見出し画像

松下幸四郎



列車に揺られどのくらい経っただろうか。


そもそも仙台から上京するに、東北新幹線でなくわざわざ常磐線特急を使うというのだから。

1時間半で行けるところを5時間もかけて上京、しかしこれは決意の現れであるのだから後悔はない。

仙台というのは居心地の良いところで、それゆえに「ぬるま湯」な所もある。
仙台人、引いては東北人にあるところ「保守的」である。
ようやくパートナーシップ規定が仙台市に導入されるが全国の政令指定都市では一番最後の導入であった。

一度いわきで乗り降りが大きくあったが、特急ひたちは仙台出立時とさほど乗客はいない。
目に付くのはひたちなか海浜公園帰りの団体だろうか。
テーブルには親に「何かあったらこれを読め」と夏目漱石の三四郎が伏せて開いてある。

岩沼をすぎて、ほっとしたのか鞄から取り出して呼んだ物の、参考書になるのだろうかとたかを括っていた部分があり前半を少し読んだところで意識が無くなった。
ニーチェや柳井正の新書なら参考になるかもしれないが、なぜこの時代に夏目漱石なのか。
そんな事を更けていたら上野の山が右側に見えてきた。

地下鉄を2、3路線乗り継ぎ笹塚のアパートに付いた。
管理人に無理を言って、荷物だけとりあえず部屋に入れさせてもらった。
ガランとした部屋に段ボールが積まれている。
とかく金がないので、京王線のすぐ脇のアパートだ。宵の口に着いたのに横を京王線が通っている。
思ってたより往来が激しいが、鉄道が大好きな母親の影響か何ら不自由を感じない。

何よりこの笹塚というのが絶妙な位置だ。大学のキャンパスはこの先数駅先と駿河台が2つある。
どちらにも1本で通え、とりあえず大学の講義がないときは新宿で遊べるかバイトが出来る。

翌る日、大学へ出た。
入学式には間に合わなかったが、とかく両親はそんなのは通過点だと気には留めなかった。
しかし休み時間になるとそこかしこでサークルの勧誘が激しい。
そもそも仙台から出てきてサークルに入る余裕なんて物はない。
すると「おい、松下君だろ!」と何とも明朗な声が聞こえてきた。

彼は同じタイミングで秋田の大仙から上京してきた次郎と言った。
なかなか大声で話す快活明朗な性格で、何でも大学生活で350人友達を作ると豪語してる。
彼との出会いもまた運命で、昨日の晩京王の新宿駅で迷いに迷ってたので看板の通りだと案内したのである。
「君はサークルに入らないのか?」とまくし立てるかのように聞いてきた。
「僕はあくまで勤勉に励むんだ」と謎に斜に構えるように答えた。
次郎くんはそれは時間の使い方が下手だと忠告してきた。
すると横から何とも硬派な人が入ってきて
「君たち東京に来たんだろ?学ぶのも良いがそれでは物足りないだろ」
と口を挟んできた。
彼は次郎くんが早速作った友達で八尋くんと言った。本郷からわざわざここまで通ってるらしい。
いわば「東京人」である。
とりあえず東京を案内すると数日後に約束を取り付けられた。

アパートに帰ると仙台から手紙が来た。
このご時世、LINEだメールだと連絡手段があるのに手紙とは親もなかなかマメなことをする。
長々と書いてある。丁寧に貯金から月末に振り込んでくれる事やもし足りなくなっても遠慮は要らんと。
後は仙台で起きたことがつらつらと書いてある。
河北新報の無料ではあるが、会員で1日1記事読めるというのに何とも昔のような感覚だった。
大学の図書館でドストエフスキーを読んだような感覚だ。

数日後、次郎くんと八尋くんとで東京見物をした。
もちろん八尋くんは硬派なのでいきなり新宿の末廣亭へ行かされた。いわば「寄席」である。
自分は仙台で有名な洋食屋の息子さんの寄席を聞いた事あるが、もちろん次郎くんはない。

しかもまさかの「饅頭こわい」というのに僕はえらく退屈だったが一応聞いておこうと意識ははっきりさせて聞いていた。
オチで次郎くんが大爆笑してたのでこのご時世でも喜ぶ人が居るのかと一つ社会勉強になった。
電車で移動中、八尋くんは落語について止まらない。小さんがどうだ、四天王の上につけ麺大王の林家三平がどうだ。
次郎くんは目を輝かせて頷いている。まさに八尋くんが一席設けてるかのようで僕は退屈することがなかった。

今度は六本木ヒルズへ行くと言い出した。
確かにザ東京という場所である。
ただ自分は高所恐怖症なので別れて下の商業施設を適当にぶらついた。
すると後ろからか弱い声で話しかけてきた
「あの…毛利庭園ってどちらでしょうか…?」
背が高く、前髪を綺麗に整えふわふわしてる。
どこか落ち着いた雰囲気のいわゆる「小股の切れ上がった美人」というところか。
自分も初めてなのでわからないと答えた。
彼女もお友達とはぐれてしまい、その上ショッピングを楽しまれたので庭園で落ち着きたいという。
何にも悪い感じがしなかったので看板を頼りに2人で向かうことにした。

彼女は「さくら」と名乗った。
愛知から上京してきて何でも「叶えたい夢」があるという。
しかしこちらで言うところの八尋くんのように東京を案内すると言ってきた方と六本木ヒルズに来たらしい。
「出身はどちらなんですか?」とまだか弱そうな声で聞いてきた。
「仙台です」と素直に答えた、すると彼女はそれまでのか弱い表情が一変しまさに桜が咲いたような表情をした
「私の同い年の友達も仙台出身なんです!確かに優しそうな感じがその子に似てます!」
深く聴かなかったが悪い感じはしなかった。

六本木ヒルズの裏手には確かに大きい庭園があった。池には六本木ヒルズのタワーが反射している。
今頃次郎くんは八尋くんからレクチャーを受けながら大都会東京を満喫しているだろう。
何気なくさくらさんと庭園のほとりでのんびりしながら鞄から夏目漱石の三四郎を取り出した。
「本、お好きなんですか?」と尋ねてきた。
「読むのはあまり…でも親が上京する時に参考書だと無理やり鞄に入れられましてね…」とその時の心情と共に答えた。
「ふふっ…松下さんって本当にまっすぐな方ですね…」と不敵な笑みを彼女は浮かべた。
そろそろ2人が展望台から降りてくるので別れようと立ち上がった。
すると彼女が耳元で「私のストレイシープになりませんか?」と囁いた。
僕はさくらさんを見つめてきょとんとしているとメモを僕の上着のポケットに突っ込ませた。
「ほら、お友達が来ますよ~」と何もなかったかのように振る舞った。

不思議なことが起きたもんだと家に帰り、すっかり疲れで忘れていたメモを取りだした。
彼女の連絡先だ。
そうか、彼女は三四郎を読んだことがあったのかと合点が付いた。

いいなと思ったら応援しよう!