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「ひ弱な熱意」嬉野さんの言葉の切れはし#355

自分の目がみつめる対象が、この自分が向けたカメラのレンズを通してのみ、世間とつながる。
自分の目玉が世間に広がる唯一の通路。
そういうひっそりとした状況がないと熱意が湧かない。
ーー嬉野雅道

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さて、番組開始当初から、旅先の思い出、のどかな枠撮りの情景と、どうでしょう関係の写真を撮り続けてまいりました嬉野でございますが、この一、二年は、さっぱり写欲が湧かず、めっきりカメラを手にしなくなっております。
大泉洋さんなどは、写欲の湧かぬ原因を嬉野がじじいになった証拠だろうと、私の老化に焦点を当てて分析されておるようですが、そうではない。
私は番組立ち上げ当時、映像に残したい対象が現れた!と自覚したからこそ、熱心にその対象に向けてシャッターを切っておったに過ぎないのだと思うのです。
こういう楽しげな番組があったのだということを、将来、老後の楽しみとして是非残しておこう!
近所の人たちに見せびらかしてやろう!
写真は記録だ!
そう思い込んでしまったので、旅にカメラを携行し、肝心のテレビカメラは三脚に固定しっぱなしで、本番中にも、枠撮りの時にも、私は、周囲の者に迷惑がられながらも、挙動不審の者と訝しがられながらも、パチパチと写真を撮っておったのでございます。
じゃ、どーして最近は写真を撮らなくなったのだ!と。
ひょっとして今のどうでしょう関連は、映像に残すに値しないと心変わりをしてしまったのか!と。
そういう疑惑も湧いてくるやもしれませんが、そーではない。
単純な話です。
私以外にも、多くの方々が、どうでしょう関連を記録に残し始めるようになったからなのですよ。
こういう状況になってしまうと、
「だったら別に私が撮ることもないか」と、思えてしまうのでございますよ。
それくらい私にとって、写真というものは、どこまでも個人的なものなのでございましょうね。
こんな楽しげな旅がテレビ画面の裏側にはあるのだということに気づいているのが、目下のところ自分だけだと思っている間しか、私は写欲が湧かないのでありましょうね。
この自分の目がみつめる対象が、この自分が向けたカメラのレンズを通してのみ、世間とつながる。
自分の目玉が世間に広がる唯一の通路。
そういうひっそりとした状況がないと熱意が湧かない。
まったくもって、ひ弱な熱意でございます。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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