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パイサーン師の説法~オンラインで気づきを育む・まとめのお話(39)苦しいのは音があるからではなく、音に対する私の価値観による


タイ仏教に関する説法を
日々少しずつ訳しています。

新しい説法を訳しています。

10月1日~21日までの3週間。

プッティカーという財団の主催による
『オンラインで気づきを育む』
パイサーン・ウィサーロ師のガイダンスによる
瞑想オンラインでのコースが実践されていました。
これは、今回で4期目。
約3000人以上の方がオンラインで学びました。
最初の1週間は、朝6時と夕方4時に基本、生放送。


朝には課題が出て、
夕方には質疑への回答をパイサーン師が行います。
第2週と第3週は、水曜日と土曜日の夕方4時に
質疑への回答。ただ課題は毎朝アップされます。

昨日までは、参加者からの質問にパイサーン師がこたえる
質疑応答をお伝えしましたが、それが終了しましたので
最後のまとめのお話(約30分)を数日にわけてお伝えします。

今日の部分のお話は


「苦しいのは音があるからではなく、

 音に対する私の価値観による」

としました。

 さて、ある西洋人の方の

 とても微細な心の動き。

 非常に興味深い内容です。


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