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あるべき姿なんて、きっとなかった

昔から、友人の相談を受けることが多かった。何か解決への道筋を示せるわけでも、気の利いたことを言えるわけでもなかったけれど、「何かあれば、わたしでよければ話してね。聞くことしかできないけれど、聞くことだけならできるから」と何となく気になった子に伝えてきた。

気持ちを吐き出すことは、勇気がいることだと思う。弱さを見せることは、下手をすればさらに傷つくかもしれないことで、だから、覚悟がいることだと思う。

もし、わたしのささやかなひとことで、「話してみようかな」と思えるのなら……という思いで、わたしは「聞くよ」のサインを出し続けている。


高校に入る頃まで、わたしは誰かに悩みを相談することが、とてつもなく下手だった。頼りにされることが多く、「しっかりしてるよね」と友人・周囲の大人に言われ続けていたこともあり、自分自身でも「頼られキャラ」の一面ばかりを見せ続けてきたのだと思う。

「なんかさ、あなたは自分で自分をがんじがらめにしている気がするんよ」

「“こういうキャラやから〜”って思いすぎて、そうじゃない自分を出さんようにしてるやろ。それ、勝手に縛られる必要はないと思うで」

高一の頃、心の一番柔い部分をさらけ出した相手からもらった言葉を、今もわたしは大切にしている。

そう言ってもらったのに、今もわたしはわたしを縛りがちだ。

ときどき無性に苦しくなるのは、きっとそんな鎖の力が強まっているからなのかもしれない。「こんなこと、きっと言わない方がいいんだろうな」と思うことは多々ある。もちろん、何でもかんでもさらけ出すことがいいわけではないのは事実なのだけれど、それでも、飲み込む心が増えれば増えるほど、わたし本体と乖離していって、次第に無理が祟るのは当たり前だと思う。


「聞くことだけならできるからね」

このひとことを投げかけなければいけないのは、ほかでもないわたし自身なんだろう。あれやこれやに捉われて、「だって」や「でも」に邪魔されて、わたしはわたしの本心と、実は向き合えていないのかもしれない。


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