「今日は、何の日?」(童話『赤ずきんちゃん』の二次創作)
少女は呆然と足元の死体を見た。
自分の右手に握られたナイフを見た。
(ヤバイ)
閃光のように恐怖が襲った。
恐怖は死体に対するものではなく、このままでは自分が犯人にされてしまうという、誤った正義の鉄槌が頭上から振り下ろされることへの恐怖。
少女は犯人ではない。
定期的に小遣いをせびりに訪れる祖母の家。
鍵がかかってない引き戸をガラリと開けて、
「おばあちゃ〜ん♪」
と甘えた声を鳴らして、皿を洗って掃除をして適当に肩を揉んで一万円。
「時給一万のちょろいバイト」
と少女は友人に嘯いていた。
それがどうだ。
明日の祝日に友人と遊ぶ予定を立てたので、資金を調達しようと祖母の家を訪ねると、室内は暗く、照明は故障して点かない。
手探りで中へ進むと台所のテーブルに分厚く膨らんだ封筒が置いてあった。
表に『孫へのお小遣い』と書いてあり、ラッキーと開けると厚みの正体は濡れた金属。
出すまではナイフだと分からなかった。
「おばあちゃん、どこ?」
その目に飛び込んできたのは力無く横たわった祖母の姿。
薄紫に変色した肌、苦悶に歪んだ表情、だらりと垂れた舌。
血に染まった胸・・・
少女は家を飛び出した。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・何あれ・・・」
住宅街を走り抜ける。一人か二人、帰宅途中の会社員とすれ違った気もするが覚えていられない。
「やだ、あたしったらバカ」
右手にナイフを握っていることに気づき、慌てて側溝の蓋の穴へ突っ込む。公園に行って血のついた手を洗った。
(落ち着け、落ち着け・・・)
ブランコで遊ぶ女子高生が殺人容疑について考えているなどと、誰が思うだろう。
(顔があんなに変色してた。死後何時間か分からないけど、時間は経っていると思う。あたしはおばあちゃん家に行く直前まで友達と一緒だった。アリバイは成立する筈・・・何より、あたしにはおばあちゃんを殺す動機はないんだから。大丈夫。あたしは疑われない・・)
祖母はいつも玄関に鍵を掛けなかった。きっと泥棒が入って、鉢合わせた祖母を殺して立ち去ったのだ。
(こうなると、おばあちゃん家に入り浸っていて正解かも。何処にあたしの指紋が付いていても不自然じゃないんだから)
「よし」
考えの整理が付いて立ちあがろうとした瞬間
「君、何してるの?」
肩を叩かれた。
「ひゃっ!?」
「ああごめん、びっくりさせたかな」
振り返ると警察官の姿。
「この近辺は不審者情報が多いから見回っているんです。もう暗いから帰った方がいいですよ」
「ああ、はい・・」
「その制服は、○○高校ですね。クラスとお名前を訊いていいですか」
胸がドクンと鳴ったが、嘘を付いて後からバレると面倒だ。
二年八組、桂木栞と正直に答える。警察官は特にメモを取るでもなく
「お宅の近くまで送りましょうか?」
と穏やかに笑った。
「いえ、あの。大丈夫です」
ブランコから腰を上げて帰る栞を、警察官はいつまでも見送っていた。
どうやって帰ったか覚えていない。多分体が自然と動いたのだろう。
帰宅し、母の作った夕食をとる。入浴を済ませて自分の部屋に居ると、夜遅くに父親が帰宅した気配がした。いつも通り、特に顔を見せる訳でもなくベッドへ潜り込む。心の奥で
(これでお母さんには、おばあちゃんの遺産が入るのかな?)
と図々しいことを考えながら、栞は何とか眠りに就いた。祖母の死を悼む気持ちよりも、警察に捕まる恐怖がまさっていた。おまけに、魘されながらも脳内では不謹慎な夢が花開いた。祖母の死体の腹をナイフで開くと札束が詰まっていた・・・
翌朝。凶報は思ったより早かった。
「栞。栞、起きなさい」
ノックするけたたましい音。祖母の遺体が見つかったのだろうと見当はつく。
ドア越しに母親が
「栞、あのね・・・あの、ちょっと話があるから、着替えて出て来なさい・・・これでいいですか?」
(ん?)
最後に小声で言ったのは何だろう?
栞は足音を忍ばせてドアの向こうの様子を窺う。
(結構です。お母さんは下へ降りてください。おい、窓の下に見張はついたか?)
(はい)
(10分程度で出てくるだろう)
さぁっと血の気が引く。
声を覚えている。あの警察官だ。
(え。え。なんで。なんで、いきなり警察?)
聞き慣れた母の声が狼狽えている。
(あの、何かの間違いです。うちの子がそんな大それたことをする訳が)
(落ち着いて下さい、型通りの捜査ですから。ナイフに付いた指紋と照合して一致しなければそれで済みますよ)
ドクンッ!!
心臓が飛び跳ねる。
(でも、うちの子はおばあちゃんとも仲が良くて)
(しかし、当日銀行から下ろしたはずの大金が無くなっているんです。娘さんとは限りませんが、ナイフを持った少女が慌てて走っているのを見たという情報もありまして。防犯カメラの映像も解析中です)
「そ、そんな・・・」
大金なんて知らない。きっと泥棒が持ち去ったのだ。でも、それをどう証明する?証拠として残っているのは血のついたナイフの指紋と逃走する自分の姿。
栞はガタガタと震えながら、それでもパジャマ姿で連行されるのは嫌だと妙なプライドが働いて何とか着替えた。
(そういえば、友達と遊ぶ約束をしてたっけ)
メッセージを送信する。
『ごめん。急用で遊べなくなった』
短い文章。ああ、これがシャバでの最後の一言になったらどうしよう・・・
ドアの向こうが騒いでいる。
(あの、逃亡しようとしたら発砲は)
(凶器を持っている訳ではない、銃はいらんだろう)
(遅いですね。中へ入りますか)
(お母さん、ドアの鍵を貸してください)
(持ってきます。ああどうしよう・・)
母親の涙声。
「ど、どうしようはこっちだよぅ・・・」
情けない声で呟く。次の瞬間
「サプラ〜イズ!!」
ガチャっとドアが開き、ポンポンとクラッカーが盛大に鳴った。
「ええええ!?」
腰が抜けてへたり込む栞。
ドアの向こうには笑顔がいっぱい。母親、父親、警察官、おまけに
「おばあちゃん!?なんで?」
それがもう、今まで見たこともない満面の笑顔。
「あーーーっはっはっはぁ。引っかかったねぇ栞〜♪」
脳みそがゆっくりと回転をとり戻す。
「え・・何・・お芝居?」
母親が呆れたような笑顔で話す。
「あんたねぇ。毎度毎度おばあちゃんからお小遣いせびってばかりで。たった一人の孫だっていうのに、全然おばあちゃん孝行しないんだから。懲らしめたのよ」
「え、その・・警察官の人は・・」
「栞ちゃん久しぶりだねぇ。やっぱり忘れてた。おじさんだよ、お母さんの弟」
そういえば、母には歳の離れた弟が居た。県外に居るから滅多に会ったことがない。
「健一の顔を覚えていれば、ワンチャン騙されずに済んだのにねぇ」
「あっはっは、姉さん、賭けは俺の勝ち。今日の寿司は姉さんの奢りと言いたいけど、ちゃんと俺も半分出すよ」
おばあちゃんは
「嬉しいねぇ。特上のお寿司なんて久しぶりだよ」
と笑っている。
「健一さん、今日は飲んでいいですよ。私が車で送りますから」
と、いつも厳しい父親まで顔を出して笑った。
「頂き物のワインも持ってきたの!」
祖母は実に楽しそうにしている。
「ま、待って。あ・・うん。何となく状況は分かったけど・・」
緊張が一気に解ける。
「で、でもさぁ〜、あんまりだよぉ〜。ここまでしなくってもぉ〜〜」
栞以外は盛大に笑っている。特に祖母はご機嫌で
「はー楽しかった。私の演技力も落ちていないねぇ。これでも若い頃は劇団に居たんだよ」
くるりと栞を向き、
「栞ちゃん、いっつもおばあちゃん大好き〜♪なんて言うけど嘘ばっかり。お小遣い目当てってバレてるんだからね。適当なことばかり言ってると、オオカミ少年みたいに信用を失くすよ?ちょっとは懲りたかい」
母親も苦笑する。
「今日のお祝いは何が良いって訊いたら、こんなのはどうかって。おばあちゃんのリクエストだったのよ。さ、降りていらっしゃい。朝からご馳走よ」
「お祝い・・・?」
あらまぁ、と母親が呆れた顔をした。
「やっぱり忘れてたね、この子は。今日は9月の第3月曜日よ」
「え?」
「け、い、ろ、う、の、ひ!」
敬老の日。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?