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「いつかぼくらは」嬉野さんの言葉の切れはし#152

いつかぼくらは死んでしまう者なのに、積極的に死を受け入れる準備をしようとする者たちを、どうしても消極的、無策と思いがちのような気がする。
--嬉野雅道

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ぼくは思うのだよね。
いつかぼくらは死んでしまう者なのに、積極的に死を受け入れる準備をしようとする者たちを、どうしても消極的、無策と思いがちのような気がする。

そう思うのはおそらく、「自分は死なぬ者」と思っているからのような気がする。
多くの人が生きているのだから、立場はそれぞれに違うだろう。
けれど、どんな立場の人も、それぞれの立場のままで、同じ視線に立てる場所があるはずだと、ぼくは思っているのです。

その場所を探し出したとき、初めて他人事が、自分の事とシンクロする。

だから、探すべきは、その場所。
そのビジョンなのだろうなと思うの。
何事もね。

それぞれの立場の人が、それぞれの立場のままで、同じ視線に立てるビジョンを探そうとしない限り、ぼくらは淋しさからは抜け出せない。

そんなことを思うのよ奥さん。
さぁさぁいろいろあるでしょうが、
どうか本日も、各自の持ち場で奮闘ください。
また明日。
解散。
--嬉野雅道

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