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小説「落花生」10

【本作を読む前に】
 「落花生」はダークファンタジーの小説です。
 作中に残酷な表現、グロテスクな表現が一部あるため、苦手な方は読まないようお気を付けください。
 また、こちらは月に一回投稿予定の連載原稿になります。
 挿絵や文庫本風にデザインした「完全版」を後に作る予定であることを、予めご了承ください。
 
 また、上述した完全版では画像で読める作品にする予定です。
 そのため、本記事ではルビを振っていません。
 ご了承ください。


​10
 
 ダイナー・ルナのテラス席は四角いテーブルで統一されている。
 それを店員のゾンビに三つ繋げてもらい、六人掛けのテーブルを作って腰を落ち着け、花織は今更ながら気まずさを思い出した。
 サミュエルとは麓森で別れて以来の顔合わせとなる。遅まきながら居住まいを正し、明らかに口数の減った花織にまほろが吹き出した。
「サムもね」
 笑い乍ら切り出した言葉をそこで止めて、まほろはサミュエルの背中を軽く叩く。
 困ったようにまほろの真っ白な眼を見つめ返し、サミュエルは一つ溜め息を吐いた。
「……花織、麓森の件に関してだが、その、何て言うか……だな」
 きしきしと身体の牙を鳴らし、サミュエルは言い淀む。
 サミュエルは救いを求めてまほろに目を向けるが、彼女はルビーを溶かした様な紅茶が入った、硝子製のティーカップを傾けて瞼を下ろしている。
 観念したように二度目の溜め息を重たそうに吐き出して、サミュエルは真っ直ぐに花織の瞳を見た。
「俺は、俺には非は無いと思っているし、花織にも非は無い。と、思う。結果的に只が無事……命は助かったが、あの時、只は覚悟の上だった筈だ。幾らか関わった事があるから分かる。そういう奴なんだよ」
 そこで言葉が途切れ、ニコラオスが姿勢を正す金属の音がした。
 サミュエルはまだ迷いがある様子で、一度花織から目を離して顔を触り、再び花織に目を向け直す。
「許して欲しいとかじゃないし、謝る気も無い。だけど、これだけは言っておかなくちゃってな、えーと、だからさ……ま……」
 緊張からか小刻みに震え出したサミュエルが咳払いをした。手や顎が震えて骨の身体が騒がしく鳴っている。
「まほろを助けてくれて、ありがとう」
 言い終えて細く息を吐き出し、サミュエルは空のコーヒーカップに口を付けて何度か仰ぐ。
 サミュエルの言葉を聞き終えた花織は、ガーゼを当てたまほろの顔や、襟首から覗く包帯に気が付いて机上に目を落とした。
 助けた、という言葉に見合う働きが出来たのだろうか。そもそも、康人の後押しがあったとは言え麓森に行くと言い出したのは花織自身だ。あの時、花織が言い出さなければ ―― 
「花織が私を引っ張ってくれなきゃ、私はきっと、もっと酷い事になってたよ」
 思考に傾く花織の頭に、まほろの声が届いた。
 顔を上げた先でまほろは優しく微笑んでいる。
「一回目は私が気を失っていた時。二回目は森から出た所で、自分が逃げる事を忘れてジャックに協力してもらった時」
 ティーカップに添えていた指を離し、まほろは両手を膝の上に乗せる。
「私からも、ありがとう」
 頭を下げるまほろに「でも」と言う声は音にならなかった。
 花織は眉根を寄せて、只の声を思い出す。
『誰も悪く無いんだろう。お前の面倒を見せられて死にかけても、片腕を失っても、お前は悪く無い。俺が勝手に動いたからな』
 では、花織が勝手に動いたから、花織がニコラオスに護衛が要ると言ったから、それをしていなければ、このテラス席に座る花織以外の四人が傷付く事は無かったのではないか。
 そう考えが過り、花織はぎゅっと目を閉じた。
「……ごめんなさい。私は、お礼を受け取れないです」
 喉がつっかえそうな言葉を吐き出して、その後に起こる事に身構える自分が憎らしかった。
 かた、とすぐ側で音がする。
「花織さん。ワタクシを助ける為に行動しなければ良かったですか」
 ニコラオスの声に、花織はぎょっと目を剥いて右を見る。
 右隣に座るニコラオスは真剣に訊いていた。
「それは」
 続く言葉を失う花織はまた俯き、からんと鳴った骨の音に対面に掛けるサミュエルを見る。
「そりゃそうだ。俺とまほろは護衛の護衛に充てられたんだから」
 腕を組んだサミュエルは直ぐに「ぐっ」と声を漏らして、まほろに肘で突かれた脇腹をからからと摩る。
「まぁ、そうですね。まほろさんとサムにはワタクシ頭が上がりませんとも。ええ」
 適当にあしらう様に手を払うニコラオスは、花織から視線を逸らさない。
 花織の答えを待っているのだ。
 ニコラオスも、まほろも、サミュエルも。ジャックだけは考え込むように机上に視線を向けていたが、彼女の耳は花織の答えを待っている。
 花織は目を瞑り、ズボンの膝を握り込んだ。
 二日前、いや、病院の待合室で眠ったから三日前になる。役場の管理室で康人と只に麓森へ狩りに出る一団への同行を願い出した時、あの時はただニコラオスの身を案じて、それに「地獄の事を体験として知りたい」と付け加え、護衛を付けるという只の条件を呑んで康人は花織を送り出した。
 もしもあの時、花織が別の仕事を受けていれば。
 そうしていれば今頃は ―― 
 ふと、ニコラオスに目を向けた。
 ニコラオスは花織に耳を傾けるように頭を動かす。
 そうしていれば、今頃はニコラオスが生きていなかったかもしれない。
 ニコラオスに着いて行ったからこそ只が重傷を負った。しかし、麓森で先頭集団が奇襲を受けた時、ニコラオスは巣喰に気が付いていなかった。もしもあの場に只が居なかったら。
 只はすぐ様反撃を始めた兵士達に反して、瞬間的に踵を返し、撤退を叫んだ。
 それであれば、しかし。
 無数に溢れ出してくるたらればが花織の頭の中を満たし、花織は額に手の平を当てた。
『皆が生きる方が良いです』
 脳の奥、思考の渦の中で、ニコラオスの声が蘇った。
 皆が生きる方が良い。胸中で反芻して、花織は只の声を思い出した。
 彼が逃げろと叫んだ時、康人に伝えろと言った時、只はどういう思いでそう言ったのだろうか。只の気持ちがニコラオスの声と繋がった気がして、そして、花織はテーブルの下の暗がりに暖かな夕陽を幻視した。
『花はいつか枯れるけれど、種を遺していくのよ。お母さんの花壇はね、この家に来てからずっと、新しく種を買った事は無いの。そうして命のバトンを紡いでいけますように。そういう人でありますように』
 市街で聞いた事の無い声。飽きる程に聞いた事のある声。
「花織……大丈夫?」
 まほろの声に、花織は咄嗟に顔を上げた。
 夕陽の残像がちらつく様な気がして目を瞬き、花織はふたつ、みっつと深呼吸した。
「ごめん。えっと……ニコラオスに着いて行って、良かったとも、悪かったとも、言えない……。どっちを選んでも、悪い事は起きた気がするから」
 まほろが頷く。サミュエルは僅かに目を動かして花織に据え直し、ニコラオスは動かない。
 ジャックはいつの間にか花織を見つめていた。
「だけど、私の方こそありがとう。サム、まほろ、ニコラ。それに、ジャックも」
 花織の言葉が終わると、テラスの一角に温かくも擽ったい空気が流れた。
 穏やかな沈黙の中、花織は空いた一席に目を注ぐ。
「……只さんに、何にも言ってなかったなぁ」
 花織の呟きに、からんと骨が鳴る。
「面会に」
 サミュエルはそこで言葉を切った。彼の視線は明後日の方へ向かい、それを追う前にダイナー・ルナの、夜空を思わせる濃紺のエプロンを着けた女性のゾンビが、五人の座るテーブル脇に立つ。
「御注文はお決まりですか」
 隣合う円が特徴的な琥珀流の走る無愛想な彼女に、ジャックは軽く手を挙げた。
「ミルクティーはある?」
「似せた物でよろしければ」
「ではそれを」
 ジャックと店員の会話を聞き、花織も同じ物を注文する。ニコラオスはアメリカンコーヒーを注文し、まほろとサミュエルは先程飲んでいた物と同じ紅茶を注文した。
 店員は注文を書き取る事もなく「畏まりました」と一礼をして店内へと戻って行く。
 それを見送った花織は、サミュエルに名前を呼ばれて顔を向け直した。
「面会には行かなかったのか?」
 サミュエルの問いに花織は頭を振る。
「行ったんだけど、その……喧嘩しちゃって」
 サミュエルは驚いた様に顔を上向けて、まほろは続きを促す様に上目がちに花織を見る。
 二人に見詰められ、花織はまた俯いた。
「花織ちゃんは私の為に怒ってくれたの」
 声はジャックのものだった。
 ジャックは四人の視線を受け止めてから「サミュエルには話してなかったんだけど」と前置きをして口火を切る。
「私の本当の名前は、ジャクリン=グロスター。住んでいたのはグロスターじゃなくて、もっと遠い田舎町だったんだけどね」
 言って、ジャックは南瓜頭を少し持ち上げて、口を模した穴から白い蝋でできた顔を見せる。
「顔は殆ど向こうの世界と変わってないの。それで、この南瓜頭や」
 そこで言葉を切り、ジャックは只の病室で見せたように右手の蝋を動かして骨の様な藍鼠色の枝を剥き出しにして見せる。
「この、蝋で覆った植物の身体は、ジェイコブ。話すと長くなるけれど、彼は……十年前に突然倒れて、身体だけを私に遺していったわ」
 五人の間に沈黙が訪れた。
 無音ではない。夕焼け通りの喧騒が、硝子越しに伝わる店内の話し声が聞こえている。それでも花織の耳には痛い程の静けさだった。まるで辺りの人々が今の話を敢えて無視している様な、そういう空寒い、虚しい沈黙。
「だから、ジャック……」
 呟いたのはニコラオスだった。
「ええ。今の私は……ジェイコブの意志を継ぎたかった、何者か」
 そこまで言い終えたジャックは俯く。
 テーブルの上で組んだ指に力を入れるジャックの手を見て、花織は病室での彼女と只の会話を思い出した。
 ジャックはきっと、また泣いている。
「その、ジェイコブさんは、どういう人だったんですか」
 サミュエルがジャックに訊く。
 ジャックは南瓜頭の奥で目を細めて「そうね」と呟いた。
 彼女が視線を机上に落とす中、ダイナー・ルナの店員ゾンビがトレーを持って現れ、注文通りの飲み物を各人の前に置き、まほろとサミュエルが飲み終えたティーセットを回収して去っていった。
 五人がそれぞれのカップに口をつけ、沈黙が自然と伸びた後にニコラオスが心地良さそうな溜息を零した。
「いやぁ、ここのブレンドは良いですね。これで煙草があれば完璧なコーヒーブレイクなのですが」
 ニコラオスの言葉に反応したのはまほろだった。
 まほろは険しい顔で硝子製のティーカップから顔を離す。
「やだ、タバコ吸うの?」
「ええ。ワタクシの職場にはバリスタが渾名の副社長が居まして、皆で彼のコーヒーと煙草で休憩時間を過ごしていました」
 まほろは話を聞きながら露骨に顔を顰め、隣のサミュエルを見た。
「え、俺っ?俺は……すっ、吸ってた」
「もう吸わないで」
「ああ、うん。勿論、辞めるよ。うん」
 二人の会話を見て、花織とジャックの小さな笑い声が重なる。
「そういえば、ジェイコブも煙草を嫌っていましたね。コーヒーの趣味は合うのですが、マルボロと言った途端に『煙草を、吸うのか!?』って。彼は牧場で働いていたそうで、動物に嫌われるぞって言われました」
 ニコラオスが話す中、ジャックが同調してうんうんと頷く。
「聞いた事があるわ。故郷の幼馴染も牧場で働いていて、似たような事を言ってたから、何処の畜産家もそうよねって話してて」
 それから暫くはジャックとニコラオスがジェイコブとの思い出話に花を咲かせ、そして、ジャックはまた机上で指を組む。
「だからかは分からないけれど、ジェイコブは地獄に来てからの三十年の殆どを市街の外で過ごしてたみたい」
 ふと、花織は只に渡された本の市街の歴史が記されたページを思い出した。
 本の筆者か把握出来た範囲で、市街の歴史は百三十年以上はあるらしい。ジェイコブが消えたのは十年程前、では彼がこの地獄に来たのは四十年前という事だろうかと考え、花織はその時間の膨大さに息を呑んだ。
 ジャックは地獄に来てから二十年程と言っていて、市街の中でも確実な安全が保証されないと言うのに、そこから外れて暮らしていたジェイコブ。
 一体、どうして。
 声には出さなかった花織の思考は、ジャックがカップを置く音で止められた。
「ジェイコブは山に小屋を作って……いえ、元々あった小屋を直して暮らしていたわ。そこからは遠くに市街が見えていて、彼は時折ベランダから市街を見下ろしていた。よく覚えているのは、彼が『こんな世界に来てまで、人は一丸となれない』って泣いていた事」
 ジャックの話を聞く中、花織の脳裏には薄靄に似たあの世界の知識が浮かび上がる。
 戦争、国家、団体、人と人、それらの歴史。
「そういう風に世を憂う人だから、山小屋に暮らして人を拾い、彼らに地獄の事を教えて、市街に送り出していたわ。彼処に住まう人々が真に協力する事が出来れば、その時にはきっと、この地獄を抜け出せる。そう言っていた」
 からん、と骨の音がする。
 サミュエルが頤に指を添える音だった。
「それを、ジャックさんも引き継いで……?」
 ジャックは静かに頷き、ティーカップを傾ける。
 花織はまた、只とジャックの会話を思い出した。
 そのつもりで動いたジャックが、この世界に満足した自分に気が付いた時、彼女はどんな想いを抱いたのだろう。もしも自分なら、と想像しかけて水底から浮かぶ泡の様な恐怖が背筋を駆け上がった。
「だけど、私はジェイコブの様になれなかった。元いた世界に帰る事よりも、この、サムや市街に送り出した皆が居るこの世界でも良いんじゃないかって……そう思えてしまったの」
 只はそれに怒っていた。ジャック、ニコラオス、サミュエル、彼らよりは短いとは言え、五年以上の歳月を地獄で過ごし、そして迷い人ではなくゾンビという存在でありながら、只管にあの世界へ戻る事を求め続けていたから。
『迷い人なら、そう言えるだろうな』
『アンタが肌で感じている世界を、俺達は知らないんだ』
 病室で花織は、泣いているジャックを庇い、只を叩いてしまった。
 今更ながら只の言葉を思い出した花織は、褲の膝辺りを握る。
「それはまぁ、俺もそうですね」
 サミュエルのあっけらかんとした声が響いた。
「最初は訳分からなかったし、肌や口の中まで骨になって、気持ち悪かったから、滅茶苦茶に恋しかったですよ。元の世界。けど……」
 からころと骨を鳴らして、サミュエルが身動ぐ。
「けど、その、なんだ……。まほろ、に、会ったから……」
 気恥ずかしそうに言うサミュエルに、まほろが笑を零し、ニコラオスは口笛を吹いた。
 サミュエルは一瞬ニコラオスを憎らし気に睨み、すぐにジャックへと目を戻す。
「だから、俺は、今の俺はどんな世界だろうと生き残る事だけが目的です。元の世界に帰るなら ―― 」
 サミュエルはそこで言葉を切って、まほろの手を優しく握り、持ち上げた。
 サミュエルの手に生えた棘は不思議とまほろの空洞に収まる。
「まほろと一緒に。それが出来ないなら、此処が俺の居場所ですから」
 温かい沈黙の中、花織の目からは涙が零れる。それに気付いたサミュエルがかしゃんと骨を鳴らして「何、何があった!?」と訊いてくるので頭を振る。
「ごめん、何て言うのかな……」
 鼻声混じりな花織の声に、四人が注目する気配はすれども顔を上げられない。
 浮かんだのは、花織を先導して歩く只の、一人だけの背中だった。
「只さんは、独りなのかなって、思って」
 花織の声がして、テラスには何度目とも分からない静かな時間が流れる。
 涙を拭って顔を上げると、皆がそれぞれに考えるような仕草で視線を外していた。
 ニコラオスが双眼鏡頭の下に珈琲を流し、鼻息らしき音を立てる。
「たしかに、只さんに恋人が居るという話は聞いた事がありませんね。一番近しい様に見えるのは康人さんでしょうか」
 それに対し、サミュエルが空を仰ぐ。
「そうだなぁ。アイツは、別に人付き合いしないって訳じゃないけど、なんつぅか、一人ではある。うん」
 サミュエルはそれきり少し唸り声を上げて考え込み、彼から視線を外した花織はまほろと目が合った。
「花織は違うの?」
 まほろの言葉を捉えかねて、花織は首を傾げる。
「私は、ここに来てから五日……あ、いや、六日しか経ってないから……。でも、ニコラとは仲良くなれたと思うし、まほろも、サムも、ジャックだっているよ」
 花織の答えにまほろは苦笑する。
「そうじゃなくて、只さんを好きなんじゃないのってこと」
 ぱちくり。
 瞬きの後、花織は時間が止まった様に感じて、その最中に終砂漠で花織の左脚に即席の包帯を巻く只の姿を思い出した。そして、途端に顔が熱くなる。
「いや、私は……!だって、研修中だし、只さんは康人さんに言われてだし、只さんとは仲良くなれたか、どうかさえ」
 喋りながら、花織の頭に別の記憶が蘇る。
 麓森、奇襲を受けた直後、只は反射的に花織の手を取って駆け出した。それから、花織の言葉を聞いて迷う素振りを見せてから手を離した時の、痛みを覚えた様な只の表情。
 いや、これは確かな記憶ではない。きっと。まほろが妙に意識をさせるからだ。
「だ、だから、とにかく、違う!私にとって只さんは、先輩……そう、職場の先輩みたいな人で」
 ぽん、と頭の天辺に手が置かれた。
 右を見て、ニコラオスではない事を確認し、左を向くと、ジャックが花織の頭に置いた手を動かして撫でる。
「まほろちゃん、花織ちゃんを困らせない」
 柔らかく叱られたまほろは、くすくすと笑いながら「ごめんなさい」と肩を竦める。
「ワタクシから見ても、お互いに脈ナシですねぇ……。関係性としては兄妹が近いのではありませんか?」
 ニコラオスのフォローもあり、花織の体温は落ち着き始めた。
 兄妹。胸の内で反芻して、それが不思議と落ち着く響きに思える。
「そうね、それが近いかも。世話の焼けるお兄さんよねぇ?」
 ジャックが笑いながら言って、サミュエルが吹き出した。
「そりゃそうだ。只は口下手すぎるから、苦労するなぁ」
 只は、独りではない。
 それが分かった途端、花織の肩の力が抜けた。
 五人の会話が談笑に移りだした頃、ダイナー・ルナの店員が来て料理を勧めるので、各々好きな料理があるか訊ね、暫くしてテーブル上に様々な料理が並べられた。
 花織はバゲットらしきパンを使ったサンドイッチに齧り付き、地獄に来てから初めて食べた物に感動した。
「美味しい……」
 呟いた声にニコラオスがダイナー・ルナの宣伝をして、サミュエルが大袈裟に同調し、ジャックがそれを指摘して、困るサミュエルを見てまほろが笑う。
 幸せな時間がそこにあった。

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