カップ

花やしき

小学生のころ、毎週日曜日の朝ごはんは近所にある喫茶店「花やしき」に家族で行くのが決まりであった。

モーニングセットには小さなロールパンをこんがりトーストしたものに、ゆで卵とマヨネーズを混ぜたものと胡瓜の薄切りをはさんだロールサンドと美味しいドレッシングがかかったミニサラダが付いていた。

なによりワクワクしたのは、家族一人一人、お客さん一人一人皆、違う柄のカップに美味しい紅茶や良い香りのするコーヒーを淹れてくれるところであった。

お店の奥さんが高級な食器を一組ずつ、少しずつそろえるのが趣味だったようで子どもの自分たちにも本物のカップを惜しみなく使って美味しいお茶を出してくれるのがとても嬉しかったのを覚えている。

自分と妹は決まってホットミルクティー、父と母はアメリカンコーヒーを飲むのが定番だった。

家族で経営する花やしきは、当時大学生のお兄ちゃんと高校生のお姉ちゃんも休みの日にはお店のお手伝いをしていた。家族4人で素敵な空間を作り出していたのだと思う。

ゆったりした椅子にわずかに聞こえてくるクラッシックやジャズ。そこにコポコポコポ…とコーヒーが沸いてくる音が混じり、香ばしい良いかおりが漂っていて、本当に居心地がよいお店であった。

ただ、ウチの家族は現在の家族と同様、大喰い一家であったので、小さなロールパンと美味しいミニサラダだけではお腹がいっぱいにはならず、毎回決まって、サンドウィッチやピザトーストを追加で注文していたのである。

これがまたむちゃくちゃ美味しかったのだ。ここのマスターは料理の天才だと子どもの頃ずっと思っていた。家の朝ごはんと全然ちがう。なんでこんなに美味しいのだろうと。

ただのトーストさえもバターをバターナイフですくってシャッシャッと力を入れずに塗って斜めにカットして出してくれるものは、信じられないほど美味であった。

ある日どうしてもこのバターのパンが家でも食べたくてたまらなくなり、母にこのお店で使っている業務用の缶に入ったバターを買ってほしいとしつこくねだったことがある。

根負けして母がその缶入りのバターをお店の人に分けてもらい、大喜びで大切に家に持ち帰った。翌朝の朝食が待ち遠しくてたまらなかった。

あの美味しいバターをたっぷり塗ったトーストを食べれると思うとなかなか寝つけなかったのを覚えている。

翌朝、母に起こされ、トーストにあのバターを塗ろうとバターナイフを入れてみた。硬い。ごしごしパンに塗りつけたらバターの塊が溶けきらずに残り、力を入れ過ぎたせいで焼けたてのトーストは穴がいっぱい開いて、ぺしゃんこにつぶれたみたいになってしまった。

「お母さん!これ花やしきのと違うやん!あのすーっと伸びる美味しいバターちゃうやん!」なんだか悲しくなってきて、母に猛烈に抗議した。

すると母が言った。

「uni!そんなお店みたいにずっとバターを冷蔵庫の外に出したままにしとけるわけないでしょ!」

そうなのだ。そういえば、カウンターの中にはいつも缶入りのバターが置かれており、常温でほどよくやわらかくなったバターを使っていたからあんなにすーっと伸びるようにバターが綺麗に塗られていたのだというのがわかった。

やはり。日常の朝食にはそんなこと望んでも無理なのであった。

母がぽつりとつぶやいた。

「お母さんだってね、花やしきのトースト食べたい!日曜日の朝ごはんだけがお母さんの楽しみやの!」

主婦のさぼり日をきちんと設けてたんやね。ちゃっかりしてるわ!

一週間に一度、家族揃って通っていた「花やしき」のモーニング。

自分が高校生になるころお店は廃業したので、もうあの味と、家族そろっての日曜日の朝ごはんは出来なくなってしまったが、今でもすぐに思い出せる思い出の朝ごはんなのである。

そうそう、主婦のさぼりができなくなった母はその後、自分が高校生になるころには朝は起きず、自分たちでパンを焼いてコーヒーを淹れて出かける習慣を作り出したのであった。起きない、という実力行使で。

現在。父が6時に起き、母は7時に起きる。
父がパンを焼き、コーヒーを淹れ、母の枕元に運ぶサービスの習慣まで根付かせたのだから、結構なやり手ばばぁである。


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