旅と飛行機にまつわる小噺 NY編
真っ青なロサンゼルスの空を悠々と横切る飛行機を見ながら書いている。気軽に旅に行けなくなってしまってしばらく経つ。巷では死に至る病が蔓延しているそうだ。そんな人間の事情にはお構いなしに、あっという間に月日は流れ、私が1年前にロサンゼルスに到着した季節になった。
秋が濃くなるにつれて、空港が恋しくなる。秋晴れが眩しい早朝の空港で搭乗時間を待つのが好きなのだ。まだ人もまばらな売店で、肉まんやうどんを横目に『深夜特急』を買っちゃったりして。
飛行機に乗り込んだあとは、快適な空の旅をお楽しみください、とのありがたいご提案に全力で乗っかる。良い航空会社の飛行機に乗るとコンソメスープで舌をやけどできるし、流行りのLCCに乗ると特に何も起きないので読書に没頭できる。飛行機の中は、どの国にも支配されていない独自の時間が流れている。
そんな優雅な飛行機時間を満喫できるほど、日本の飛行機にはずいぶん慣れた。だがやはりアメリカの飛行機事情はずいぶん違っていた。しばらく旅もできないと思うから、今日はニューヨークを旅した時の思い出話をしようと思う。飛行機の思い出と、美術館の思い出。
機内の太った犬
アメリカに移住してから初めて、憧れのニューヨークへ旅行した。
私がニューヨークに憧れを抱いたのは、原田マハさんの『楽園のキャンヴァス』を読んだのがきっかけだった。読み終わる頃には、楽園の植物に魅了され、叶わぬ恋を胸に秘め、作品を馬鹿にされながらも表現を辞めなかった芸術家アンリ・ルソーのことが大好きになっていた。
そして『楽園のキャンヴァス』の重要なテーマとなったルソー最後の作品『夢』がニューヨーク近代美術館(MoMA)に常設展示されている、ということで実物を観たくて仕方なくなったのだ。MoMAにはルソー作品の中で最も有名な『眠れるジプシー女』もあるという。
ロサンゼルスからニューヨークに向かうフライトは約5時間。
深夜にロスを発った機内には何食わぬ顔で、灰色でヒゲだらけの、控えめに言って太った犬が乗り込んでいた。多分犬種はシュナウザーだが、太りすぎているので本当のところはわからなかった。
あなたそのマシュマロボディならぬブリトーボディで、ごはんとか、おしっことか、気圧の変化とか、ごはんとか、ごはんとか、ごはんとか、大丈夫?
と他犬事ながら心配になった。だが、当の本犬は長時間のフライトにもかかわらず飼い主の膝の上で終始幸せそうに眠っていた。
一度も吠えなかったし、粗相もしていなかった。ごはんやおやつを食べた形跡もない。えらい。えらすぎる。
犬も見た目で判断してはいけない。アメリカでは国内の飛行機移動であれば、犬を機内に同伴していいそうだ。さすが人間よりも犬に優しい国アメリカ。
夢をみにMoMAへ行く
ニューヨークに着いたのは朝の7時だった。
マンハッタンにある宿にチェックインし、荷ほどきもそこそこに『夢』を観にMoMAに急ぐ。急ぎすぎて地下鉄を間違え、反対方向に向かっていた。NYの地下鉄システムはとてもややこしい。日本なら駅構内で反対路線に乗り換えられるのに、NYでは一度外に出て、道路を渡って、違う入り口から入り直さなくてはいけなかった。むーん、もどかしい。夢を見るのに焦っている。
そんなこんなでMoMAに辿り着き、やっと観られた『夢』、そして『眠れるジプシー女』。
オルセー美術館で同作家の『蛇使いの女』を観た時も思ったが、ルソーは本当に青と緑の使い方に長けた画家だなあ、と思う。
吸い込まれそうな不思議な空の色は、何色と何色をまぜて作るのだろうか。
むせかえりそうな密度の楽園風景を描くのに、何種類の緑を使い分けているのだろうか。
フランスを一度も出た事がなかったというルソーは、どこでこの幻想的な情景を手に入れたのだろうか。それこそ夢の中?
ルソーを観るといつも心がかき乱される。この画家が一つの絵にかけた膨大なエネルギーと途方もない時間、そして彼の頭の中を勝手に想像してドキドキしてしまう。
お気に入りの絵の前にベンチがあると椅子取りゲームのようにそそくさと座ることにしている。『夢』の前にもちょうどベンチがあったので、しばらく大好きな絵と二人きりの贅沢な時間を過ごした。
私はあまりにもこの絵が好きで、いつかビッグになってこの絵を買い取ってやる、と分不相応な野望を抱いていたこともある。正直に言うと、今もちょっと抱いている。実際MoMAの常設展示の絵を買い取ろうと思うと、ウン千億円しそうなので『夢』を手に入れるために私に残された手段は、今のところ強奪しかなさそうだ。立派なルパン予備軍である。
物騒な話はここまでにして、私はいつかルソーの絵を全部観に行ってみたいと思っている。作品数はそれほど多くないはずだから楽勝だ、と思っていたら全く見当違いだった。フランスのルソー作品は制覇したので除外するにしても、残すはアメリカ(フィラデルフィア・ワシントン・ニューヨーク・オハイオ)、イギリス、スイス、オランダ…。ざっと数えただけでこんなに行くところがある。これはますます楽しみだ。旅の思い出話のつもりが、次なる旅の計画話になってしまった。それもまた一興だ。
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