならその隣の窓も!
救世主!!

大急ぎでエントランスに走り、
オートロック操作盤の前に立つ。
うちの隣だから部屋番号は最後の数字を一つ足せばいい。
非常識という言葉はこの際忘れるしかなかった。
大きく息を吸い込み、
部屋番号に続いて呼び出しボタンを押した。

静まり返ったエントランスに
機械的な呼び出し音が鳴り響く。
一回、二回。
お願い、出てくれ。
オートロック教の熱烈な信者と化して
操作盤に切実な祈りを捧げる。
三回目を最後に呼び出し音は止まった。
沈黙にすべてを懸けて待つ。

応答はなかった。

はー。
そりゃそうだよな。
こんな早朝にインターフォンが鳴るなんて怖すぎる。
犯罪者だろうが怪奇現象だろうがお断り。
私だって出ない。

仕方ない、次だ。
部屋番号の末尾を二つ足して
呼び出し再チャレンジ。
確率は2分の1。
頼む、出てくれ。

呼び出し音の仕事は完璧だった。
賭けに負けただけだ。

いや、まだ望みはある。
時間外すぎるインターフォンの呼び出し。
朝帰りの酔っ払いが部屋番号を間違えて押したのかもしれないじゃないか。
それなら出なくて当然だ。
でも二度目があったらどうだ?
誰かが明らかに目的を持って鳴らしているとしたら?

よし。
迷いのない手つきでもう一度、隣の部屋の番号と呼び出しボタンを押す。
つい数分前はあんなにドキドキしていたのに
もはや罪悪感はなかった。
慣れって恐ろしい。

出ろ、出ろ、出ろ。
出るのか?
出ないのか?
出ないと思わせて……
出ないのかー!

くっそー。
だったらなんで電気をつけてるんだよ。
思わせぶりなことするなよ。
出てくれないならいま起きてる意味がないじゃないか。

無駄だとわかっていても逆ギレを止めることはできなかった。

*次回、「前進」へ



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