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ローグライク・クッキング、そしてひきこもりの僕を想う

最近牛しぐれを作れるようになった。それも、美味しい牛しぐれだ。うっかり買ったごぼうを持て余してしまい、なにかオカズになるものを作ろうとしてたどり着いたのが牛しぐれだった。きんぴらごぼうも悪くないけど、メインのオカズとしてはパンチ力不足だ。そう僕は判断した。

僕はほとんど全ての食事を自炊で作る。今日は作るのがかったるいから外へ食べに行こうか、ということはまずない。徒歩3分のところにサイゼリヤがあり、そして僕はサイゼリヤが大好きだが、一人で食事に行くことはまずない。

近所のスーパーが日曜日の朝に野菜を安売りしているのだ。どの種類の野菜が安く売っているのかは当日足を運んでみなくてはわからない。僕がそこで買うのは玉ねぎ、なにかの葉物、ニンニク、もやしあたり。そして野菜炒めを作った。どれも大袋で買い、余った食材は刻んで冷凍にした。僕の作る料理のほとんどは野菜炒めだった。こうすることで野菜の種類の豊富な野菜炒めをいつでも作ることができる。作るのが楽ちんで身体にいいし、味付けで多少の変化をつけることもできた。

ところで。人生をゲームのように生きるにはどうすればいいのだろう。僕は常々そんな風に考えていた。ゲームはやっているだけで楽しいし、楽しさに任せて遊んでいるとどんどんレベルアップしていく。人生もそんな風にして、生きているだけで楽しく、楽しんでいるうちに勝手にレベルアップして女の子を両手にはべらせたりして生きていければ最高だな、と思っていた。

近所のスーパーでランダムで安売りされている野菜をとりあえず買ってみて、それを使ってなにか料理をしてみようじゃないかと思った。こういう時世だ、レシピに事欠くことはない。まるでローグライクゲームだ。開けてみるまで宝箱の中身はわからない。人生もまた然り。

そんな風にして入手したごぼうだった。ごぼうなんてありふれた食材だけど、それまでなんとなくスルーしてしまって使う機会に恵まれなかったのだ。僕はごぼうを買ってきて、さて何かを作ろうと思ったんだけどどうにも食指が動かず、いつものように野菜炒めを作ってしまっていた。備蓄の食材はそれなりにあった。

僕は毎朝ごぼうと顔を合わせ、そして見てみぬふりをした。なんとなく気まずい思いをした。ごぼうの方も同じだったかもしれないが、ごぼうの気持ちなどわからない。ごぼうは当初シャンとしていたが、だんだんくたびれてくるのが目に見えてわかった。ネットでごぼうの保存方法を調べると、ごぼうは立てて保存するのが良いのだということがわかった。保存方法を調べるんだったらレシピを調べてさっさと調理してしまえばいいじゃないかとも思うのだが、初めてのことをやるのは少しパワーがいる。僕はそのときちょっと色々あって、少し疲れていた。

しかし時間は止まってくれない。僕もごぼうもお互い疲弊してきた。僕は意を決してレシピを調べて、目につくなかでごはんのオカズとして機能しそうな牛しぐれを選んだ。むちゃくちゃ簡単だった。皮むきも慣れてくると手際よくやれたし、ささがけも巨大鉛筆を削ってるみたいで楽しかった。ごぼうは消費しつくし、僕は毎朝気まずい思いをしなくてもすむようになった。

散々言われていることだし、自分でもそれなりに承知していたことだったんだけど、人間はやらなきゃいけないことを放置しておくと疲れるのだ。やったことではなくやらないでいることにエネルギーが吸い取られていく。日に日に萎れていくごぼうはまるで自分自身の様だった。ごぼうに時間制限があって良かった。

もし、あのままごぼうが腐ってしまっていたとしたら。そのごぼうを処分することには時間制限がない。干からびていくごぼうと毎朝顔を合わせ、そして目を反らす日々を送っていただろう。僕は死んだ親の遺体を放置するひきこもりになった自分を想像した。そしてゴミ屋敷の中で毛布に包まる自分を想像した。そういう人生を歩む可能性は十分にあった。どんな人生も人生だけど、今の自分の生活はそういうのよりは満足している。

疲れているときに時間制限のあるものに挑戦するのは少し危険だ。少しの危険というのはとても良い、ゲームにおいては。

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