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仕事は我慢だと思っていた僕が、仕事を楽しみはじめた訳。

浦川拓也 1968年10月22日生まれ北海道釧路生まれ、宮城県石巻出身 O型

「仕事は楽しい」。

よくそんなこと言って甘いとかいうおじさん達いますが、ぼくも立派なおじさんですが、そう思わないんですよ。なぜそう思わなくなったのか。実は僕も仕事と我慢はセットだと思ってました。じゃあなぜ、そう思わなくなったのかをご説明します。

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一度の人生、めいっぱい仕事を楽しんで死んじゃおうじゃありませんか。だってそのほうが絶対成果出るんだもん。

人にも喜ばれるし、世の中の役にも立つし、人生かけてやりたいことをやりましょう。そんな気持ちなんですよ、正直。

なぜかというと、やはり世の中楽しそうに働いていない人が多くて。

仕事に苦しんでいたころの自分を見るようで。

おせっかいかもしれないけどなんとかしたい。
今は労働力不足とか言われてて、人手不足だとかじゃないですか。
でも、そう言ってる経営者側は本気でスタッフの、従業員の人生と幸せを考えてるのかなと思うわけです。

労働力として、ロボットより安いからって使ってませんか?と言いたい。
AIが発達してロボットにやらせたほうが生産性上がったら首切るんでしょ。

そんな経営者の下じゃ楽しいはずがない。仕事が面白いわけがない。

でも、従業員が楽しくないと会社の業績があがらないし、求人をしても募集がこないし、いい人はすぐやめるしでなにもいいことはないんです。

それはもう濁った池に活きのいい魚を入れるようなもの。

濁った池をどう綺麗にするか?
それをするには楽しく働く人を増やすことしかないんです。

なぜ、そんな風に思うようになったかをこれから説明しますね。

僕は昔サラリーマンをやっていました。

いわゆる営業ですね。

営業をやると毎年数字が課せられるんです。

毎年増えていくんです。

それは、永遠に感じました。


そうなると人間ってどうなると思います??

数字を追い始めるんですよね。

お客さんの事なんてかんがえられなくなって、

会社のために数字をあげるんです。

お客さんがよろこんでくれるなんて、横っちょにおいて考えなくなるんです。
でも違うよな、とはうすうす気づきます。気づいても気づかないふりをして放っておきます。
そうすると疲れてくるんです。

楽しくなくなるんです。

びくびくするんです。


誰かに怒られるんじゃないか、ミスしちゃうんじゃないか、

そんなことばかり気にするんです。


そんなことだと逆に成果あがらないんですよ。主体的を失っています。やらされ感満載です。

数字を追いかけちゃうとだめなんですよ。


だから疲れて辞めました。

もっともらしい理由をつけて辞めましたが、疲れたんです単純に心が。
弱かったんです。楽しそうなふりして。
そうやって次の仕事にうつりました。

新しい仕事も、なんだかうまくいきません。
なぜかって根本が解決されてないんですよ。まったく気づいていませんでした。

何が解決されてないかっていえば、これらのことです。

人生をかけてやりたい仕事か?
心からその仕事を楽しめてるか?
就業時間が気にならないか?
月曜日が待ち遠しいか?
たのしいか?
未来にワクワクできてるか?

そして自分で仕事をはじめたんです。

はじめたんですというより、自分でやるしかなかったんです。
だれも雇ってくれなかったので。

でも、今思えばですが、転機になったのは3・11でした。
僕、実家が石巻なんですね。

一瞬でモノや人が津波に流されてなにもかも失う人が続出です。
幸いにぼくの家族は無事でした。

今思えばなんかその時はボーッとしてよくわかりませんでした。
石巻に帰って実家にたまったドロを出したり、友達のうちの片づけ手伝ったり。
いろいろ被災地で動いてました。
そのときどうなんでしょう。
なに考えてたんですかね。

しばらくしてもわかりませんでした。
自分はどんな感情を持ったのか。

そして東京に戻って仕事をつづけました。
でも、うまくいきません。
頭も働きません。

なにか仕事に関して違和感を感じ始めました。誰のせいでもありません。成果も出せず、毎日が苦しかった。
それでまた、やめることになります。

43歳だったでしょうか。
ぼくはサラリーマン家庭でありがたく普通に育ちました。
働くということは就職するということです。

なんの疑いもなく就職活動を始めました。
結果は全滅です。世の中的にも職を探すのにいい時期ではなかったと思いますが、ほとんど面接すら受けられませんでした。新卒の学生さんだって苦労しているんです。

僕はそのとき高校生の子ども二人と奥さんがいました。家賃は10万です。これから子供たちは大学に進学するでしょう。
最低でも年収500万は欲しいよなとか思ってました。

なんの資格もなく、なんの特技も無いただの43歳です。無謀でした。43歳にもなって世間知らずで。

就職が決まらず、ずーーーーっと散歩してました。
やばい、やばい、やばい、背中に変な汗かきながら。

ぼくはここで気づくんです。というより開き直りです。
にっちもさっちもいかない。ぼくには無理なんだ。

同年代の人たちが出している結果はぼくには無理なんだ。

それはそうだ、みんなが努力して勉強している時も、そんなに勉強しなかった。ほとんどしなかった。大学も推薦で入れてもらった。一度目の就職だって知り合いの方に紹介してもらった。僕の力ではなにもやっていない。

いっぱしの大人ぶった考えもうやーーめた!
もう条件なんかどうでもいい。

人生一度きり、泣ける仕事をしよう!

開き直りですね。てか破れかぶれです。かっこいいことなんて何もありません。申し訳ない、家族。ぼくには無理です。人並みにお金をかせぐ能力がありません。その代わり、悔いのない仕事、泣けるような感動できる仕事をしたい。好きにやってみます。面と向かっては言えないので、心の中でつぶやきました。

もう年収500万とか言ってらんないです。
それで今までの就職活動を根本からやり直しました。

ハローワークやーめた!
リクナビやーめた!
マイナビやーめた!

で、っどうしたかというと、
グーグルに直接聞きました。

「泣ける仕事ありませんか?」
「やりがいのある仕事ありませんか?」

検索ワードはこれだけです。

そうしたらETICっていうNPO法人にぶち当たったんです。
起業家精神こそが日本を変えるってことをしている法人でした。
震災復興のコーディネーターを募集してました。
今でも覚えています。「日本仕事百貨」というサイトでした。後光がさしているように見えたんです。

早速面接受けたんです。

面接もすんごい工夫しました。普通にやっては絶対、条件、学歴、職歴、すべて負けるなと。だって働いている人たちが、超高学歴なんです。東大って・・・。正直ビビリました。

イチかバチか、スケッチブックに僕が考えている妄想企画を絵で描いて、絵の具で色も付けました。最後には紙芝居みたいな内容にして。あまりにも稚拙。今思えば43歳の男が良く恥ずかしげもなくやったなと言う感じです。

面接をしてくださった方に恵まれたんだと思います。少し笑ってくれました。なんか喜んでくれた感もあったんです。今でもその方とはつながっています。恩人ですね。

必死に食らいついたんですが落ちました。

でもなんか救済措置的な感じで、業務委託で良かったら少しやってみる?
9月から3月まで、とオファーが来ました。

あまりにも必死だったからしのびなかったんだと思います。
すぐ「やります!」って答えました。唯一ぼくに手を差し伸べてくれた団体でした。期限があろうがなかろうがやろうと思いました。

そして、そこの仲間にしてもらいました。そしたらみんな楽しそうだったんです。事務所も素敵で。みんなで料理作ってごはん食べたりするんです。笑いながら。そこには学生のインターンもいたりして。
カルチャーショックでした。

43年間生きてきてこんな感じに働いてる人に出会うことがなかったんです。仕事なんだけど、今までの仕事の感じがないんです。みんな我慢して働いている人がいないんです。僕のなかでは仕事は我慢とセットでした。

単純な言い方なんですけど、いい人たちだーって思ったんですよね。

本気で社会をよくしようとしているんですよ。

すごくないですか??

なにがすごいって、その人たちの引力がすごいんです。

大企業だって協力するし、起業する人も集まって来る。元気な大学生もいっぱい集まってきます。

勝手な解釈ですが、その根幹は、「楽しそう」だとおもったんです。

楽しそうは希望にみえました。

そのころから何か変わりました。
震災のあたりから心の奥底にあった違和感みたいなもの。

自分はなんのために生きているんだろう。
働くってどういうことだろう。
一瞬で命が奪われることもあるこの世の中に。

そこから今度はETICの方に紹介を受けて、富士市産業支援センター(f-Biz)にお世話になることになりました。
そこで今の起業支援の根本、基礎を教わりました。

ぼくのベースはそこでの1年10か月になります。
そこでいろいろな人と出会いました。

起業家、プロフェッショナル、創業者、商人、様々な人です。
仕事と生きるを混ぜ合わせて魅力的に生きている人たちです。
そこでの経験と出会いはぼくにとって、かけがえのない財産です。

そして今、神奈川を中心に個人で中小企業支援、創業支援、社員研修などをさせてもらっています。
ここにいたる道も本当に偶然の出会い、いろいろな方の助けで成り立っています。

あのとき、あの人と出会ってなければ。
あのときぼくがジタバタ動かなければ。
そんな偶然ばっかりです。
本当に感謝です。

そんな自分が今、相談者さんや相談企業さんと話していて思うのは、楽しさが足りていない。

売上が上がらない、人が来ないっていう悩みは、圧倒的に楽しさが足りてないなと思ったんです。

日本人は仕事はつらいもんだ、辛抱しろ、そんな昭和のど根性物語で毒されすぎています。

仕事って誰かを喜ばすことです。
誰かのうれしいになることです。
つらいことなんてないんです。
少なくともつらいや辛抱が全面にでてくるようなものではないんです。

ぼくは思います。
社長さん、従業員さんの一人ひとりが自分の好きに、もっと敏感になればいいと感じています。

好きやうれしいや楽しいの価値が相対的にモノの価値より上がったんです。

東日本大震災でモノは見事に一瞬で消えていきました。
でも、人のうれしいや楽しいや好きは消えませんでした。
今は目に見えないものの価値が急騰してるんです。

だから自分の好きや楽しいにもっと敏感になって仕事に活かせばいいんです。

そうすると自然とお客様を喜ばせることができると思うんです。

ぼくのミッションは、「みんなの仕事を楽しくする」です。
ほんと余計なお世話でごめんなさい。
でも人生かけてやってみたいんです。

みんなが「あー楽しかった!」って人生を終われるように。

今いろいろなところで、お話させていただく機会を頂いてます。
売上をアップさせるためのセミナーだったり、
PR・広報のやりかた、考え方だったり、
ブランディングの大切さだったり。
いろいろな切り口でおはなしさせていただいてます。
本当にありがたいです。

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でも、すべての根本は一つなんです。
僕しゃべってる内容、実は一緒なんです。

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ぼく気づいたんです。

かれこれ今の仕事7年ぐらいやってます。
どれだけの相談に対応してきたでしょうか。
仕事がうまくいってる人って絶対楽しんでるんです。
楽しいは最強なんです。
楽しい気持ちでしかアイデアは浮かばないんです。
楽しい人にしか人は寄ってこないんです。

自分の好きなことでめいっぱい周りの人や社会を喜ばせる人を増やす。
みんなが仕事を通して喜ばしあう社会。

人より大切なものはこの世にない。

「よろこばし愛」社会をつくっていけたらいいなって思っています。

そしたらみんな楽しくなって、日本の企業はもっとよくなり、
新しい事業がもっと生まれて、世の中に楽しさが増える。

世の中にうれしいのやりとりを増やす、一人ひとりが小さな会社。

世の中に、人が絶望しない選択肢をたくさんつくる。(あの時、絶望しかかったので(笑))

人生を楽しむために、仕事はとっても便利だよ。

小さな会社研究所は、そういうことを発信していく場所です。

長文読んでいただきありがとうございます。

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