母が母でない瞬間
10数年前、父は胃癌から膵臓ほか内臓への転移で亡くなったが、母のように、痛みで苦しんでる様子はなかった。
子宮頸癌と骨転移の末期が、こんなに痛みをともなうものだとは、まったく知らなかったし、現代の医療でもう少しどうにかならないかと思う。
痛み止めの量は、麻薬も含めて徐々に増えていく。今は、1日にフェントステープ8mgを2枚、粉末にしたリリカ2錠分が定時で、それ以外に痛みがあった時に飲むオキノーム散は、1回につき20mgを2包。オキノーム散が必要な回数は、日によってまちまちで、痛みがおさまらずに連続で必要な日があったり、ずっと眠っていて、朝まで必要でない日もある。
今の薬の量になる少し前から、せん妄の症状が出てきていたけど、この1週間はさらに増してきて、変なことを言い始めたり、会話がかみ合わないことが多くなったし、声そのものが小さくて、かすれ声になった。
たまに、気味が悪いぐらい、小さな子どものような表情をしたり、目をパチパチさせてきたり、こちらがたずねたことに対して、ぜんぜん関係ない返答をしてきたりする。
母は、癌が発覚する前に、妄想が始まり、一時期は、部屋が盗聴されていると言って警察を呼んだこともあり、私がいくら否定しても無駄だった。
癌患者になってからは、自分の身体と付き合っていくのに精一杯になったこともあり、皮肉にも、妄想からくる言動は、完治ではないにしても、だいぶ良くなった。
そして、今は薬で麻薬中毒患者のようになり、起きがけの母はまだ普通だが、朝の薬を飲ませると、それ以降のほとんどの時間は、寝ているか、起きても、私が今まで知る母ではない。
もちろん母であることには変わりないし、もはや受け入れるしかないので、変なことを言っていても会話を合わせている。さみしいけど…。
なので、母がいつもの話し方をしてくれる瞬間は、なんだかホッとするし、まだ母は母なんだと実感する。
母とつじつまの合わない会話をするうちに、認知症の家族を持つ人の気持ちが、とてもよくわかるようになった。
義理の母は、私が旦那と出会う前から認知症で、認知症になる前は、まったく別人だったらしい。
私の知る義理の母は、口数が少なく、優しい少女のようなイメージだが、以前はうるさいくらいずっとしゃべっていて、何から何まで全部自分の独断で指揮を取るような人だったそうだ。
結婚当初、旦那はよく「お母さんは、前はあんなんじゃなかったんだ、あまりの変わりように、受け入れるまで時間がかかったよ」と話してくれていたが、旦那の気持ちを本当に理解できたのは、最近かもしれない…。
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