見出し画像

「退屈は大事」嬉野さんの言葉の切れはし#271

「退屈」。それはこれまであまり好い意味の言葉ではないように思っていましたが、ひょっとしたらそんな「退屈」は、ぼくら人間にとって、とても具合の好い、とても大事な状態を作っているのかもしれないなと思ったのでありますよ。
--嬉野雅道

----------------------------
2006年の渋谷の小祭りのときは、藤村さんも嬉野も東京に10日ほど居続けまして、その間ずっとホテル住まい。
明けても暮れても我が家に帰ることも無く、仕事仲間と日を暮らし、札幌での日常的な感覚からしばし離れ、傍に読みかけの本がごちゃまんとあるわけでなく、ちょっとした空き時間が出来る度に手持ち無沙汰になるのは旅先の常。
ということで何かにつけて退屈になるわけでございます。

だから「フラガール」も見に行った。
それは、住み慣れた札幌の街で、時間を作って見に行く時の映画とは、やはりどこか違っていたように思います。
退屈な時間を埋めるために不慣れな街の映画館の暗闇の中に逃げ込んで、まずほっとしようとする。
そこで、映画を観ながら気持ちを落ち着かせようとするわけです。
そんな気持ちの時に観る映画は、どうも格別のものがあったように思えます。
「退屈」
それはこれまであまり好い意味の言葉ではないように思っていましたが、ひょっとしたらそんな「退屈」は、ぼくら人間にとって、とても具合の好い、とても大事な状態を作っているのかもしれないなと思ったのでありますよ。
あれもこれもと選択肢がある日常のなかで行き詰る「退屈」ではなく。
不慣れな空間で選択肢そのものが少ない今回のような状況で何もすることがなく覚える「退屈」は、映画(娯楽)を格別のものにする様に思いました。
ほら、ちょうど、お腹が減った時に食べた御飯みたいなものだと思うんですね。
お腹が減ってる時に美味しいご飯をガツンと食べる。
とにかくお腹が減ってるからガツンと食べる。
とにかくお腹が減ってるから美味いものは物凄く美味い。
物凄く美味いから、物凄い勢いで残さず食べる。
そこには、美食という後味だけでは味わえない、食べ終わった後の人間的な満足感が物凄くある。
生き物の本質を思い出したような満足感に満たされるのではないでしょうか。言いすぎ、あ、そう。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!