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「私の履歴書 15」むかしの仕事仲間を迎え入れる。積み重ねた人のつながりが助けになるとき

 海外赴任した直後は何かとバタバタとしていた。現地生活に慣れる前に、次々と難問が降りかかってくるように感じていた。増える続ける生産数に新モデル、中国深圳の新拠点立ち上げなど仕事も増え、現地スタッフを増やし、効率的に動けるようになっていた。
 赴任当時に比べれば、だいぶ落ち着きていた。

 一緒に仕事をしたことで、Div.Managerともすっかり仲良くなり、帰りがけによく飲みに行くようにもなった。
オフィスが街中に移ったとことの影響があるのかもしれない。
それまでのオフィスはベイエリアにあった。寄り道できるお店がなかった訳ではないが、まっすぐ家に帰ることが多かった。まだ、現地に馴染めなかっただけだったのかもしれない。
新しいオフィスは、オーチャードロードのほぼ中央、高島屋が入居する義安城にあった。オフィスが引越したその日に、Div.Mangerに誘われ、オフィス目の前の寿司屋で軽く飲んで帰った。それ以来、よく一緒に飲みに行くようになった。
来訪者があれば、ローカル料理屋に行ったりもするが、日本人同士となると、日本料理に行くことが多くなる。5~6軒の居酒屋などの日本料理屋を順繰りに回っていた。そのうちの何軒かは馴染みになった。居酒屋の大将やママとも仲良くなる。そんなことからゴルフ仲間になったりもした。

社外の人たちのつきあいは少しばかり難しい。コンプライアンスの問題も関わってくるが、時として、同じシンガポールに赴任した仲間同士みたいな感覚もある。
明らかに仕事目的だけで近寄ってくる人もいるし、コンプライアンスをわきまえつつ、人と人として付き合える人たちもいた。そうした人たちの何人かは帰任後も連絡取り合う仲間になった。仕事の上で直接の結びつきがなくてもつながっている感じがあった。そうした関係は、仕事の上でも助けになる。必要な時に、仕事の上で支援が必要になったときに、素直にお願いができたりする。

Div.Mangerと始めたフィリピンの仕事が落ち着くと、中国天津にある日系メーカの工場で新たに生産を始めることが決まった。また、現地でのサプライチェーン作りに駆り出されることになった。

新たにスタッフ1名を雇うことにした。生産するモデル数も増え、仕事量が増えていたこともあるし、現地スタッフ間に、感情のもつれからいざこざも生まれていたので、その解決を図りたかった。

シンガポールに着任前、もう何年も前に、一緒に仕事をしたことがあるシンガポール人の仲間に声を掛けることにした。柔和な性格で、現地スタッフのマネージできるのではとの期待もあった。前回の仕事は、会社の都合でなくなってしまったが、一緒に仕事をした経験から信用できたし、やってくれるだろうとの期待もあった。
会って話をした。条件面で折り合いがついたので、来てもらうことにした。また、一緒にできるようになり、うれしくもあった。基本、彼にシンガポール、マレーシアの仕事を任せ、自分は新しく始まる中国天津の仕事に集中することにした。

新たな生産拠点でのサプライチェーンを5か所で立ち上げたことになろうか。そのたびに仲間が増えた。全ての人々とうまくいくということはないが、外国人、日本人問わずと多くの人々と知り合い、つながりができた。そうしたつながりが、また新たな拠点での助けになる。天津での仕事では、そのことをつくづくと感じることになる。

シンガポールでは古くからの仲間を受け入れ、中国天津ではまた新たな仲間との仕事が始まろうとしていた。

(前回までの話はこちらから ↓↓↓↓)


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