コトバアソビ集「暖炉のロダン」
*マガジン コトバアソビ集 収録
(以下本文)
暖炉のある豪奢な屋敷に住むことが男の宿願であった。
薪ストーブではなく本当の暖炉を壁に据え付けて、マントルピースには重厚な彫刻を施し、床には分厚い絨毯を敷いて、暖かな火を眺めながらゆっくりとブランデーでも嗜みたい。貧しい生まれの男にとって暖炉は富と成功の象徴だった。
そして男は血の滲むような努力を重ね時には悪事に手を染めて、ついに夢を叶えた。
「見ろ、俺の夢を!」
屋敷が完成した時は、両手を掲げて万歳を叫びたい程だった。
男は幸せの絶頂に居た。裕福な家の娘を妻とし、妻の実家の事業を引き継いで何倍にも大きくした。少々汚い手も使ったが犯罪にならなければそれでいい。事業家としての手腕を発揮する夫を、妻は始め称賛の目で眺めた。しかし育ちの良い妻は、次第に夫を軽蔑の目で見るようになった。妻がこっそり実家と電話で話すのを聞いたことがある。
「・・・そうなのよお母様。やっぱり、ねぇ・・・あの人、育ちは争えないって言うか・・・」
その俺が稼いだ金で贅沢をしているくせに何を言うか。
男の心もまた、妻から離れた。
妻など所詮お飾りで良い。
強引で金のある男には何人もの遊び相手が出来た。しかし、ついにその放蕩が破綻する時が来た。
ある女に本気で惚れた。
妻はそれまで男の遊びには寛容だった。相手を取っ替え引っ替えする夫に呆れながら、しょうがないわねと笑っていた位だ。ところが・・
「ねぇあなた。どうしてあんな女を相手にするの?見苦しい」
「どうせなら銀座の女性とかタレントとか、人に自慢出来る子を相手になさって。そうでないと、何だか私の肩身が狭いわ」
男が惚れたのは凡庸な、小さな会社で事務員をしている女だった。
それが却って妻は気に入らない。
妙なもので嫉妬に燃えた妻は男に挑むようになった。迫られては拒む訳にもいかず、仕方なく相手をする。そうすると冷めた筈の妻にも何となく愛着が湧いてくる。それを敏感に察知した浮気相手がまた嫉妬する。淑やかだった愛人も般若のようになってしまった。
嫉妬と嫉妬の連鎖反応。
男の心は暖炉ではなく女地獄の業火に焼かれた。
男は暖炉の前に腰掛けてマントルピースの彫刻を眺めている。ロダンが神曲を元に構想した『地獄の門』。その中心に座す『考える人』。元は『詩人』と題された有名な像の複製が暖炉の上に鎮座している。
そして今、男は彫刻よりも苦悶している。何故なら男が夢見た豪奢な暖炉で女の遺体が燃えているから。問題は酔っ払って殺した相手が妻か愛人か分からなくなってしまったことだ。
「さーて、どっちだったかなァ」
何しろ豪華に贅沢に作った暖炉だ。女一人をすっぽりと炎に飲み込んでこんがりじっくり焼き上げてしまい、顔も体も分からない。焼け焦げた乳房がCカップかDカップか、炭になった瞼が一重か二重かさっぱり分からん。
よって、おい喜べ相手が死んだぞと報告するのは妻になるか愛人になるか。
それが今男を悩ませている大問題だ。相手によって後の処理が違ってくる。
折り曲げた右腕の拳に顎を乗せ、スマホを握った左手は膝の上に。
彫刻の姿そのままに考え込む男。その背後に人影が忍び寄るのに気づかない。
「あなた!何ですこれは!」
妻が悲鳴を上げた。外出から帰って来たらしい。
「なんだお前か。じゃあこの燃えてるのは」
「何だじゃありません!あなたって人は下品なだけじゃなくって、何て大それたことを△×□・・・・」
興奮した妻は訳が分からない言葉で叫ぶ。最後に
「警察を呼ぶわッ」
と叫んだので、その頭をガンと殴った。妻はバッタリと倒れた。
「アーア、女ってものは」
妻の実家に遠慮せずにさっさと離婚しておけば良かった。妻が居るから愛人が出来る。妻が居なければ愛人も出来ない。みんな平等に愛せるじゃないか。
男は先程と同じ姿勢に戻った。ただ左手のスマートフォンは暖炉の火搔き棒に持ち替えられている。
男はもう、何も考えてなかった。
良心の呵責。罪悪感。犯罪の露呈。刑の執行。そんな面倒臭い思考は全て放棄した。ただぼんやりと、夢だった豪奢な暖炉の火を眺めながら、
「早く燃えねぇかなァ。次がつかえてんだ」
火搔き棒でツンツンと、愛人の遺体を突き崩していった。
(了)
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