ゆっくりこち浦

みなさんこんにちは♪浦和51です
オメっ子になるまでの経緯と力強い浦和になれたのをこのブログにまとめました。

ライブに行き始めたのは2015年でまだ浦和の色気が出ていなかった頃でした。高校卒業したばかりでその当時は凸凹凸凹以前の頃でした。当時はテレビやSNSしか見たのみでライブにはあまり行けなかった時もありました。浦和ライブ帝国の始まりは凸凹凸凹-ルリロリ-から幕開けでした。

ルリロリは2015年5月1日四谷LOTUSでのワンマンで結成し、2020年10月24日の神田明神ホールでのライブで解散した。グループです。私はこのグループに結成から解散まで追っかけていました。

結成当時(2015年)

ルリロリでは色んな対バンやイベントを経験しました。浦和51には最初の転機が訪れました。それは20歳になって早々V系のバンドに出会い、バンギャと仲良くなったことです。

その当時はルリロリでの地方イベントに行けず悔しい思いをした時でした。
父宮はサッカー浦和レッズバカでホームゲームには行くものの、アウェイ(地方)に行かないことからそれを押し付けられたことが原因です。
これらもあり2016年はコロナ前最低の年になってしまったことです。この時に心が折れかけました。

2017年になり、家族と離れたことでライブに集中することができました。
春にはまた転機が訪れました。なんと2017年4月14日代官山LOOP(現在は閉店)



今追っかけてたオメでたい頭でなによりさんに出会い、ライブキッズになったのです。私のオメでたさんの出会いはこのルリロリから始まったのです。まだ結成してまもない頃に出会い、2024年4月29日でのライブをもって活動休止までに追っかけました。
オメでたさんでは全国ワンマンツアーでルリロリで行くことができなかった地方に回り、地方のオメっ子と親睦を深めたのです。
まさに強い浦和はこの時から持っていました。
ルリロリがなかったらオメでたい頭でなによりのライブにも行っていなった。
こんなに箱ライブやフェスに行けるとは思えない程オメでたさんには思い出があった。
この9年間は濃い年でした。オメでたさんは無くなるが、地方ライブも行きたい
オメでたさんに行くようになったきっかけの大半が対バンとのことです。
老若男女のオメっ子には感謝しかありません。家族と過ごすよりライブを見つけたことが非常に大きいことから

またどこかで
皆さんとまたお会いできる日をお待ちしております。

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