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7年間の広告代理店生活をガッツリ振り返ります【新卒~3年目まで】

こんばんは、神宮寺です。
先日こちらのnoteで、7年間勤めた広告代理店を退職したことを、自己紹介も兼ねて報告させて頂きました。

広告代理店での7年間のキャリアを振り返ることを決めたので、今日からその内容を書いていこうと思います。単純に振り返るだけでなく、どういう学びがあったのかもしっかりまとめていきます

「広告代理店のキャリアってどんな感じなんだろう?」と興味がある方はぜひ読んでみてもらえると嬉しいです!

▼はじめに

7年間を以下4つのブロックに分けて書いていきます。

▼7年間の内訳
①1年目(新卒:グループ会社時代)
②2~3年目(運用プレイヤー期)
③4~5年目(リーダー:チーム拡大期)
④6~7年目(マネージャー:役割拡大期)

今日は①~②までを振り返ります!

▼①1年目(新卒:グループ会社時代)

私の1年目は、㈱DGコミュニケーションズという会社ではじまりました。
私は正確には、デジタルガレージの新卒ではなく、グループ会社のDGコミュニケーションズ(通称DGC)に新卒で入社をしました。
採用はグループ全体でやって各会社に配属が割り振られるというわけではなく、採用から別々だったので、私はDGCに入るまでデジタルガレージのことは知りませんでした。

なぜDGCに入社したのか?

DGCに入社した動機ですが、特にありませんでした
私は大学時代は、本当に勉強を毛嫌いしており、ゼミにも入らず、部活に明け暮れていました。
就職活動に出遅れて、正直やる気を失っていました。
同級生たちが4月に続々と内定が出ている中、私が本格的に就職活動を開始したのは、7月中旬でした。
(3月にも少し動いていたのですが、うまくいかずにすぐに挫折しました。)

たまたま訪れたネオキャリアでいくつか会社を紹介してもらい、選考に進みました。
その中の一社がDGCでした。
紹介してもらった会社の業種は本当に雑多でしたが、「広告業界ってなんかカッコイイなぁ」という理由だけでDGCから内定が出れば就活を終えようと思っていました。
DGCの最終面接で、社長が最初に発した言葉を今でも鮮明に覚えています。
「成績悪いけど、勉強はしてなかったの?」
といきなり痛いところをつかれました。全てを見透かされていた気がしたので、
「はい、していませんでした。」
と正直に答えました。
そのあと、色々な話をしたと思いますが、それ以外は覚えていませんでした。
その翌日、内定をもらうことができ、私は就活を終えました。
後々、社長に聞いた話ですが、あの時私が成績が悪いことに対して言い訳をしていたら落とすつもりだったそうです。
素直さをポテンシャルと捉えて、採用をして下さりました。同期4人の中で、最も不安だったのが私だったそうです。
そんな私を採用してくださったことを今でも心から感謝しております。

内定は頂いたものの、大学の同級生たちは、5大商社やメガバンク、大手自動車メーカーなど錚々たる企業から内定をもらっていたので、
当時の私は劣等感を感じていました。(※DGCはとてもいい会社でしたが、名前が知られていなかったので)
この劣等感をバネに、ここまで多忙な仕事を頑張ってくることができたのかもしれません。
私の性格的に、大企業に入っていたら絶対に守りに入っていた気がします。

DGCに入社してから

そんなこんなで入社したDGCは、不動産広告に特化した広告代理店でした。
大手のデベロッパーやハウスメーカーの新築分譲マンション等のプロモーションを一気通貫でやっていました。
物件HPの制作、パンフレット、図面集、チラシ、DM、駅看板、イベントなど物件のプロモーションに関わる領域はほぼすべてやっていました。
(Web広告の取り扱いはほとんどなかったですが)

私は、営業として社会人人生のスタートを切りました。
1年は、一言で言うと「ハード」でした。
もともと私は要領のいいところがあったので、仕事を覚えるという部分はスムーズに進みました。(と自分では思っています)
とにかく早く一人前になりたくて、先輩の下で案件に入るのではなく、自分がメインで担当する案件を持ちたい一心で仕事を覚えました。
そして、入社して半年経った頃に、自分がメイン担当の新規案件を任せてもらうことができました。
その時の私は、調子に乗っていて、誰の助けも借りずに新規案件を一人で立ち上げられると思っていました。

蓋を開けてみるとひどいものでした。すべてが圧倒的に足りていなかったです。
営業としての段取り・気配り・根回し・スケジュール管理など、基本的なこともままならず、いろんなパートナー会社とお客さんとの間での自分の介在価値も何一つ出せていませんでした。
お客さんにも、制作会社の方にも、たくさん怒られました。

結果的に自分だけでは対処しきれず、先輩方にトラブルシューティングをしてもらいました。
正直、自分がやっていることも、先輩方がやっていることも、「仕事の内容」自体は同じでしたが、一つ一つのクオリティに雲泥の差がありました。社会人は仕事を覚えるだけでなく、プロとして高いクオリティの仕事をしなければならないことを学びました。

さらに、もう一つ教えてもらったことがあります。
突然先輩に、
「ミーシーって知ってる?」
と言われて、私は「わかりません」と答えました。
「調べて勉強してみるといいよ」と言われたので、本を買って勉強しました。
「mece」は"漏れなくダブりなく"という概念ですが、簡単に言うとロジカルシンキングの一つです。

先輩は、私が深く思考せずに目の前の仕事をこなしていたことを見抜いていて、上記の質問をしたのだと思います。自分で振り返ってみても、私は目の前のことにいっぱいいっぱいで状況を整理したり、何が最善な打ち手かを深く考えることなく、仕事をしていました。
当時は自分でも気付かなかったのですが、ロジカルシンキングを勉強してから、仕事がうまくいきだしたように感じます。

社会人1年目が終わるころ、私は突然の辞令で親会社であるデジタルガレージに出向することになりました。
(これは色んな事情があったもので、私が優秀だったとかそういう理由ではないです)
デジタルガレージでは、DGCではほとんど縁がなかったWeb広告の部門に配属されることが決まりました。
そんなこんなで私の社会人1年目は幕を閉じるのですが、ここでDGCの1年で学んだことをまとめておきます。

新卒1年目の学び

1.営業は大変
結果的に翌年から私は広告運用者としての道を歩むことになるのですが、
1年間営業を経験できたことは本当に役に立ちました
全ての連絡対応に加え、資料作成、予算交渉、社内調整、社外調整、請求業務など、本当にやることがたくさんありましたし、
なによりプロジェクトの責任者としてお客さんに向き合う大変さを知ることができました
営業の視点ないしお客さんの視点を持ちながら仕事ができるようになったのは、この1年の営業経験が大きかったです。
2.仕事はクオリティにこだわらないといけない
同じ仕事をしていても、同じ結果にならないのは、クオリティが違うから。
そのクオリティこそがビジネスマンとしての自分の価値なんだと身をもって学びました。
クオリティを上げるためには、毎日の仕事をこなすだけでなく、自分で勉強をして、思考して、行動をしなければならないと気付きました。
そして、これを実行すればきちんと結果として返ってくる実感も得られました。
3.職場の雰囲気は実はすごく重要
DGCはとにかく職場の雰囲気がよく、先輩方もいい人ばかりでした。
頻繁にご飯に連れてってくださったり、毎週一緒にフットサルをしたり、ゴルフをしたり、仕事以外のところでもアットホームな楽しい時間がありました。
仕事はかなりハードでしたが、私は仕事に行くのは毎日楽しみでした。
仕事の相談ももちろんできますし、仕事以外の話をするのも楽しかったです。
そんな先輩方にはやく一人前として認められたいというのもモチベーションになっていたと思います。
「仲良しサークルみたいな職場がいい」というわけではないですが、
「仕事に行きたい」と思える職場は素敵だと思いますし、今は自分がそういう環境を作れる人間になりたいと思っています。
(もちろん全員が仕事を真剣にやるのは前提条件として必要だと認識しています)

▼②2~3年目(運用プレイヤー期)

2年目:運用デビュー

ちょうど社会人2年目になりたての4/1からデジタルガレージで働くことになりました。

私も裏事情は細かくわからないのですが、配属される部署を選ぶ権利はもちろんなく、言われるがままに広告運用部署に配属されました。
DGC時代は、ほとんどオフラインの広告しか取り扱ったことがなかったので、Web広告の知見は皆無で、「運用って何するんですか?」という感じでした。

ちょうどその頃、スマホに特化した「インフィード広告」が出始めのタイミングで、私は幸運なことにインフィード広告の運用チーム立ち上げを上司と2人でやれることになりました。
(※インフィード広告とは、FacebookやYahoo!などのタイムラインの間に記事や投稿などと同じフォーマットで掲載される広告です)

初めて媒体の管理画面を触り、調整を行った時の感想は、「楽しい」でした。(初めて運用をした媒体は、M.T.Burn社のAppDavisというアドネットワークでした。)

それまで営業として、いろんな会社や人にお願いをして、お客さんに成果物を提出するという工程に苦労をしていたため、
自らが調整をして、お客さんに成果を返せる運用ってなんて素晴らしいんだと思いました。
そこから私は運用にのめりこみました。四六時中管理画面を見て、ありとあらゆる検証を行いました。

立ち上げたばかりのチームで2人しかいなかったので、入稿やレポート作成はもちろんのこと、クリエイティブ作成まで自分たちで行っていました。
クライアント支給の素材や、フリー素材を使って、使ったこともないフォトショップをググりながら使って、画像を作っていました。
当時は無我夢中でやってましたが、今思うと自分で作ったクオリティの低い画像をお客さんに提出して確認してもらうなんて怖くてなかなかできないなと思います。

そういう経験ができたことで、オペレーションをやってくれるメンバーや、クリエイティブを作ってくれるメンバーのありがたみをより強く感じられている気がします。
そんな感じで完全マンパワーながら運用をしていくうちに徐々にプロダクトを攻略しはじめ、成果が出せるようになってきました。
取り扱い媒体も、Gunosy、Yahoo!インフィード、Facebook、SmartNews、Cookpad、AKaNe、Amoadなど、どんどん増やしていきました。

売上が増えたことに伴い、オペレーションメンバーやクリエイティブメンバーも増えました。
それによって空いたリソースで、提案ラッシュをかけました。いろんな営業メンバーの訪問に同行させてもらい、インフィード広告の提案をしまくりました。
毎日毎日夜遅くまで提案書をつくっていた時期があり、これはすごくいいトレーニングになりました。
最初の頃に作った資料は稚拙でしたが、数をこなしていくうちにどんどん質が上がっていくのが自分でもわかりました。
体力的にキツい部分はありましたが、短期間で提案資料を何本も作る機会はなかなかないので、やりきってよかったと感じています。
(今思うと汎用資料を頑張って作れよ、って感じですが、なぜか毎回スクラッチで作ってました。笑)

本当に毎日がチャレンジの連続って感じで、自分の成長を実感するとともに、売上もどんどん伸びていきました。
入社当初は、インフィード広告の売上は300万くらいしかなかったと思いますが、1,000万円を超え、2,000万を超え、この年が終わるころには5,000万ほどになっていました。

そんな矢先、大きな事件が起こりました。
ここまででも十二分に人生の転機となるような環境の変化だったんですが、今振り返ってみるとさらに転機となる出来事でした。
ちょうど私がデジタルガレージでの1年目を終えようとしていた頃、一緒にチームを作ってきた上司が会社の新ミッションで異動になりました。
上司は、「私がいるから自分は新ミッションに行けるんだ」と言ってくれました。
もちろん不安はありましたが、それ以上に私はワクワクしていました。上司の期待に応えたい気持ちもありました。

3年目:自分のポジションの確立

そんな感じで始まった社会人3年目は、前年の勢いそのままに突っ走るだけでした。
引き続き案件は増える一方で、コスメ、健康食品、金融、教育、エステ、人材、ゲームアプリ、マンガアプリなど多岐にわたる業種の案件の運用を経験することができました。

担当案件数は膨らみ続け、30クライアント80アカウントを担当し、個人の月間売上は1.2億円ほどまで伸びました。
もちろん残業も言えないくらいの量をしていましたし、土日も管理画面を見ない日はなかったです。

体力的にはしんどかったですが、精神的にはそこまでしんどさを感じていなかったです。
一緒に案件をやっているメンバーは私の運用をすごく信頼してくれていて、そこに応えたい一心で仕事をしていました。
自分がチームを引っ張っていかなければいけないという責任感も感じており、後ろ向きになる余裕なんて逆になかったです。
同じ部署の先輩方やチームメンバーのおかげで、精神的に救われていた部分もかなりありました。
チームを率いるには未熟すぎた私をいろんな方々が支えてくれて、なんとか社内に「インフィード広告」という武器を根付かせることができました。

この年、私は会社の年間表彰でMVPを頂き、チームとしても最優秀チーム賞を頂くことができました。
名前が呼ばれた時は「まさか自分が」という気持ちでしたが、無我夢中で走ってきた道は間違いではなかったのかと思えて、すごくうれしかったのを覚えています。



2~3年目の学び

社会人2~3年目を振り返ってみると、「ハードだけど楽しい」時期だったかなと思います。
先のことを予測して打算的に動くというよりは、毎日目の前に現れるミッションをクリアし続けるという日々でした。
すごく成長している実感が得られた期間だったと思います。
この期間で得られた学びをまとめておきます。

1.「自分のポジションを確立する」という意識が大切
これは個人でも組織でも会社という単位でも大切だと思っています。
私は、グループ会社から異動してきた無名の営業マンでした。
いきなり世の中に浸透していない広告プロダクトの運用チーム立ち上げというこれ以上ない機会を与えて頂きましたが、
そこを何とかものにしてやろうという意識は常に持っていました。
「インフィード広告の運用では、この人には勝てないな」と思わせないと自分がやる意味がないと思い続けていました。
もちろん上司に対しても同様です。
ほぼ無意識でしたが、今世の中にあるセオリーをなぞるのではなく、「自分自身がプロフェッショナルとしてセオリーを作る」という気持ちで取り組んでいたからこそ、より多くの気付きが得られたのだと思います。
2.人は目的がないと限界を超えられない
私は2年目と3年目は、誰よりもハードな働き方をしていたと思います。
その働き方が続けられたのは、
・インフィード広告を会社の武器にしたい
・その役割の中心を自分が担いたい
という目的があり、そこに向けて着実に前進している手応えがあったことが原動力となっていました。
誤解のないように伝えておくと、自分のスキル不足もあり結果的にハードな働き方になっていただけで、もちろんハードに働くことが正しいとは思っていません。
結論、「頑張れば必ずいいことがある」では正直あんまり頑張れないということです。
自分がどうなりたいのか、どうありたいのか、具体的にイメージをしておくといいのかなと思います。
ここで大事なのが、自分の身の丈にあった目標・目的にしないことです。
これでは何も変わりません。頑張って成長をしていきたいのであれば、「自分の身の丈のはるか上の目標」を設定することをオススメします。
3.「人のために働く」ことが私の仕事の軸になった
これはMVPと最優秀チーム賞を貰えた時に気付いたことです。
私は忙しくて死にそうな時には、この案件を受注してくれた営業やクリエイティブを作ってくれているクリエイティブメンバー、そして信頼して発注してくれているお客さんのことをより強く考えて、仕事をしていました。
すごく綺麗ごとを言っているようで嫌なんですが、
自分が10アカウント運用してようが、80アカウント運用してようが、お客さんにとってはどれも大切な1アカウントなわけで、自分が忙しいことを言い訳にしてはいけないと常に思ってました。
もちろん物理的にできないこととかもあったりはしましたが、限界ギリギリまで手を尽くして仕事ができたのは、
「一緒に仕事をする人たちに喜んでほしい」という気持ちがあったからです。
一方で、私も人間なので、「自分が評価されたい」と考えて仕事をすることもありました。
でもこういう時はなぜだか仕事がうまくいかなくて、自分自身もなんだか得体のしれない気持ち悪さを感じていました。
そういった自分自身のフィーリングと、周りからの評価が重なったタイミングが、MVP/最優秀チーム賞を受賞したときでした。
「人のために働くこと」が自分が最も力を発揮できる考え方なのだと感じ、今でもうまくいかない時はより強く「人のために働く」ということを意識するようにしています。
この真逆の行動が私利私欲に走ることです。私はこの行動をすると全てがうまくいかなくなるので、気を付けています。
3年で自分の働く軸が作れたことは今となってはすごく良かったなと感じています。

▼まとめ

きちんと振り返ろうとするとなかなか大変ですね。。(3年で7,500文字。。笑)
でも、こうして振り返ることで、自分がこれまでやってきたことをしっかりと整理できて、未来につなげられるイメージが湧いてくるので、まだ終わってないですがやってよかったなと思っています。
もちろん4~7年目もこんな感じで振り返る予定です!

自分でやってみて、いろんな人の振り返りを見たいなーと思いましたので、便乗してくれる方がいたらうれしいです!必ず読みます!

もうすぐ2020年が終わりそうなので、、
皆様、今年も大変お世話になりました!来年もよろしくお願いいたします!

良いお年を!

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運用型広告に関するnoteを毎週更新 | 広告代理店で広告運用組織のマネージャーをしていました| 都内のベンチャー企業勤務 | 現在29歳 | Twitterもやってます。