カラヴァッジョ
「カラヴァッジョは人を殺したんだ」
ポスターに釘付けになっている私を見ていたのか、私と同じようにポスターを見ていたのかは分からない。
「あのような光の当て方は彼の発明だよ」
その言葉をぼんやりと聞き、数秒かけて答える。
「人の絵ばかりですか」
「時代的に宗教画が多いだろうね」
そこでようやく、後ろに立つ先生を振り返った。
「絵は好きですか」
小説的なちぐはぐな受け答えにも ちっとも怪訝な顔をせず、先生は微かに笑みを浮かべる。
「好きだね」
私はまたカラヴァッジョのポスターに目を戻す。
「最近になって、絵を見たいと思うようになりました」
返事はなく、先生に聞こえたのか分からなかった。
「それで、どんな絵が好きなの」
やって来た電車に乗り、隣に座った先生の質問に先程の言葉が聞こえていたことを知る。
「昔は写実的なものが好きでしたが、今は抽象画の方が気になります」
もっとも、よく分からないんですけれど、と肩を竦める私に先生は頷く。
「理解できる年齢になったんだよ」
「僕は今の歳になってようやく、現代日本の画家を見られるようになった」
現代日本の 画家を 見られるように なった ?
先生は時々、よく分からないことを言う。
「それで、最近は何を見るの」
「点描を見たときは驚きました。シャ、みたいな、シ、みたいな人」
「シニャック?」
「そう、そうです」
伝わったのが嬉しくて、私は にっこりする。
「今、兵庫でゴッホ展をやっているようですが、彼の絵は少し色が激しくて。シニャックの淡い色が素敵です」
「ゴッホがあんな絵を描くのは本当に最期の数年だよ」
「弟がいましたね、」
「そう、テオ」
沈黙。
じっと考え事をする私を、先生はほおっておいてくれる。
返事をするのに時間がかかるだけで、無視をしている訳ではないことを知っているのだ。
「あの、日本の影響を受けたのって、」
「あぁ、ゴッホだよ」
予想通りの答えに私は満足した。
「春休みは絵をたくさん見たいです」
「それがいいよ。僕も大学生のときはよく見た」
「東京には沢山ありますしね」
「そう。それに、"あっち"でも、実物を見る機会は多かったんだ」
私は ぎゅっと目を細める。
「いいなぁ、私もフランスに行ってみたい」
先生は微笑んで立ち上がり、 下りようか、と言った。
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