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コトバアソビ集「とうふとふとうこう」

 僕の近所には駄菓子屋さんがあって、駄菓子屋さんといっても洗剤とか日用品も売っていて、店の隅っこに水を張った容れ物があって、豆腐も売っていた。
 お店のおばさんの親戚が作っている豆腐だとかで、時々そのおじさんが軽自動車に乗って、豆腐を運んでいた。
 僕がお菓子を選んでいると

「坊主、学校はどうしたい」
 
 豆腐を運んでいたおじさんに話しかけられて僕は固まった。お店のおばさんは
(しまった)
というバツの悪い顔をしていた。おじさんが訊いてきたのは当然で、それは平日の昼過ぎの、普通なら小学校に行っている時間だったから。その頃僕のような子どものことを表す便利な言葉はなくて、僕はよくサボリとか仮病とか言われていた。返事がない僕の顔を見て、おじさんは何か覚ったようだった。
 
「学校いやか」 
 
 普通の大人は叱るのに、おじさんは楽しそうに言った。 
 
「つまんねーところだよナァ。おい、ラムネ2本くれ。坊主も飲むか」
 
 おばさんが冷蔵ケースからラムネを出してくれた。僕とおじさんはお店の外のプラスチックのベンチに座った。僕が何も言わなくてもおじさんは勝手に喋った。 
 
「なんだか分かんないけど辛い時あるよなぁ。息苦しくてしんどくって、誰も分かってくれなくて自分で説明も出来なくて。周りがみんな自分を嫌ってるように見えて、陰でバカにされてんじゃないかって勝手に悩んじまうこと、あるよナァ」
 
 おじさんは片手を出して窪みを作った。 
 
「な、豆腐はそのまんまだと壊れちまうよな。だからスーパーの豆腐は四角いケースに入れて売ってあるし、ここみたいな店は家から持ってきた鍋に入れるか、ビニール袋に入れてそーっとそーっと運ぶよな」 
 
 僕は黙っておじさんの話を聞く。 
 
「人の心も豆腐みたいにやわらけーんだ。そのまンま剥き出しだと壊れちまうんだ。誰の心だってそうだ。怒りん坊でもいじめっ子でも中に入ってる心は弱えんだ。だからな、自分の心に鎧を作ってやんなきゃいけねーよ」 
 
「?」 
 
「うん。それは知識とか体験とか礼儀とか優しさとか、そういうもんだ。自分の心はな、自分で守らなきゃいけねぇよ。誰も守っちゃくんないからな。人を傷つける奴は、鎧がトゲトゲしてんだ。坊主はツルツルして誰も傷つけない、それでいて自分を守れる頑丈な鎧を作るんだぜ。今はなくても、今からな。なぁに、まだ若ぇんだ。大人になるまでにゃなんとかなるさ」
 
 ラムネを開けていないことに気づいたおじさんは、プシュッとラムネを開けて僕に一本差し出した。 
 
「剥き出しのまんまで心を持ち歩いてサ。転んで心が傷ついたって、誰のせいにも出来ないンだぜ」 
 
「うん・・・」 
 
 僕は分かったような分からないような返事をした。なんとなく、だ。なんとなくしか、その時は言われたことが分からなかった。 
  
 あれから20年。 
 
 僕はおじさんの話を目の前の児童にしている。僕は教師になった。カウンセラーとか心理療法士も考えたけど、悩んだ子どもが最初に触れ合う他人になりたかった。僕はおじさんから聞いた話に少しだけアレンジを加える。 
 
「君が経験したことや、自分の好きな趣味や、いろんなものが鎧の材料になる。僕が教師だから言うんじゃないが、勉強は大事だ。知識がないと悪い人に騙されることだってあるからね。僕は、君が君の心の鎧を作る手伝いをしたい。でも、手伝いしか出来ない。君の鎧が作れるのは、君自身しかいないんだ」 
 
 僕の話を聞いた児童は俯いていた。放課後の指導室の中には、僕と児童、そして少し離れたところに児童の保護者。
 話をする前に、保護者には途中で口を挟まないようにお願いしていた。
 親子は頭を下げて帰って行った。 
 
 明日は別の児童と話す予定が入っている。
 悩みのある子どもがなんと多いことか。その中で、僕が手助けできる子どもなんて僅かなのかも知れない。話を馬鹿にされることもある。専門家に頼みますからと保護者に拒否されることもある。それでもいいと僕は思っている。 
 
 ただ僕は忘れない。おじさんの言葉と、あの日のラムネ。
 ベンチから見た夏の景色は、鮮やかな写真のように、僕の心に焼き付いている。 
 
(画像は写真ACより さらしあん さんの作品です)

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