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SLEEPING CHILD

たぶん三歳くらいの頃。

目が覚めて隣に母親がいないと、僕は酷く泣いた。癇癪を起こして地団駄を踏み、恐らくキッチンで家事をしているであろう母を大声で呼んだ。ほとんど毎朝のことだ。

目覚めて一人ぼっちなのが寂しかったからとか、不安で怖かったからという感情ももちろんあったと思うけれど、今にして思えば一番大きかったのは「僕が目覚めたら母親は隣で微笑んでいるべきだ」と思っていたからだ。べき。けしからん、と思って憤慨し、癇癪を起こしていたんだ。創造主たる母は一人息子の僕に対して常に万全の愛を注がなくてはいけないのだ、と。

そんな風にして、他者に対して「こうあるべき」という感覚を持ったまま大人にならなくて本当に良かった。もちろんほとんどの人は他者に対して「自分にこううしてくれるべき」なんて思ったりはしないと思う。でも注意しなくちゃいけないのは、相手に対して何かを「してやった」と思ったときだ。思い上がり甚だしくもそういうとき、かつて押し込め封印したはずの「べき」ってやつが角を出してくる。こんなに良くしてやったんだから感謝すべきだなどと言って、心の中の三歳児が地団駄を踏むのだ。でもねえ、自分で勝手に親切にしたからと言って、相手に感謝されるわけでは全然ないんだよね。

ともかく他人に対して「良くしてやった」と思うのは本当に恐ろしいことだと思う。寝てる子が目を覚ましてしまわないように。

願わくば永久の眠りを。

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