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今回の入院中のことと現在

復学としての行動が本格的に動き出しました。
正直、不安でいっぱいです。
まとめて過去にまとめておいたデータがない😓久しぶりにzoomでゼミに参加すると操作がわからないことがあったり、ミュートのまま喋り続けていたりと、なんかやっぱダメなのかなと思うところも多々。
この記事も結構に書いたのだけど、操作ミスか消えてしまった😢

入院当初のころを思い出そうと、ここ数日がんばってはいるが、全然ダメ。わからん。
意識が戻ってから、また記憶にある会話の始めは「ここはどこかわかりますか?」だった。その後、嫌というほど飛び交った同じ質問内容。全然わからないので、なんとなく東北方面に来ていたことはわかったので、「茨城県」と答えると違います「宇都宮」と。夢なのか勝手な思考が頭を飛び交っているので混乱状態だったことは認めます。しかし、この問答はしばらくの間続き、私を苛つかせる材料にしかならなかった。記憶が無い。今どこにいるかかもわからない・宇都宮だと言われても確証がないし、そうである証拠はないし、示されない。ひたすら宇都宮の◯◯病院ですとわかりきった答えが続くが、私は納得していなかった。携帯を取り戻すまでまだしばらくかかるのですが、スマホをみるとなぜ宇都宮にいたのかもスッキリするぐらい理解出来たのだけど。

とりあえず、どっかの病院にいることが理解出来てきた。この時点ではまだスマホがないので宇都宮で入院している自覚が無い。とにかく、いろいろよくわからない。出てくるもの、されることに従っていくだけ。
この時点で充分不自由だが、ここから生活部分で困ることが多々。トイレに自由にいけない。ベッドには柵がされ簡単にはベッドからおりられない。柵を外そうにも、筋力が無くなってしまったのか、もともと硬いのか、外せない。トイレに行きたくなる度に誰かを呼ばなければいけない。仕方なくナースコールを押したりして呼ぶのだが、だいたいしばらく来ない。限界が来るので、仕方なく声を張り上げて「お願いします」やら「助けてください」などと呼ぶのだがなかなか来て貰えない。挙げ句の果てには、うるさくて、叫ぶ人みたいな受取方をされてベッドに拘束されることに。本当にベッドから離れられない状態に。柵も拘束具にも強烈に抵抗館があったので、ことある毎に抵抗したが1週間ぐらいつづいたかな。手術後に暴れたらしく、呼吸器とか身体に取り付けた器具や注射など全部引き抜いたらしい、と、これが原因で引き金となったらしいことを数周後に聞いた。記憶に無い。私の意思は無視され、挙句にはその場でしろ(おしっこ)と言われ、当番の人が変わらない限り期待できないのでガマンするばかりの時間。

それにしても無駄に拘束されて、精神的にダメージを負った感は今でも否めない。
トイレの制限が少しすると緩まるのだが、それでもいつでも誰かが付いてくる、呼ばなくてはいけない。酷いとトイレの個室の中まで入ってくる。さすがに遠慮して貰えませんかと言って出て貰ったが、この時点ではこれが普通だった。

もうしばらくすると、軽いリハビリが始まった。部屋から出る口実ができたし、なによりも食事がリハビリを担当してくれた方のおかげで大部改善された。食事をするのには、フォークか箸が無いと口に運ぶことができない状態だったが、これを食事中に呼びに来たリハビリ担当の方に相談すると、食べにくいものを食べさせてくれった。情けないなとは思ったけど、非常にありがたかった。体重が落ちていることを自覚していたし、体力の低下も心配していた。本当にありがたかった。
その後に、自分の手元に頼んでいたスマホと現金、PCが届く。PCは充電ケーブルが無く、またしばらく使用できず、さらにはWi-Fiがないのでテザリングに頼るしか無かった。不自由しまくった部屋は諸事情から有料でも良いから部屋を変えてもらいWi-Fiあると言われていたけど、結果無かった。
これでは、ろくに仕事も出来ないので、ネットでラジオを聞き、映画のマイインターンを何周か見る結果に。そのくせ、1Fにある売店(コンビニ)ではID決裁ができるとか、ありがたいけどんなシステム?環境崩壊を改めて実感する。ちなみに、コンビニへ行くのも一苦労。誰かを呼ばないといけない。リハビリのあるときは同行をお願いできたりありがたかったけど、通常はトイレと同じく、数時間待たないといけない。勝手に行くと怒られる。少し後になるが、そのことを愚痴っていると、私の入院している5階に自販機があることをリハビリの人から教えて貰った。如何に行動範囲が狭く設定されていたか、自由度が無かったのかがこの時にわかる。その後は、ふらつきが収まってきた、無くなった自覚から、ガマンならないのでたまにこそっと抜けて1人でコンビニにいったり、体力回復のために1階から5階まで階段で何往復したりなど、勝手に行動の幅を増やしていった。

その後は、苛つく日々の連続。さっさと転院して地元に戻りたい気持ち。兎にも角にも、仕事が心配。経過を様々に聞いている限り、恐らく最悪に近い状態だと考えていて、これは思った通りその通りだった。思わぬ所から助け船もあり、これは今後何かの形を持って返して行きたいと思う。
転院先が見つからないという一辺倒で病院に転院を引き延ばされる感じが否めない。歩ける、しゃべれる、何なら走れる状態で転院し入院が必要なのかと何度も聞くが、答えが返ってこない。身内は、先生がそう言っているからの一点ばかり。私の意見は誰も聞いて貰えない。因みに転院先の第一候補は自宅から歩いて10分もかからないところにある場所だった。なので、通院を強く望んだ。とにかくこれまでの入院生活が私にとって非常に居心地が悪く、最悪な時間だったことは今考えても同感である。

書ける範囲で、経緯を書いてみた。書けないことは実はある。私の本音は書いているようで、核心に迫る部分は書かない方が良いと思って書かないことにした。精神的余裕があれば直接お話できる人にはいつでも話せる用意はあります。

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