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本筋から逸脱した先にも、面白さや幸せが待っているかもしれない。

どう考えてもテレビとしてはおかしいので、製作陣が笑ってしまう現場。

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T木:
では、第二部を始めさせていただこうと思います。『水曜どうでしょう』ディレクターの嬉野雅道さんですー!

会場:(拍手)

嬉野:
はい。なんか、藤村さんパートは、いい話があったじゃないですか。

T木:
いや、面白かったですよね。

嬉野:
「『水曜どうでしょう』において、カメラは荷物でしかない!」っていうね。

会場:(笑)

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嬉野:
あれは盲点でしたね。確かにそういうことがありました。

ヨーロッパの回でね、食事のシーンの時に撮らなきゃいけないっていうのがあって。

T木:
番組ですからね。

嬉野:
そうなんですけど、それも「藤やんが撮ればいいんじゃないか」って思ってましたからね。

会場:(笑)

T木:
嬉野さんは食べたい?

嬉野:
そうだね(笑)。

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T木:
さっきのお話で不思議だったのは、「カメラが厄介だってなったら、嬉野さんのキャラクター自体も立たなくなるのかな?」って思ったんです。だけど、カメラっていうもの自体が厄介なお陰で、嬉野さんというキャラクターは、どんどん立っていく。

嬉野:
カメラをぞんざいに扱うカメラマンとかいないからね(笑)。

会場:(笑)

T木:
そういうところで、どんどん親近感を覚えたり、ホッとしたりする視聴者の人が出てきてしまう。

嬉野:
そうなのかもね。さっきのさ、ドキュメンタリーの中に作り手が入っちゃってるなんて話を聞くとね。

やっぱり、長いことやってると、いろんな人からいろんなこと聞くから、なるほどって気付きはあるよね。

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嬉野:
ドキュメンタリーを撮っているのに、「ドキュメンタリーを撮ってるっていう位置が設けられてる」っていうのは、確かに不思議というかさ。「それって、ドキュメンタリーなのか?」っていう感覚はあるよね。

T木:
「これは真のドキュメンタリーなんだ」とか言ってるのに、そこにあるはずのカメラの存在は、番組的には無いことにされている。

嬉野:
それは確かにあるんだよね。「じゃあ、我々は一体何を撮ってるんだ?」と言われると、よくわかんなくなっちゃうんだけど。

会場:(笑)

T木:
そうですね。『どうでしょう』は、一般的なドキュメンタリーではないし、一般的なバラエティー番組でもない。

嬉野:
だから、不思議な番組だと思うんだよ。

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嬉野:
でも、藤やんがいてくれたことによって、オレはずいぶん自由にやらせてもらえたし、それは大きいと思うんだよね。

T木:
自由演技ができた。

嬉野:
そう、そう。「こういうふうにやってくれ」って指示する人がいなかったから。

T木:
そうですよね。

嬉野:
「こういうふうにやってくれ」って言われてたら、なんか面倒くさかっただろうね。

だから、そこを自由にやらせてもらえたっていうのは、オレとしては非常に性に合ってたのかなと思うよ。

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T木:
4人ともが最初から性に合ってたというよりは、だんだん全員がそうなっていったのかなという感じも、見ていて思うんですけど。

嬉野:
どういうこと?

T木:
嬉野さんは、もともとそういう性質があったのかもしれないけれども、例えばミスターさんって、最初っからまったくルールがない場所で、自由演技をするタイプの人だったのかなって。

嬉野:
あぁ、それは確かに違うかもしれないね。

T木:
ミスターさんは、それまでの経験があった分、『どうでしょう』のスタイルにちょっと驚かれたりもしてたのかなと思って。

嬉野:
それはあるかもしれないね、ミスターは。だから、それ故に苦しい時期もあったんじゃないかな。

だけど、今となっては自由演技が板についてるから大したもんだよね。

T木:
長くやってきたからってことなんでしょうか。徐々にそういう関係性も構築されていって。

嬉野:
最終的には、喋んなくなっちゃったから。

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会場:(笑)

嬉野:
でも、結局は自由にやっちゃってるからすごいよね。

T木:
ミスターさんが一番自由ですよね。

嬉野:
一番自由だと思う、うん。『日本全国絵ハガキの旅』なんかで、ミスターがいろんなことを推理して、誰よりも先に「ここに違いない!」って言ったりさ。

T木:
「ここがY字になってるから!」みたいな(笑)。

嬉野:
そうそう。で、4人で車に乗って行くんだけどさ、オレなんかまだカメラを持って車内にいるのにミスターが先に行っちゃってね。「ここだぁ!」とか言ってるのはさ、本当に面白いよ(笑)。

T木:
現場で撮ってる嬉野さんも面白い。

嬉野:
「明らかにテレビとしておかしいだろ」って思いながら、みんなが現場にいるからさ(笑)。

それは西表島で夜釣りをしてた時にガイドのロビンソンが、「灯りを消せ!」って言ったのも同じ。

会場:(笑)

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嬉野:
そういうことが、現場であんのよ。

T木:
それは、テレビとしては絶対おかしいけど。

嬉野:
テレビ屋として、この状況はおかしいっていう場面に遭遇する瞬間があって、それが楽しいっていうのはあったと思うよ。


常識がわかっているから、非常識な様子に思わず笑ってしまう。

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T木:
こんなこと言うと、失礼かもしれないですけど、どうでしょう班の4人は、本当の非常識な人達ではないじゃないですか。

嬉野:
当たり前じゃないですか、そんなの。

会場:(笑)

嬉野:
本当に非常識な人たちって、ワケがわかってないわけでしょ。

常識がわかってるから、明らかに常識から外れちゃってるよなっていう瞬間に気付いて笑っちゃうわけですよ。

T木:
で、その瞬間を面白がれちゃう。

嬉野:
我々が現場で面白がってるのはさ、順を追って面白くなっちゃってるわけだから、順を追って見てる人も、その順番でおかしいなってことに気付くわけでしょ。

T木:
視聴者の皆さんも4人と同じような体験をする。「ここで非常識な振る舞いをしたらウケるだろう」みたいなことを狙ってやってるわけではないですからね。

嬉野:
そんなかったるいことないよね。だから、ミスターに「あなたが、いの一番に行ってください」とかって、誰かがディレクションしてるわけでもないですから。

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嬉野:
だけど、そこはさ、藤やんの体質的に自由演技がしやすい土壌を作っちゃってるというのはあると思うよ。

T木:
だから、タレントさんも安心して自由演技ができるし、カメラも自由演技で撮れる。

嬉野:
そうそうそう。ミスターに任してられないと思ったら、藤やんが自分でしゃべるから。

会場:(笑)

嬉野:
自然と自分が機能する場所に辿り着いたんだろうなって思うんだよ。だから、4人が集まると楽しいってところはあるのかもしれないね。

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嬉野:
あとは、あれだよね。番組が始まった頃は、本当にローカルだしさ。そんなに世間的に知られてないじゃないですか。

特に、最初はサイコロの旅とかから始まったからさ、本州にロケに行くことが多いわけ。だから、周りの人たちが全員番組のことを知らないだろうなっていう中で撮影してるっていうのも、ちょっと面白かったんだよね。

T木:
どこに行って、どんな乗り物に乗ってても、誰も自分たちのことを知らないという。

嬉野:
そうなんだよ。新幹線の中で大泉くんが、大きな声で話してたらさ、怒られてやんの(笑)。

会場:(笑)

嬉野:
周りのおじさんに「うるせぇ!」とか言われて。それでめげてたよ、ずいぶん(笑)。

T木:
その方も、まさかテレビの撮影とは思わず、「サークル仲間かな?」くらいの感じだったんでしょうね。

嬉野:
そうだと思うよ。だからと言って反論もできないのよ。無許可で撮ってるから。

会場:(笑)

嬉野:
だから、許可申請もしてないっていうのがさ、それもやっぱりよかった気がするんだよね。肩肘張らずに撮れたから。

許可を取らなかったからよかったっていうのもおかしな話なんだけどさ。もういい大人なんだから。

会場:(笑)

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嬉野:
だけど、最初は誰も知らないようなローカル番組がさ、今やあちこちに広がってるわけじゃないですか。

アフリカでドライバーをしてくれたマサイ族の男の子が、大泉洋を知ってたわけだから。「あなた、大泉さんでしょ! あなたバイク乗って面白い!」って(笑)。

会場:(笑)

T木:
原付シリーズがお気に入りのドライバーさん(笑)。

嬉野:
そうそう。だから、マサイ族っていう異文化の人でもね、『どうでしょう』っていう番組を楽しめるってことは、けっこう普遍的な面白さがあるんだなと。

T木:
そうですね。

嬉野:
だから、我々は、この自由演技をやり続けたことで、かなり普遍的なところに触れている番組を作れてしまったんじゃないかなと思うんだよ。

T木:
妙なしがらみとか、しきたりとか、嘘とか、そういうのがない、普遍的な番組に。

嬉野:
嘘のときは、嘘ついてることをすぐバラしてるから。

会場:(笑)

T木:
「今から嘘をつきます」って宣言してから嘘をついたりしてますからね。

嬉野:
そういう感じでやってたね。

T木:
そうところにハマっちゃう人って多いと思うんですよ。

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嬉野:
だから、さっきの話じゃないけど、常識を知っていて、明らかに非常識な局面に達してるなっていう面白さっていうのは、見ていてホッとする部分なんじゃないですかね。

T木:
そうですね。

嬉野:
ルールを完全に逸脱して、面白くなっちゃってるっていうことに、やってる方も見てる方も同じように気付く瞬間っていうのは、ホッとできるんじゃないかなって。

なおかつ、あの4人の方々はすぐ笑ってくるので。

T木:
そうですね。笑い声もホッとさせてくれますよね。

嬉野:
あんだけ笑ってたらさ、多少危ないことがあっても大丈夫だと思っちゃうよね。誰がどう見てもさ。そういうところも、『どうでしょう』にはあるんじゃないかな。


「自由がいい」と「ルールは大事」は両立し得るのか?

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T木:
逆に言うと、普段テレビを見ている僕らが、どれだけルールに縛られてるかってことですよね。

嬉野:
だと思いますよ。でも、それがやっぱり社会だと思うから。

T木:
それが社会?

嬉野:
それが社会だと思います。だって、ルールに縛られるっていうか、ルールを守るって大事なことだからね。

でもさ、それが厳しすぎたり、ちょっと理屈に合わないっていう時にも、ルールに縛られてしまうと、みんな苦しくなるわけじゃない。

T木:
そうですね。

嬉野:
で、そういう時に、逸脱しちゃってる連中がいると、やっぱりちょっといいなって思うじゃない。

そういう意味で機能してるところがあるんじゃないかと思うんだよね、我々の番組は。

T木:
だから、別に全部を『どうでしょう』的な無法地帯にしようってわけではなく。

嬉野:
全部が『どうでしょう』だったら、商売あがったりじゃないですか。

会場:(笑)

T木:
ルールがある社会っていうのは前提であって、そこでちょっと逸脱するっていうのが、見てる方からするホッとできるみたいな。

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嬉野:
オレさ、人間には「ルールに従いたい」って気持ちがあるんじゃないかと思うんだよ。どっかで「規範は作ってほしい」って思ってるところがさ。

T木:
なるほど。

嬉野:
そんなに野放しにしてほしくないところがあるんじゃないかなと、思うよ。

だってさ、嫌だとか言いながらもさ、毎日会社に行って帰ってくるっていうことがなければ、困ると思うよ。オレは。

T木:
そうかもしれないですね。

嬉野:
行き場がないじゃない。毎日公園に行って帰ってくるみたいなことになっちゃう。

会場:(笑)

嬉野:
ねぇ。よく、定年後のサラリーマンが、そういうふうになるってことがあるでしょ。

T木:
そうですね。定年した後に、手持ち無沙汰になっちゃって。

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嬉野:
だから、何かしらの決まり事があるっていうのは、割と大事なことだと思うんだよ。

T木:
なるほど。

嬉野:
そういう状況であればさ、規範を守るっていう方向にも、そこから逸脱するって方向にも行けるわけだから。

『どうでしょう』の旅だって、本筋があるわけですよ。アメリカ横断するとか、ヨーロッパすべての国に行くとか。

T木:
そうですね。自分達で決めたルールはある。

嬉野:
そう。その本筋があるから、そこからちょっと脱落していっても、また戻れるんです。だから、行き先が無限にあるのではなくて、ルールに沿っていくという本筋と、そこから逸脱するっていう線の、2つがあると思うんだよね。

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T木:
最近は社会の中で、「ルールなんていらない!」とか「サラリーマンなんか、辞めちまえ!」といった声も大きく聞える気がするんです。だけど、そういうことではないと。

嬉野:
サラリーマンはね、これから会社という組織もなくなるかもしれないからわかんないけど。

T木:
「ルールが自分達をしんどくさせている」って思いがちな人もいるじゃないですか。

本当はそこまでしんどくないのに、ルールのせいにしてしんどい気持ちになりたいっていうこともあるんですかね?

嬉野:
しんどい気持ちになりたいって、どういうこと?

T木:
何かのせいにしたくないですか? 会社で自分の居場所がないって思ったら。

「会社ってものに縛られてるから、自分はしんどいんだ」って思えば、辞めることが解決に繋がるって考えちゃうというか。

嬉野:
なるほど。それは、愚痴ですか。

会場:(笑)

T木:
いや、そういうことがあるんではないかという、代弁です。

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嬉野:
なるほど。いや、会社に対する愚痴とかいろいろあったりするじゃないですか。

T木:
愚痴、ありますよね。

嬉野:
うん。だけど、愚痴を言うってことは、切れたくないっていう根性があるわけですよ。

T木:
本当は、この会社との関係性が切れたくはないという気持ちが。

嬉野:
そうそう。会社に対して愚痴や不満を言ってるっていう状況は、「この会社と縁を切りたくない」っていう気持ちの表れなんじゃないの? 

本当に関係性を切りたかったら、面と向かって言うじゃないですか。

T木:
関係性を切りたくないから、愚痴を言う?

嬉野:
だと思いますよ。愚痴っていうのはね。

愚痴を言うっていうことは、切れたくないって気持ちがあるはずです。っていうことは、つまり関係性を切らない方が生きていきやすいっていうのも、ちゃんとわかってるんだと思うんですよ。

T木:
だから、「ルールが大事だ」ってことなんですかね。

嬉野:
ルールが大事っていうか、それまでなくしちゃったら、自由も何もねぇだろうっていうことじゃないですかね。

そこから逸脱するっていうのは、自分の意志でしょ。なんかそういうところもあるんじゃないすかね。

T木:
どうでしょう班の4人は自由演技をしてるんだけど、それはルールの上で行われてるってことなんですね。

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T木:
嬉野さんって、そうやって一見、相反するようなことを同じレベルでおっしゃったりするんですよね。

嬉野:
ほぉ、なるほど。

T木:
「自由演技だからよかった」ってことと、でも、「ルールはあった方がいい」ってこと。

そういう両極端な意見を持っているというのは、すごく生きやすいんじゃないかなって思うんですよね。

嬉野:
ん〜。その両方を認識してるってことなのかね。でも、みんなそうじゃない? 

T木:
うーん。僕はまだ疑わしいですね。

会場:(笑)

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嬉野:
どういうことよ?

T木:
例えば、何かで嬉野さんが話している記事を見たとしましょう。そこに、「自由演技ができたから、『どうでしょう』は面白くなった」って書いてある。

「じゃあ、自由にやるのがいいんだ」と思って、自由にやり始めるっていうのは、たぶん、嬉野さんが言いたかったこととは違うと思うんです。

嬉野:
そうだね。

T木:
だから、「自由がいい」と「ルールは大事」って考えを同時に持つって、どうやって訓練したらできるようになるのかなって、いつも思うんですよ。

嬉野:
みんな持ってない? 持ってないかな。

T木:
いや、どうですかね。両方を持ってるって方いらっしゃいます?

会場:(手が上がる)

嬉野:
1人いました。

会場:(笑)

T木:
いや、今のは手を挙げにくい聞き方でした。すいません。

これでみなさんが手を挙げてたら、僕はもう孤独でしたもん(笑)。

会場:(笑)

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