小説「パラレルジョーカー」０６
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
前回までのあらすじ
グリーセオ率いる奇襲小隊の動きを、〈スナド戦線基地〉側は予測していた。
巨大な弩と集落内に潜んだフェリダー共和国の兵士らに迎撃され、奇襲小隊はその数を減らしていく。
一方、フェリダー共和国内のガーランド領では、小さな少年、コドコドに謎多き女騎士による一方的な交渉が持ち掛けられていた。
女騎士が示すのは、コドコドが望む未来か、それとも。
０１話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 ０１の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
０６ 二色、駆ける
「マギニウムは、その性質が発見されてから、探そうとしてみればこの世にありふれていた」
女は語る。
音がよく響く石造りの部屋は、女の声を反響させて、何度も何度も彼の鼓膜に滑り込ませた。
「微小な金属粉として存在する其れは、鉱山は疎か、その辺を歩けば土中に幾らでもある物質であり、それはつまり、動植物の中に入り込んでいたっておかしくは無いという事だ」
薄暗く、冷たい空間。蝋燭の火が炙り出す物影は、妖しく揺らぐ。
「其れは初め、単純な現象を起こす為に用いられた。火花や、水滴や、微風。ありとあらゆる現象を、マギニウムは触媒となって促す。フランゲーテ魔法王国の研究が、ここから始まったのだ。
軈て、長い時間を経て、魔法技術は些細な道具から兵器へと移り変わっていき、彼の国から大陸全土へ流出する。……意図的であろうなぁ、魔法技術の更なる先を求めて止まない何者かの。
――魔法……先人はよく言ったものだよ、人を惑わし禍する法則だとな。
先見の明があってか、それともこの無法の物質をどうにか出来ると思っていたのか……それはもう、どうでも良い事だが、君にとっては少し違う」
長い独り言の様な言葉を止めた短髪の女は、密室に灯る火の光で薄暗闇に浮かび上がる簡素な寝台の上、拘束具を付けられて仰向けに横たわる子供を見下ろした。
「マギニウムを用いた技術の系統が、現代では幾つも存在している。君が扱うのはその中でも特殊な物だ。
名に〈心意反応式〉と冠する魔法の系統だ。我が国が長年、途方も無い時間を、資源を、人を、費やし続けたその先に、実を結ぼうとしている系統だよ」
小さな瞳が、女を不安気に見詰める。
その目を見返す女は人知れず、口端を上げていた。
「この系統の魔法は正直、欠陥もいい所だ。しかし、それでも、逼迫した我が国がこの魔法に固執するのにはそれなりの理由がある。と言うのも、まぁ、端的に言ってしまえば……最大出力が群を抜いて大きい事にあるんだが、もう一つ。完成品が自ずから進化し続けるという点がある」
女がそこまで言った時、寝台の周囲で作業をしている者の一人が、彼女の傍に寄った。
「準備は終わりました。いつでも」
「よし。彼との話が終わり、私が退室したら始めろ。麻酔は強めに、半死半生が目安だ」
「畏まりました」
清潔そうな薄い布に身を包んだ男と言葉を交わして、女は寝台を回り子供の左手側へ歩いて行く。
「いいか、コドコド。心意反応式の肝は、君の意志の強さが重要なんだ。……よく考えて、口にしてみてくれ。いいな？
君は、誰よりも、この世のどんな生物をも超克して、何を成したい？」
寝台の上に拘束されたままのコドコドは暗闇に視線を泳がせて、小さな唇をほんの少しだけ動かしてから、息を吸った。
「……ライガを、助けたい。そうしたら皆、助かるんでしょ？」
コドコドの言葉に、女は薄く笑う。
「ああ。ライガはまだ不完全なんだ、彼を支えられる人が……君のように、いいや、君が彼を支えてくれれば、ライガは、延いてはこの国は、救われるさ。敵を倒して、漸くこの息苦しい砂の底から這い出せる。
君が、君こそが、英雄になれるんだよ。コドコド。
――忘れるな、どんなに辛くても、君は、ライガの為に、ここから先を生きるんだ。死ぬ様な事は許されないんだ」
一言一言を丁寧に発されて反響する女の声を聞き、コドコドの瞳は濁った光を強く宿していく。
「うん。うん……諦めない、負けないよ。オレは強くなる。変わる。ライガに追い付くんだ」
「良い心掛けだ。コドコド。君はこれから、只のちっぽけな子供から、大きな進化を果たせる。耐えるんだ。立派な戦士になる為に。あの男の……ライガの為に」
薄暗闇に浮かぶ女の目を見詰め、コドコドは力強く頷いて見せた。
女はそれを見て寝台から離れ、石造りの部屋を後にする。
その姿を見送り、寝台を囲む人々が動き出し、眩い室内灯が点けられて部屋の闇を払った。
太陽の様な光を放つ、見た事も無い装置に緊張感を覚えたコドコドは、瞼を下ろして、ライガの姿を思い浮かべる。
恐怖心は、一つも無かった。
✕✕✕ ０６の二
フェリダー共和国西部、ジマーマン領内の広大な水源、オキュラス湖の一角を囲う〈スナド戦線基地〉。
唯一の隣国であるカーニダエ帝国との国境を担う広大なリトラ砂漠に、唯一つだけ存在する湖に面した城砦を強襲せしめる可く、〈第三ナスス駐屯基地〉より駆り出されたグリーセオ率いる奇襲小隊は、二つ目に襲撃した集落の北辺で合流した。
襲撃に当たり集落の西外縁に針路を取ったツェルダ達は、七頭居たエクゥルサの数を五頭に減らしており、その背に乗っていた筈の兵士ら三名の姿は消えていた。
そして、グリーセオが駆けた東外縁の七頭は四頭に減っており、重量故に隊列の後ろに着いていた二人乗りの兵士ら六名は、一人とて残っていない。
駈歩で走らせていたエクゥルサの速度をやや落としたグリーセオは、並走する為に左後方から近付いて来るツェルダを苦い顔で見る。
「グリーセオ、敵さんやっぱ勘付いてる。伝令を入れて六騎減った。部隊としちゃ絶望的だ。まだ行くか？」
「今の集落にどれ程潜んでいたかが分からない以上、進むしか無い。それに、引き返した所で挟み撃ちをされる可能性も、無視出来ない。
…………スペオトスの作戦のまま集落を巡りでもしていたら、俺達は削り切られていただろう。この後の直線距離、残る一つの集落は無視して、東に寄って集落間の砂漠を駆け抜ける。砦に仕掛けるのは内縁部の集落を背にして遠巻きにだ。それでも出来るかどうかだが――」
「グリーセオ！」
ツェルダへ向けた声が遮られ、グリーセオは後ろから響いた声に振り返った。
間近に迫って速度を合わせるアルゲンテウスが、顎に滴る汗を拭う。
「一つ、無茶な提案をしたい！」
真剣に見詰めてくるアルゲンテウスを見て、グリーセオは頷いた。
「聞こう」
「……エ、エクゥルサってさ、一回、遠くからしか見た事無いけど、川を泳いで渡ったりする、よな……！？」
言い乍らも自信を失っていくアルゲンテウスの言葉に返答しようとしたグリーセオは、彼の背後からクリスを乗せたエクゥルサが近付いて来るのを見て言葉を呑み込む。
「無理。こんだけ走らせて更に泳がせたら、運が良くても渡った先で潰れる」
グリーセオが呑み込んだ言葉を告げてくれたクリスの目を見て頷き、グリーセオは肩を落とすアルゲンテウスに目を戻した。
「エクゥルサが得意とするのは陸上だ。――アルグ、お前の記憶は正しいが、今は使えない」
「じゃ、どう切り抜けるかってワケね」
「ああ」
会話に混ざるツェルダには頷きだけを見せて、グリーセオは近付きつつある砂岩の建物群を見る。
これまでの集落で見て来た平屋をそのまま二つ三つ載せた様な、背の高い建物群を見て、グリーセオは声の届かない後続にも向けて右腕を大きく右へ振った。
同時に自身が乗るエクゥルサの手網を引いて右に曲がらせ、残存した九頭のエクゥルサが砂漠を右――北東へ頭を向けて駈歩で走り続ける。
「いいか、此処からは兎に角、生き残るか、そうじゃないかだ。俺達は残された道を……」
一瞬、グリーセオは自らが予想した未来に奥歯を噛み締めて、再び息を吸った。
「――俺達は、敵が既に予測している最短経路を抜け、自分達が追撃を受けない様に、砦を攻撃しつつ全速力で北に走り抜けるしかない。そういう無理な状況に居るんだ。
――アルグ、クリス、全員に伝えてくれ。
……これより我が隊は、最速で敵本陣〈スナド戦線基地〉の目の前を駆け抜ける！
いつだってそうだが、各人の判断が己の生死を分けるんだ。いいな、速度を落とすな！ 一人になっても決して止まるな！ 生きて残る事が――帝国の一太刀に繋がる！ 最後の戦士になっても生きる為に戦え！ 戦意の火を絶やすな！」
グリーセオの声が止み、アルゲンテウスとクリスはエクゥルサの速度をゆっくりと落として、後続と並んでグリーセオの言葉を繰り返した。
その姿を見て、グリーセオは再びきつく奥歯を噛み締める。
エクゥルサの針路が変わり、遥か先には蜃気楼に揺らめく高い壁が、東側には砂丘の切れ間から彼方の集落が霞んで見えていて、西側では襲撃予定地点であった、砦に最も近い集落が遠ざかって行く。
西に見える集落で人影が慌ただしく動く様が、グリーセオには見て取れた。
✕✕✕ ０６の三
二頭の駱駝が引く、幌の掛かった荷車の中、車椅子に縛られたライガは振動に揺られ、眼前に座る黒衣の女騎士をぼんやりと見詰めていた。
荷車が動き出してからどれ程の時間、そうしていたのかは分からない。
唯、拘束された上に景色さえ望めない荷車の中では、そうする他に出来る事が無かったのだ。
ライガが思い付く限りの質問は、この荷車に載せられてから幾度と無く繰り返してきた。
しかし、返ってきたのは知らぬ存ぜぬといった嘘と、自らの行いに依ってコドコドの処遇が変わるという、混じり気の無い悪意を感じる言葉のみ。
だから、ライガはせめてもの嫌がらせのつもりで、御者台に座る騎士の背を茫洋と見詰める女の横顔を見る事しか出来なかった。
「…………今、我らがフェリダー共和国は、重大な岐路に立たされている」
不意に発せられた女の声に、ライガは一瞬己の耳を疑った。
「我が国は昔から――この土地に二十六の自治領が生まれ、それらが手を取り合った総初期から、常に貧困に悩み、閉塞されたこの世界からの離脱を求めて来た」
語り出したその声はやはり、目の前の女に違いが無かった。
ライガは『あの場所』で飽きる程に聞かされた話に辟易としつつも、訪れた変化を無表情で受け止める。
「あの国が……カーニダエ帝国さえ無ければ。この国に生まれ落ちた者は、何れそう思うんだ。洗脳や調教では無いさ、出口が其れに塞がれているのなら、恨んでも仕方が無かろう。
……故に、我らは力を求めているんだよ。立ちはだかる壁を打ち壊し、外の空気を吸わせてくれる、英雄…………本当の〈フェリダーの英雄〉を」
横顔を見せたまま呟き終えて、女は短い髪が掛かる鋭い目でライガを見た。
どろりとした暗闇の瞳と見交わして、ライガは苛立ちに舌を鳴らす。
「生まれ乍らに奴隷だって言うんなら、とっとと帝国の奴隷になってろよ」
吐き捨てたライガに女は苦笑して、開いた脚の間で組む指の隙間を見下ろした。
「フェリダー共和国からの提案は全て、跳ね返されているさ。同盟も、協定も、属国化さえな。それ所か、帝国は非人道的な戦略で幾度と無く我が国を攻撃している。
……我々に余裕などあるものか。この国の隅に出来た貧民集落は、其処に追いやられる理由のある者だけが自ら落ちて行く場所だ。一々その駄々に付き合う時間も、体力さえも、本気で惜しいんだよ。
研究所で作られた存在が、その餓鬼みたいな正義感で、我ら全体の事情を分かって堪るものか。生きたくば我が国に従え。いいな、そうと取れない行動を取ったならば……フェリダー共和国に仇なすと断じたならば、我々はお前を破棄する」
屈んだ体勢から見上げる様に射抜く瞳は、ライガには威嚇とさえも感じられず、鼻を鳴らす。
「知った事かよ。元々オレは独りだ。テメェらに従う義理も、そうする利点もねぇ。扱うつもりならそっちこそ態度に気を付けろよ」
拘束されたまま凄むライガに、今度は女の方が鼻で笑い、口端を吊り上げた。
「そうか……少年はもう、見捨てられたのだな」
「あ？ テメェ、まだその脅し文句を続けんのかよ。コドコドは殺したか奴隷にでもしてんだろうが。……終わった事を、気にしてる暇はねぇんだよ…………」
精気が抜けた様に、細く息を吐いたライガの呼吸音に、女のくつくつとした笑い声が重なる。
ライガはその声を聞き逃さず眉を跳ね上げ、瞳に苛立ちを漲らせた。
「くく、いやはや、ははは。可哀想になぁ……。
――彼、折角〈心意式〉の手術を受けたと言うのに……」
瞬間、ライガは全身を使って前に――女の座る方へ飛び出そうとして、しかし、車椅子ごと拘束された身では、ほんの僅かに跳ねて荷車を揺らす事しか叶わなかった。
「思い過ごすなよ。本人達ての希望だ。幼い身で、お前の助けになりたいんだと。何処から持ち出したのか、お誂え向きのマギニウムを手にしてまで、な」
「――成功率は百人に一人、いや、専用に調整したガキで其れだ。……テメェ、分かってて」
「分かっているとも。しかしなぁ、ああも懇願された上に、周囲に真実を知らない兵卒の目があっては……くく、話す事は出来なかったなぁ」
女は歪に笑い、ライガの心音が雷の如く轟く。
「テメェを一番に殺す。何よりも優先して、殺す……！」
「やってみろよ。憐れな餓鬼一匹、訳も分からぬまま道連れだぞ」
冷徹に言い返した女に、ライガは体内を掻き回される思いで叫ぶ様に呻き、食い縛った口端から血が垂れて、奥歯が砕けた。
「ああ、それと、これからお前には本格的に働いてもらう。その行動一つ一つに対して、あの少年の命が懸かっている事を忘れるなよ。英雄なんだろ。なぁ？」
女の言葉にライガは何も返さず、怒りに身を震わせたまま俯く。
それ以上女を見ていたら、脳髄が焼き切れると確信出来る程に、ライガの心は憤怒に満ちていた。
「オレが、強けりゃ……」
胸の内から溢れ出した言葉に、絶えず転がる車輪の音と、揺られてぶつかり合う荷物の音が重なる。
「…………全くだ」
女が小さく発した声は、ライガの耳には届かなかった。
✕✕✕ ０６の四
目前に迫れば、彼方に煌めくオキュラス湖の水面は聳える石壁で完全に隠された。
蒼穹を切り取る様に緩やかな弧を描いて広がる〈スナド戦線基地〉の城砦は、十メートル近い堅牢な外壁で囲われており、杭を思わせる塔が一定の間隔でその壁を区切っている。
それだけでもフェリダー共和国にしては充分な設備であるにも関わらず、外壁周りには荊の様な馬防柵が複雑に張り巡らせてあり、グリーセオはそれを視認するなり奇襲小隊の針路を真東に変更した。
「アルゲンテウス以外は柵を射て！ 次の攻撃に繋げるんだ！」
左腕の手振りと共に叫ぶグリーセオの指示に続いて、後続から立て続けに弦音が響き、次いで爆音と共に〈スナド戦線基地〉南部の馬防柵が炎を纏って飛び散る。
それを見てから外壁の上に目を走らせ、遠くに複数の人影を認めたグリーセオは右手を挙げたまま止めた。
「二射目、止め！ 最後続二名だけ、柵の破壊を続けろ！ 残りは外壁上、四十秒後だ！ 迎撃に気を付けろ！」
グリーセオの声に、やや遅れて奇襲小隊の後続から二本の矢が飛び立ち、馬防柵に当たって爆ぜる。
音だけで残存する奇襲小隊九騎に指示が伝わったのを認識して、グリーセオは緩く息を吐いた。
刻一刻と近付く外壁上の黒い人影達は動かない。
進路の妨害も、集落に仕掛けていた様な弩や、投石や弓での攻撃さえ無い奇妙な静けさに、グリーセオが右掌の向きを変えて振り、奇襲小隊に外壁から距離を取らせた、その時。
外壁上の人影が動いた。
それは、二つの列を成していた黒衣らの内、奥に列ぶ者達だけが、ごそりと身動ぎする様な僅かな動き。
そして、彼らは前列の黒衣ら二十名近くを外壁から蹴落とした。
「な」
グリーセオが驚愕の声を漏らす内にも落下する人影は地面に迫り、地面と衝突する直前に血煙を巻き上げて破裂する。
「おい、何を」
奇襲小隊に騒めきが広がる一瞬、グリーセオは半日前の記憶を思い出して鋭く息を吸った。
「総員攻撃用意！ 判断は各人に委ねる！ あれは――生物兵器だ！」
夕刻の密林で対峙した、未知の赤黒い獣。それを想起したグリーセオは叫び、自身が駆るエクゥルサを隊列の左前方に飛び出させて『其れ等』の落下地点に矢を放った。
「上からも攻撃が来るぞ！ 各人、常に最善を意識しろ！」
弦を離すと同時に叫び、言い終えるが早いかグリーセオの放った矢が炸裂する。
砂塵と石や木の破片が吹き飛ぶ中、爆炎を掻き分けて、赤黒い細身の獣が馬防柵を軽々と跳び越え、次々に出現した。
「来るぞ！」
エクゥルサの針路上を目掛けて駆ける獣集団、その先頭に矢を放ったグリーセオに続いて、奇襲小隊から地上と外壁夫々に矢が放たれる。
その結果を見ぬまま次の矢を番えたグリーセオは、砂と炎の混じる白黒の煙を射った。
人の声に獣の咆哮が重なる様な奇怪な悲鳴が爆発音に混じり、渦巻く煙を裂いて別の獣が駆けて来る。
「何匹いんだよ！」
右から上がる悲鳴地味たツェルダの声に内心同調しつつ、グリーセオは迫る獣に鏃を向ける。
北東に駈歩で走り続けるエクゥルサと同じか、それ以上に速い獣は、奇襲小隊に追い縋り乍らもグリーセオが狙いを定めようとすれば大きく跳んで狙いから外れ、グリーセオがそれを追って鏃を向ければそれにも反応して針路を変える。
「――っくそ！」
四度目の回避行動に弦を滑らせそうになったグリーセオは鏃を上向けて獣集団の後続に放ち、次の矢を取り出そうとした。
その瞬間を見逃さず、二十メートルはあった距離を一息に詰めて来る獣に息を呑み、所々骨が剥き出しになった赤黒い獣が顎を広げて跳ぶ刹那、獣が不自然に体を揺さぶって頽れた。
事切れた獣が転がって後方に流れていくと同時に、奇襲小隊の進行方向に近い遥か先で爆発が起きる。
「グリーセオ！ 俺が援護する！」
背後から聞こえたアルゲンテウスの声に弓を持ったまま左手を掲げて返答し、グリーセオは右手で矢を引き抜いて構えた。
「助かったぞ、アルグ」
呟き、呼吸を整えて次々に現れる赤黒い獣から無作為に一頭を選び、一秒の間に狙って射つ迄を終える。
その矢は本来の狙いを逸れて、回避行動を取った獣の後ろ脚に突き立ったが、直後に爆発して砂塵に混じる肉片へと変えた。
「よし」
独り言ち、次の矢を取り出して構えずに番え、残った中で最も足の速い獣を睨み、瞬き二回分の内に射ち放つ。
しかし、獣は其れを見ていた。
突如として足を止めた獣が次いで砂に突き立った炸裂矢の爆煙に紛れ、後続数頭と共に姿を隠す。
「お前ら射て！ 煙の中に居る！」
一部始終を見ていたのかツェルダが叫び、奇襲小隊の矢が砂塵の中に飛び込んで、それと入れ替わる様に六頭の獣が奇襲小隊の後続目掛けて跳び出して来た。
グリーセオはそれを見るなり番えようとしていた矢を握り直し、鞍の上で反転して後方に投げる。
腕力だけで飛ばした矢は直ぐに減速して砂上を転がり、その鏃を奇襲小隊に迫ろうとした獣の一頭が踏み割った。
直後、爆炎が獣の姿を掻き消して砂煙が舞い上がる。
「まだ残ってるぞ！」
奇襲小隊の後続に呼び掛けつつ、グリーセオは鞍に座り直して次の矢を引き抜いた。
混迷する事態に呑まれぬ様に、体に染み付いた流れで弓矢を構え、砦の外壁を睨む。
広大な〈スナド戦線基地〉の外壁は大きく曲がり始めていて、その上には疎らな人影のみ。
「次の手は何だ……スナド……」
この先に起こる事態を予測する思考を巡らせつつ、ちらと振り向いた先に見えた獣を一瞬間の動きだけで射つ。
爆炎が一頭を吹き飛ばして、巻き起こった砂煙の奥から次々と赤黒い獣が跳び出して来る。
次の矢を取り出そうとして矢筒の残りが少ない事に気が付いたグリーセオは、積荷から取り出せるだけの矢を取り出し、矢筒に詰め込んだ。
その作業の間に、濡れた破裂音。
それは、奇襲小隊が進む先の外壁側――塔の陰から。
「別のが来るぞ！ 前からだ！」
がなる様に叫んで弓を一杯に引き絞り、進む先の外壁付近へ。
爆発を見ても一切の手応えを感じ無いまま、グリーセオは矢筒に手をやっていた。
✕✕✕ ０６の五
午前、フェリダー共和国ジマーマン領の〈スナド戦線基地〉東にある正門前に、二台の荷車と、其れを引くものを併せて十二頭の駱駝が到着していた。
砦の主たるスナド・ル・フィッシャーはその報せを聞くなり、部下との会議を中断して席を立ち、直ぐ様正門を開かせた。
頑強な石造りの外壁で囲い、オキュラス湖の水を引いて出来得る限りのの農耕を行っている城砦内部は、砂漠に屹立する岩塊の様な外観からは想像出来ないほど其処彼処に緑があり、黒衣の兵士に見張られ乍ら領民が働いている。
ゆっくりと下ろされ、砂原に横たわる橋の様な跳ね上げ式の正門から内部に入った騎士らは、その光景に驚いて頭を巡らせ、前方から部下を引き連れて歩いてくるスナドを見付けるなり背筋を伸ばした。
彼らはスナドが近付く迄に駱駝の足を止めさせ、先頭の騎士から順に鞍から降りていく。
スナドは黒い仮面越しに彼らの顔を一人一人確かめる様に見て、荷車を引く駱駝達を繰る騎士二名の内、一名が肩越しに口を動かしているのを認めた。
その目を何事も無かったかの様に、素早く眼前の騎士に向け直したスナドは、口許に笑みの形を作る。
「遠路遥々『物資』をお届け頂き、感謝致します。私がジマーマン領〈スナド戦線基地〉戦士長、スナド・ル・フィッシャーで御座います」
恭しく礼をして、スナドは再度目の前の騎士を見詰めた。
「誠、勝手乍ら、私の顔には醜い古傷が御座いましてな。仮面を付けたままお出迎えする事、お許し願いたい」
騎士の男が口を開く前にそう付け加え、スナドは態とらしく黒い仮面の縁、左耳の辺りを撫でた。
そこには、仮面では隠せない焼け爛れた耳介があり、騎士はそれを一瞬だけ見てスナドの瞳に目を戻す。
「いえ、我々へのお気遣いに感謝はあれど、非礼だ不躾だ等という思いは微塵もありません。どうか、お気になさらず」
微笑むでも無く言い終えた騎士は、ちらと後方に目を遣った。
スナドもその視線を追って彼の背後、二頭の駱駝が引く荷車の一つから軽やかに降り立ち、短い髪を揺らした女騎士を見る。
「彼女が、トラゲ隊長かな？」
スナドが零した問いに騎士は曖昧に頷き、重々しい気配を漂わせてスナドへ向き直った。
「はい……しかし、我々は彼の〈角獣隊〉ではありません。トラゲ隊長率いる騎士達は……その……」
「……如何致したと」
「私からご説明しよう」
声を張ったのは、隊列の脇を歩き、スナドを見る件の女騎士――トラゲだった。
スナドは傾聴の意を示す可く頭を下げ、トラゲが目の前に着く迄を見守る。
「……予定が狂ったんだ。どういう訳か、カルニボア機関から脱出したライガはガーランド領北東の貧民集落に忽然と現れ、民間の『取立人』を殺害し、更には市街周辺の民間哨兵を次々に殺害、異常を聞き付けて駆け付けた〈角獣隊〉は、奴に壊滅させられた。
多くの犠牲を払って現在は何とか拘束しているが、手足の〈接触式相殺魔法〉器具を外せば危ういぞ。スナド。
……約束通りに連れて来はしたが、奴は欠陥兵器だ」
トラゲの説明を聞き、スナドは思考を巡らせる様に青い空を仰いで、にたりと笑った。
「それで、暴走の理由は？」
不気味に笑うスナドを見て、トラゲは眉間に皺を寄せる。
「旧型と同じく、精神面の調整不足だろう。
――そうだ。奴はトラッシュのガキを連れていて、其れに執着を見せていてな。応急処置としてそのガキを利用する事で、何とか手綱を握れるかどうか、といった具合だな」
「なる、ほど……。して、そのガキ――子供は、今は？」
「ガーランドの支部で〈心意反応式〉の手術を行っている。ライガには〈心意式〉として伝えてあるがな。彼が完成する迄は、カルニボア機関の情報網でライガの行動によっては殺す。と伝えてある。人質としての価値は認めてくれているよ」
「はは、流石はトラゲ殿。
――では、ライガは単体での運用が出来ると捉えて良いな？」
「不安要素は多い。カーニダエに近付けるのは賛同出来ない」
「それが、早朝に此方へ極少数にて進軍して来ていましてね。迎撃に使うのはどうだろうかと、貴女のご意見を仰いでいるのです」
スナドの言葉に、トラゲは眉間に皺を寄せたまま頤に指を当てて俯き、暫しの沈黙の後に顔を上げた。
「……基地周辺、敵では無く奴を取り押さえる積もりで兵を置けば、辛うじて」
トラゲが言い、スナドはにんまりと笑った。
つづく
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