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【無料記事】スティサート師ZOOMオンライン説法『気づきの瞑想と善き友』2020年2月5日

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本日は、気づきの瞑想オンラインコミュニティの拡大版

ということで、ZOOMでスティサート師の生説法を事前に申し込みのあった

方々へと共有いたしました。

その説法内容を文字おこししましたので(速攻文字おこしツイートをしてくださったミースックさん、ありがとうございます)

皆さまにもお分けしますね!

それでは!


^^^^^^^^^^^^^^^

みなさんこんにちは。よろしくお願いします。
このような機会があり嬉しく思います。


今日のテーマは、
「気づきを高める瞑想(チャルーン・サティ)と善き友」についてです。


サティ(気づき)とは、

心の中にある本当の友達 といってもいいでしょう。

気づきがあれば、

いつでもどこでも傍にいてくれます。

「善き友」とは私たちを導いてくれる外の仲間。
「気づき」があれば、心が穏やかであり心があたたかくなります。

気づきがないとき
「一人だな、孤独だな、心配だな」

という気持ちが起こってきます。

気づきと共にあるとき

そういう孤独な寂しい気持ちがおこりません。
いつも友達と一緒、という感じです。

たとえ外側の友達が

自分を分かってくれないことがあったとしても、

気づきがあれば落ち込むこともなくなります。


気づきを高めていくということは、
自分自身の本当の友達をつくっていく感じです。

この「気づき」という友達は、
生まれた時から死ぬときまで一緒ですが、

私たちは忘れてしまいます。


我を忘れてしまう、ということは多いわけです。

私たちを構成するのは「心と体」です。

しかし、私たちは身体をもっていることに
気づいていないことが多いのです。

身体があるんだけど、忘れている場合が多いのです。

実は私たち人間は、可哀相な状態の時が多いのです。
なぜなら、この大事な身体を持っているのに、
それに気づいていない時が多いからですね。

気づきを高める瞑想には色々やり方がありますが、
基本は身体に気づいていくことです。

なぜなら、この身体は実際に触れて
感じることができる
からです。

身体があるところに、心を向けていくということですね。

私たちは普通、訓練していないと
心がどこかにいってしまっていることが多いのですね。

身体はご飯を食べているけれど
心はどこかへ行ってしまっている、など。

何をしているときも、今ここに居ると、
気づけるようになってきます。

今ここに居る、ということは
とても大事なことなんですね。
「今ここ」という瞬間はまさに英語の表すように

「プレゼント」贈り物、なのですね。

なので、他の人からもらうプレゼントだけではなく、
今ここに、私たちがいることができる、

ということ自体がプレゼントなのです。

瞬間瞬間、毎回、毎回プレゼントをもらっている感じですね。

今ここにいる練習は、色々あります。

呼吸で行う瞑想、歩く瞑想もそうですね。

歩くときも自然に歩く、リラックスして歩くことですね。

ご飯をつくったり何か行っている時も
それに気づいてやっていきます。

今ここに居る、ということは、心の中で
『今ここにいるぞ、今ここにいるぞ』唱えることではなく
実際に「感じていく」ことです。

例えば歩いているとき、「歩いている、歩いている」と
唱えながら歩くことではないのです。

風に触れた瞬間に感じること。

(柏手(かしわで)の音)


今、聞こえましたか?

今、「音が聞こえた」と自分にいわなくても
音は聞こえています。こういう感じですね。

なので、日常生活のあらゆることを通じて
気づきを高めることは可能
です。

気づきを高めていくポイントとしては、
今やっていることに専念することです。
はまり込む、というのではありません

例えば歩くときも、一歩一歩に気づいていく。
行き先に心を奪われない。

仕事もそうですね。
今やっている目の前のことに気づきを向けてやっていきます。

それがだんだん、自分自身で出来るようになると、
心がおだやかに、幸せになってきます。

お坊さんたちの中には、
何をしなくても座っていたり呼吸しているだけでも
幸せな方
は多いのです。

ポイントは、自分自身ができるだけでよいので、
気づきを続けていく
、ということです。

今ここにいることができないと、
すぐに未来や過去に心がいってしまいます。

特に過去の悪い思い出を思い出したりして
苦しくなります。未来を考えると不安になりますね。

心が未来や過去にいってしまうのも、
心の機能ですが、それに気づいていきましょう。

ブッダは鍛えられていない心を
動き回る「おさるさん」に例えました。

犬なら、犬のリードを引いて、手なずける感じですね。

そのように、心もトレーニングすると、
だんだんと心が動き回らない、
ここに戻ってくるようになる
のですね。

犬をトレーニングするとき、
始めにリードをつけなければならないのですが、

そのうちにリードが無くても戻ってくるようになりますね。
なので、心も戻ってくるように何度も練習しましょう

二つのポイントをお話ししました。


一つは何をしていても身体に戻ること
身体を観るといっても、リラックスして気づきを向けていく感じです。
身体とともに気づきがあるかを観察する感じです。

例えば呼吸ですね。呼吸をリラックスしながら、
ふっと観察するような感じです。

歩くのもそうですね。自然な歩き方でかまいません。
一歩一歩、身体の動きに、心を伴わせていくこと。
そして「気づき」を強制しないことです。

身体を自分の修行の仲間
友達としていく感じですね。

二番目は、過去や未来のことに心がそれたら、
それに気づいていくこと

心が「生じる」ことを止めることはできません。
「こうなっちゃいけない」と心を押さえ込むほど、
それが起こってきてしまいます。

起こったら「あ、起こったな」と気づいて、
また「今ここ」に戻る練習とすればOKです。

この二つがチャルーン・サティの練習のコツです。

いつでも、どこでも思い出したときに
やってくださいね

いつでもどこでも、行うことが出来ます。

また、いつでもどこでも思い出したときにやっていこう、
とすると、それがだんだんと出来るようになってきます。

仏教の言葉では「サマーディ」
安定、の状態といいます。

風に吹かれても飛んでいかない
しっかりした感じです。

そうすると、外になにが起こっても大丈夫、
という感じになってきます。

なので、私自身も感じていますが、
気づきを高めていくと自分自身が安定してきます

気づきが友達だな、と
気づきを高めていくと「智慧(ちえ)」が伴ってきます

身体と自然に、なにが起こるかを
よく理解できるようになってきます。

コントロールできるようになるというのとは異なります。
思考が起こってくるとしても、
それに煩わされずそれとともにいることができる、ということです。

例えば、他の人が思い通りに行動してくれないと、
心に苦しみが生じますが、
それが「自然なことなんだな」と、ともにいることが出来るようになります。

自然をみるような感じです。
「この人も自然な姿なんだな」と思え、
その人とともに居ることができるようになります

人といても疲れないようになります

「心を置く」という表現があります。
生じた心を置いていく、ということです。

身体のケアをする、というのは外側の役割です。
これはしっかりと果たしていきます。

身体に生じた苦しみは外側のこととしてケアをして、
内側の心まで苦しまない。ともにいることが出来る、ということです。

そうすると、穏やかに気づきをもっていることが
できるようになります。

一人でいても幸せ、
みんなといても幸せです。

気づきは、いつでも自分とともにいてくれる友達です。

この気づきという友達は、
とても価値のある友達です。

自分が苦しいときでもともにいてくれる友達です。
自分自身が我を忘れないよう、自分自身を常に思い起こさせてくれる友達なのです。

「善き友」というのは、私たちを良き道に導いてくれます。
ここにいるみなさんも一人一人が善き友、善き仲間です。

ブッダも「ひとりで修行すること」の大切さを説かれていますが、
「仲間と修行する」ことにも重きをおかれました。

このウィリヤダンマ・アシュラムでも
お坊さんやメーチーさん(女性出家者)、在家の方がいます。

一緒にお経をあげたり、食事を食べたり、協力すべき仕事をしたり、
共に過ごす仲間が多くいます。

一人だけではないと、勇気づけられる時間が設けられています。

一人で修行していると、うとうとと眠くなったりしますが、
他に仲間がいて一緒に修行していると
よし、あの人も頑張っているのだから自分も一緒に頑張ろう」と
いう力が湧いてきます。

もしも、目の前に善き友がいなくても
遠くの善き友を思い出して
修行の励みにする
というのもそうですね。

もう一つの「善き友」は
説法を聴いたり、本を読んだりすることです。
師匠の話をテープで聞いたり、本で読んだり。
先生もこんな努力をされていたのだな、このように
学ばれたのだな、と自分の修行の励みにすることが
できます。

また別の善き友というのは、善き実践、ということもそうですね。
直接的、間接的に他の人を助けるということですね。

今ここで学ぶ皆さんも実践している訳ですね。
気づきの瞑想もここタイだけでなく、
それぞれで関心をもって学んでいますね。
実際に会うことがなくても繋がることができます。

そして、繋がるということ。
それは人間だけに限りません。
自然や山や、木、そうしたものとも繋がります。
既に亡くなられた先生の存在を感じながら
修行することも励みになります。

外側の目に見える形の「善き友」とは
「善徳」をもって繋がります


例えば私だったら、師匠のカムキエン師の慈愛や教えを思い出すと、
今でも温かい感じに包まれます。
あるいは両親など、今ここにはいなくても
その徳を思い出しますね。

木などの自然も私たちを支えてくれています。
そういう関係を感じることができます。

オープンマインドになっていくと色々な人や色々な物と
繋がっていくことができます

この人は善き友だろうか?と思うのでは無く、
私はこの人の良き友達になれるだろうか?と
考えることが大切です。

そうすると敵がいなくなってきます。


自分自身に対してにも、
周りに対しても
「善き友」を作っていくことが大切です。

                 (以上)


説法の後は、質問コーナー。

気づきの瞑想を実践してみてのふとした疑問、思考が生じたときの対処など

スティサート師が分かりやすく、優しくお答えになってくれました!


5月3日~6日には、スティサート師も来日されて瞑想リトリートが行われますのでご興味ある方はぜひ。(日帰りでの申し込みはまだ可能です)


スティサート師、そして

ご参加してくださった皆様、ありがとうございました。



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