「時代を見なくて済む環境」言葉の切れはし#19

世間で面白いと思われてるものと、自分が関わっているものとは所詮違うという他人事感が東京にいたころにはありました。それが水曜どうでしょうを始めることで自分を足していくってことを覚えたわけです。そうさせたのは頼るべき権威者がそこにはいないという状況です。
だから水曜どうでしょうをやりながら、自分自身に面白いかどうかを問いかけることになったので、なんかもっと時代を見ないで済むような根源的な感覚を得たのだと思うのです。その根源的な感覚に入り込んだのは、制作していた場が東京ではない北海道というあまり世間を気にしないで済む田舎だったからであるような気もします。
--嬉野雅道

(突然ですが、今回からすべて無料公開になりました)(どういうことを考えて無料にしたのかは、後ほどnoteにしようと思います)

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