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「私の経歴書 8」近づく課長試験、採用面接、忍びよる中国の影

勤めていた電機会社はフランスの大手電機メーカとアライアンスを結んでいた。その関係もあって、新機種をその会社の中国深圳工場で生産することになった。理由は特許回避があったようだ。立上げ当初は部品の一部をマレーシアから送ることになった。輸送費もかさむことより、ゆくゆくは中国現地で調達するとの方針であった。日本から託された宿題、「安定的な部品供給体制」にはどうやらそのことも含まれているようだった。

シンガポールに異動すると、現地スタッフを雇い、自由に動ける身になれと再三言われるようになった。「課長試験中なんだけど」とも言いたかったが、事業がガンガン伸びている最中でとてもそんなことを言える雰囲気でもなかった。

着任早々、現地スタッフの採用活動から始めることにした。まったく未知の経験。部門責任者に相談して、協力してもらえそうな部門内の現地スタッフをアサインしてもらった。こういう時に頼りになるのはやはり現地スタッフだ。募集する職種情報を提示、総務人事から書類選考を通った数名の履歴書が渡された。
今までアルバイトを含めて採用される身であって、人を採用するのは初めてである。なかなか要領を得ない。現地スタッフに相談しながら5名くらいに絞って面接することにした。面接となればさらにハードルが高くなる。しかも英語である。何を聞いて、何をもって選考するのか?すっかり現地スタッフに頼ることになった。

面接が始まった。現地スタッフが仕切る面接のなかから候補者の性格なりを理解するしかないと思っていた。面接後が終わると、現地スタッフからフィードバックがある。数名の面接を終えたとき、「この女性絶対おすすめ」「性格がよくて、まじめ」と言われた。その時は正直全く理解できなかった。
予定していた全員の面接が終わると、現地スタッフはその女性を勧めてくる。本人的には何の確信もなかったが、現地スタッフの熱意に負けてという感じで、その女性を採用した。
はじめの頃はまったく気づかなかったが、あとになって、現地スタッフの言うことが良くわかった。大正解だった。この女性にこの先大いに助けられることになる。この面接に協力してくれた現地スタッフにはその後も面接で協力してもらうことになっていく。

筆記試験の日程が近づいていた。シンガポールに来て以来、何も勉強できなくなっていた。なかなか試験のことに集中できる環境ではなかった。楽観的に考えたいけど、プレッシャーを感じ始めていた。

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