「稜線、明ける」小説:PJ21

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。


  21 稜線りょうせん、明ける

 ハンソーネが、タロウが、アキッレが傷を負わせたライガの動きは鈍く、グリーセオは流れる様にライガの背後を取り、外骨格の隙間へ向けて双剣を振り下ろした。
 ちず、こぼれず、折れる事の無い剣であれば、致命傷を与えられる。
 そのはずだった。
 甲高かんだかい金属音と共にとてつもない衝撃と熱を覚えたのも一瞬、ライガの背からはじかれて宙を舞うグリーセオには、何が起こったのか分からない。
 しかし、落下の最中にグリーセオをくらで受け止め、首筋から血を流しつつも主人を乗せて撤退しようとするエクゥルサは見ていた。
 憤怒をほむらとしてまとう二頭目の獣、れがライガとグリーセオの間に入り、その勢いのまま隊列に突き進んで四人の兵士を血煙ちけむりに変える様を。
 朦朧もうろうとする意識で視界もままならないグリーセオは、手探りで鞍の前橋ぜんきょうつかみ、い上がる様に体勢を立て直した。
「……今のは」
 つぶやき振り返った先では、砂原に膝を突くライガの姿が遠ざかり、なおも騒然としている進行方向――隊列へと目を向け直して、グリーセオは低空を舞う炎の蛇を見る。
 いや、蛇では無い。関節部から火柱を噴き上げ、その軌跡きせきで部隊を焼く獣が、炎の勢いを利用して高く、速くび、本隊を襲撃していた。
「――クソッ!」
 毒突どくづいたグリーセオはあぶみで横腹を叩いてエクゥルサをかし、速度を上げさせる。
「頼む! ここを乗り切れば……! 頼む……!」
 窮地きゅうちを救ってくれたエクゥルサへ向けて叫び、グリーセオは両手の短剣を篭手こてへと変じさせた。
「グリーセオ殿! 奴が追って来る!」
 悲鳴地味じみた声の主はアキッレだ。
 馬上で背後を振り向き剣を構えるアキッレの視線を追えば、両の前肢まえあしに薄い外骨格を取り戻した深紅の獅子が、グリーセオ目掛けて駆けて来ている。
「――ッライガァァっ!」
 焦燥感しょうそうかんから叫び、グリーセオは積荷に残っている二本の矢を取り出した。
 やじり焼夷剤しょういざい炸裂さくれつ機構を備えた矢を握り締め、狙いを定めてライガの鼻先へ投げ付ける。
 一つ目は難無くかわされる。其れを予見していたグリーセオは体で隠していたもう一本の矢を無造作に投げ、ライガが着地の瞬間に転がり込んで来た鏃を踏み、爆炎と砂煙が広がった。
 直後。けだもの咆哮ほうこうと、全身を震わせる心音がとどろく。
 焼夷剤を浴び、身を焼かれながらも、深紅の獅子は大部分を失った前肢を絡み合う様に伸ばしたとげで補い、駆けて来る。
「……クソォッ! ライガ! 此処ここで――」
「グリーセオ殿、めろ! まだ来る!」
 エクゥルサから跳び下りようとしたグリーセオを制し、アキッレが叫んだ。
 前肢を失って速度を落としたライガの後方、夜空の雲に似た煙をまとう、別種の獣の影が、砂煙を突き破って現れる。
「あれは……騎士をさらった奴か……!」
 グリーセオは独りちて積荷を検める。
 革袋を乱暴に漁るグリーセオの手には何も当たらず、グリーセオは奥歯を割れんばかりに噛み締めた。
奴等やつらが追い付くまでには幾許いくばくかの時間があります、グリーセオ殿、今は少しでも距離を稼ぎましょう!」
「……ああ!」
 アキッレの言に八つ当たり地味た語気で答え、グリーセオは鞍の上で体勢を整える。
 背後から迫る心音は、否応無いやおうなしに焦燥感をあおった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の二

 敵の兵士が燃え、悲鳴を上げる度に、ヒョウはたとえようの無い興奮を覚える。
 獣の肉体は思い描くままに動き、ただ強いだけの獣では不可能な動きは、全身から発せられる炎が助け、実現させてくれた。
びろ、つぐなえ、同じに成れ! マーブと! テメェらがやった事だ!
 死ね! 死ね! 死ねッ! 後悔したまんま!』
 獣の声でののしり、振りかざされる刃を軽やかに避け、馬上から蹴落とし、爪でき切り、牙で噛み千切ちぎり、ヒョウは夜闇を躍る。
 敵の動きを読み、風に乗り、隊列を内側から食い散らかして、影が、頭上の星明かりを隠した。
「――ぶなら此処ここだよな」
 声を聞き取った刹那せつなうなじに衝撃が走り、ヒョウは顔面から砂原に叩き落とされる。
 慌てて起き上がろうとするも、落ちたヒョウを追って来た何者かが全身を乱打し、ヒョウは身を縮めて全身に力を込めた。
 自身をも焼く大火がヒョウの身内から噴き上がり、追撃がむや否やヒョウは空高く舞う。
 空中で全身から火炎を噴かせてひるがえったヒョウは、眼下で咲いた爆炎を見て咄嗟とっさあぎとを開いた。
 口中に硬い感触を覚えると同時に牙を立て、眼前に青く揺らめく鉢巻はちまきを見る。
『――カァニダェェェ!』
「落ちろや、蝿猫はえねこ野郎ッッ!」
 高空へ逃れたヒョウに右の前腕を噛まれたまま、青い鉢巻の男の姿が、いや、景色全てが揺らぎ、方向感覚を失う程の速度で振り回され、ヒョウは砂原に叩き落とされた。
 回転と衝撃で揺らぐ目を閉じ、うなり声を上げて爪を振り回すヒョウの腕には、砂の他には何も当たらない。
 うめきともうなりとも付かない音を喉から発し、目を開けようとしたヒョウは、その瞬間に頭を打ち付けられ、砂を食った。
 頭上で荒い呼吸が聞こえる。はらの底から怒りと屈辱が燃え盛る。
『兵隊ごっこが戦場に出しゃばるな』
 獣と化す前に聞いた男の声が、最期さいごの記憶がよみがえった。
『お前だけでも!』
 兄の様に慕ったマーブの声が、末期まつごの願いが踏みにじられる。
『生きる為に戦う人間だ!』
 き動かされるままで終わっていたであろうヒョウを生かしてくれた友の声が、心火しんかを燃え上がらせた。
 は一瞬のひらめき。
 砂を蹴る音が何処どこかでして、ヒョウはえた。
 リトラ砂漠の中央部、青い布を身に付けた部隊より大きく北に外れた地点で、周囲百メートルを焼き尽くす爆炎が巻き起こる。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の三

 点々と咲く炎と、尾を引き宙を舞う炎が交わり、北へ飛んで行った。
 それから数秒後、その場の誰もが目をおおい、悲鳴を漏らす程の爆炎が、夜闇を払う。
 熱で風が荒れ狂い、視覚も聴覚もままならない。
 そんな中、ハンソーネは肺に溜まった空気を吐き切って叫んだ。
「ツィンク! 此処ここを任せる!」
 砂粒に混じり、針の様な硝子がらすよろいと肌を削る暴風の中、爆心地へ向けてハンソーネは北へ駆ける。
 先程までは存在していなかった、めくれ上がり硝子化している砂の山へと近付き、溶けた硝子が形作る、水飛沫みずしぶきに似た彫刻の隙間を縫って馬を走らせ、丸くえぐれた小さな盆地の底でうずくまる、金の塊を見た。
 星明かりの下、焦土しょうどと化した砂漠の盆地に蹲るれは、黄金の外骨格状組織で身を包み、身内から淡い光を放つ。
 一つ、鼓膜を震わせる程の大きさで、心音が響いた。
「隊長! 俺は大丈夫だ! 逃げよう!」
 上空から聞き慣れた声が届き、ハンソーネが空を仰ぐより速く、騎馬の傍らにタロウが着地する。
「アイツはヤバいっす。まだ動いてない今の内に――」
 また一つ、心音が響いた。
 其れを聞いてハンソーネとタロウは同時に盆地の底を見て、息を呑む。
 細くしなやかな肢体したいを持つ金の人型が立ち上がり、表情のうかがえない口元から細い黒煙を立ち上らせて、二人を見詰めていたのだ。
「タロウ、逃がしてくれると思うか?」
「……逃げるしか、無いです。やり合うのは今じゃない」
 言葉を交わす内にも、金の人型は辿々たどたどしい足取りで近付いてくる。
「――退くぞ」
 ハンソーネが低くつぶやき、手綱たづなって馬を転身させる刹那せつな、爆発の音と、水晶をこすり合わせる様な甲高かんだかい音、其の直後に激しい剣戟けんげきの音がとどろいた。
 ほんの一瞬遅れてタロウがハンソーネの眼前に背中から叩き落とされ、いで盆地を取り巻く南側の硝子が砕け散り、焦土に降る。
「タロウ!」
「隊長……! アイツ、本隊に……ッ!」
 痛みをこらえて叫ぶタロウの声を聞くや否や、ハンソーネは馬を走らせた。
 黄金の軌跡きせきは一直線に南西へ伸びる。
 砂漠を駆ける白銀の騎士は、夜空を照らす美しくも禍々まがまがしい光を追った。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の四

 アキッレ・ヴィナッチャは、追って来る深紅の獅子と襤褸ぼろまとう灰色の獣の動向をうかがって、北東の空に走る黄金の彗星を見た。
「今度は何が……!」
 絶望感からつぶやき、彗星の軌道きどうに違和感を覚えたアキッレは大きく息を吸う。
「全隊! 回避! 回避しろ! 散開!!」
 アキッレの言葉を聞いた兵士達から順に、散開という言葉が輪唱して前へ前へと広がり、しかし、黄金の彗星が落ちる方が早かった。
 砂原が海面のごとうねり、人を乗せた動物達が足を取られて転倒していく。
 れは、アキッレも、かたわらを駆けていたグリーセオも例外では無い。いや、追って来ている深紅の獅子も、灰色の獣すら同様であろう。
 衝突の大音響に人々の悲鳴と怒声が重なる混乱の中、アキッレはくらからび下りて愛馬の転倒に巻き込まれる事を避けた。
 が、直後、アキッレの視界が揺らぐ。
 右の側頭部をしたたかに打たれ、なおも震動する砂に手を突いてこらえ、姿を変えた灰色の獣人じゅうじんを見た。
「さっきぶりだよなぁ」
 人の言葉でつぶやき、獣人が振り下ろした漆黒の短剣を焦茶色こげちゃいろの長剣で受け止め、黒い刃から吹き付ける風にアキッレは目を見開く。
「――お前が! ヨハンを!」
 怒りのままに叫び、受け止めた剣をひねり上げて押し込み、アキッレは立ち上がった。
「ヨハンって言ったのか、アイツ。……不味まずかったよ」
 襤褸ぼろの奥で獣人が笑い、アキッレは脳裏でつなの切れる音を聞いた。
 長剣を滑らせる様に黒い刃――折られたのであろう槍の穂を弾き、敵の腹へ目掛けて横にぎ払う。
 獣人はアキッレの斬撃を軽やかにかわし、渇いた笑い声を聞かせた。
「お前が持っていて良い物では無い!」
 叫び、次の攻撃を放つ最中に左前腕部のよろいと剣の腹をり合わせ、愛剣〈バンドリン〉を振動させて斬り掛かる。
 獣人のくびを正確にねた愛剣は、あるじに何の手応えも伝えず、獣人の姿が暗灰色あんかいしょくの煙と化して散らばっていった。
「ヨハン、ヨハンかぁ。大失敗だったよなぁ……。家族を故郷に置いて、先に逝っちまって」
「――っっ黙れぇ!」
 何処どこからとも無く響く声に怒り、何度煙を斬りけども、暗灰色の煙はただ揺らめくのみ。
「お前の方だよ」
 耳障みみざわりな声が右肩から響き、アキッレが振り向いた瞬間、小さな影が走った。
 ばつ、と肉の切れる音がして、アキッレは右頬みぎほほから左の眉根まゆねへ広がる痛みにうめき、顔に押し当てた左手をべっとりと汚す血液を握り締めて辺りを見回す。
「ヨハンに会わせてやるよ」
 声は、背後。
 長剣を回して逆手さかてに持ち替え、背後へ突き出したのと、背をき斬られる痛みは同時に訪れた。
 骨と肉を斬る感触を右手で捉えたアキッレは、雄叫おたけびを上げて剣を振り上げる。
 勢いはそのままに、アキッレは左脚を上げて背後、獣人の腹を蹴りつけ、突き出した足で大きく踏み込み、体勢を崩した獣人へ焦茶色の長剣を叩き付けた。
 手応えはある。右のももと胸元を斬り裂かれた獣人は、傷口を中心として何度も震え、小刻みに悲鳴を漏らし、再び暗灰色の煙と化して掻き消える。
「流石は魔法大国たいこくの騎士サマだなぁ」
 声は足下、砂原から上体を浮かび上がらせた獣人が漆黒の短剣を突き出し、アキッレは腹部を刺された。
 突風が腹の中を圧迫する痛みにうめながらも、アキッレは獣人の頭を掴まえ、順手じゅんてに持ち替えた剣の柄頭つかがしらで獣人を殴りつける。
「痛え、痛ぇなぁ」
 アキッレを嘲笑あざわらう獣人は手の中で煙と化してすり抜け、周囲の煙から無数の腕が現れた。
 腕はアキッレの手を、足を、首を掴まえて引っ張り、膝の裏を蹴られ、背中から砂原に引き倒されて、組み伏せられる。
 仰臥ぎょうがしたアキッレの腹の上で暗灰色の煙が集まり、元の半分程度の大きさと成った獣人が現れ、漆黒の短剣を振り被った。
男爵だんしゃく!」
 悲鳴地味た女性の声が響き、アキッレは咄嗟とっさに目を閉じる。
 清涼な笛の音が鳴り渡り、瞼越まぶたごしにも感じられるまばゆい閃光がまたたいて、腹の上の獣人が悲鳴を上げ、アキッレは全身を捩った。
 ぼとぼとと何かが砂に落ちる音がして、アキッレはかすむ視界のまま起き上がり、駆け付けた小柄な女性騎士――ツィンク・コルネットの傍らに立つ。
「助かった、ツィンク」
「いえ、敵はまだ……!」
 ツィンクに言われ、アキッレはツィンクの背後を守るく立ち位置を変えた。
 暗灰色の煙は二人の騎士と外界をへだてる様に立ちめ、煙の中からは不規則に笑い声が聞こえる。
 敵が動く瞬間を探り、意識を研ぎ澄ませる中、アキッレはふと背中の傷を撫ぜる風に気が付いた。
 咄嗟に振り返った先に、ツィンクの姿は無い。
 風にさらわれる様に暗灰色の煙が晴れていく。それと同時に、アキッレははらの底から冷える思いがした。
「ツィンク! ツィンク・コルネット! こたえろ!」
 叫び、アキッレは走る。
 黄金の彗星が落下した事により大きく様相の変わった砂原には、なかば埋もれた生死不明の兵らが転がっていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の五

 未知の爆発で〈コーア〉の隊列は崩れ、本隊から少し離れて撤退をしていたマリアンヌ率いる部隊――特別遊撃小隊の影さえ見えない。
 だが、隊列があった地点から大きく外れた事は、死体一つ無い砂漠の景色を見れば明らかだった。
 グリーセオはその事実を認識しつつ、迫るライガの前肢まえあし――いや、深紅のとげの塊を短剣で弾き、背後へと去なす。
 び掛かった勢いのまま宙を舞うライガに背を向けて、グリーセオは西を目指して走り、ライガが来れば攻撃をなして距離を取る。
 エクゥルサから落ちたグリーセオは、れを繰り返して隊列から離れていた。
「このまま足で逃げ切るつもりか! 中途半端な覚悟で何十人、何百人と殺して! 逃げる気か! グリーセオ!」
 獅子の体のまま人の声で叫んだライガは、砂地を擦る程に低く跳び、グリーセオの足首へ噛み付こうとする。
 グリーセオは其れを跳び退しさってかわし、次に来る攻撃を察知して腰を落とした。
 空気を噛み砕いたライガは後肢うしろあしで砂を蹴り、速度を上げてグリーセオに突進する。
 矢よりも速く迫るライガの頭部へ両手の剣を振り下ろしたグリーセオは、ライガを砂地に叩き付けて獅子の背にまたがり、ライガの喉元へ刃をわせた。
「……体を作り替えられ、兵器として扱われるお前が…………! ライガ! お前がフェリダーに、どうしてそこまで尽くせる!」
「何を言ってやがる……ッ!」
 抵抗を見せたライガの左前肢に当たる棘を、グリーセオは斬り飛ばす。
「もういい、もういいんだ! フェリダーから離れ、大陸のどこかで静かに暮らすことだって出来るだろう! 混乱している今なら……だから、もう、やめよう……!」
「ふざけるなよ……!」
 ライガの心音が響き、体表を構成する外骨格がうごめいて、しかし、それ以上の変化は起きなかった。
 その一瞬で、グリーセオはライガの状態を悟る。
「もう限界なんだろう。不死に近いお前であっても、俺達を追いながら腕を治せていないのが証拠だ。
 無意味に死ぬ必要は無いんだ! お前はまだ生きている! 選択肢は幾らでもあるんだ、戦って殺し合わなくても――」
「其れは! テメェがカーニダエだから言える事だ! 殺そうと思えば誰でも殺せる力があって初めて出来る同情なんだよッ! フェリダーを追い詰めて選択肢を奪った原因はお前だ! グリーセオ・カニス・ルプス!
 ――オレを生み出したのは、お前だ! お前が殺してきた数が、オレだ!」
 ライガの叫びに、グリーセオの剣が震えた。
 風が吹く。
 獅子の背中に馬乗りになって押さえ付けるグリーセオの眼前に、首に巻いている青い布が垂れた。
 カーニダエ帝国の青い装飾品、その面積の大きさは、戦場での功績を表す。
 ――単騎、八百四十三。作戦規模、七千二百余り。
 その功績を称えて編まれた首布がグリーセオの眼前に垂れ、ライガの肩に落ちてたわんだ。
「殺し飽きたから言えるんだよ……! なぁ、グリーセオ! テメェが殺す事に飽きたから、だから今度は人を生かすって事に乗り換えただけだッ! テメェこそが世界の象徴なんだよ!」
 心音がとどろく。
 絶え間無く砂原を揺るがし、グリーセオの握る双剣までも震え、ライガを中心として砂がくぼんでいく。
「――オレは変えさせるぞ。テメェを殺して、大陸中、殺して殺して殺して! 世界を丸ごと創り変えさせる!」
 ライガから離れようと立ち上がったグリーセオの脚は、既に膝の高さまで砂に埋まっていた。
「ライガ、やめろ……! 殺すだけじゃ何も変わらない……! 変わらなかった……!」
「テメェに分かるか! グリーセオ!」
「分かる! 殺し合うだけじゃ俺は――」
 続く言葉は、砂の底に呑まれた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の六

 ライガに敗北し、サビロイは自身の新しい肉体のほとんどが煙なのだと分かった。
 れ以前は肉体を煙と化す力を得たと思っていたが、実際には逆であり、心臓部である小さな肉体の他は全てが曖昧な煙で、故に変幻自在。
 理解してみれば新たな肉体は便利と言うほかに無く、獣人じゅうじんの形に変化させた胴体で呑み込む様に、小柄な女性騎士となかば融合しつつ運ぶ事が出来た。
 漆黒の槍を持っていたあの男性騎士の時は、そうはいかなかった。
 そもそも、自身の体を変形させる事が出来ず、よろいを着込んだ成人男性を手足だけを使って運ぶには、切り分ける必要があったし、道中で一部を捨ててしまわなければならず、生け捕りにしても長くはたない。
 ――しかし、己の力を理解した今ならば。
 サビロイは重たい体を砂原にわせて駆け回る中、意識を失った兵士に声を掛けている男性騎士を見付け、その手に握られている赤銅色しゃくどういろの剣を見て、口角を吊り上げた。
「おーい」
 戦場にそぐわない声に、男が動きを止める。
 剣を握り直して青い顔で立ち上がった其の男に、サビロイは笑い声をこらえて、然しえて口角を吊り上げたまま、首をもたげた。
 サビロイの胸元、本来であれば胸骨があるその位置には、先の爆発で死んだ兵士の手首から先を口に詰め込まれ、その上をサビロイの肉体でふさぎ、固定している、生け捕りにした女性騎士の頭部を露出させてある。
「……何を、している」
 怖気おぞけむしばまれた男は震える声でつぶやき、サビロイは遂に吹き出した。
「人質だろぉ、そりゃあさぁ! 人間じゃ出来ねぇやり方で、完全に拘束してある! いつでも殺せる!
 ――ゆぅっくりと、端っこから、なぁ」
下﨟げろうがッ!」
「動くんじゃねぇよ」
 男が怒声を上げて一歩を踏み出した瞬間。サビロイは胴体の中にある女の左親指を引き千切ちぎる。
 口だけを塞がれた女は痛みにうめき、その様子に足を止めた男に、そして首元の女にも見せ付ける様に、サビロイは腹の中から取り出した親指をつまみ上げた。
「これ、なぁんだ?」
 女は恐怖に震え、立ち尽くす男は赤銅色の剣を落として顔面蒼白になる。
 サビロイは二人の様子が可笑おかしくて仕様が無かった。
「おい、剣を拾えよ。なぁ」
 サビロイの指示に男は動かず、サビロイは舌打ちをして鋭い爪を備えた両手を女の顔に被せる。
「とっととしろ! 次は顔面をむしる!」
 サビロイの手の中では女が必死に首を振ろうとして、男は震えたまま片膝を突き、赤銅色の剣を掴む。
「アンタお偉いさんだろう? なぁ? 普通こんな事無いと思うんだけどさ。でもさぁ、目の前で部下が生きたまま解体されるか、自害するか、だったら……どっちが良い?」
 わらながら問うサビロイに、男は青白い顔のまま怒りをあらわにし、涙を流した。
「選べよ、他の奴が来たらこの女はすぐ殺すぞ」
 男は震え、荒い呼吸を繰り返して砂原に跪座きざし、こうべを垂れて、うなじに赤銅色の刃を押し当てる。
 右手で柄を、左手で剣身を握って、断頭の態勢を取った。
「寄越せって言ってんだよッ! テメェの首一つで他は生かしてやるからさァ!」
 哄笑こうしょう混じりのサビロイが叫び、剣は振り下ろされた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の七

 意識を取り戻し、まぶたを開ける感覚が確かにあった。
 しかし、持ち上げた瞼が皮膚を張る感触が無い。
(不思議だ……)
 純粋に思った事を心に浮かべて、寝起きにそうする様に、身動みじろぎする。
 柔らかいような、硬いような、奇妙な物に包まれていた。
 手足はれをき分けて伸び、空を探して揺らめいて、細い手を掴む。
「……こんな所で……グリーセオ、お前は殺さねぇと…………カーニダエ、フランゲーテ、フェリダー……」
 譫言うわごとは、掴まえた手の方から聞こえた。
「あんた、ライガ、って呼ばれてんだ」
 握り締めた細い手だと思っていた其れは、赤黒い宝石にも似た骨だった。
 き出しの骨なのに温かく、哀しい程に強い手。
「……ああ、そうか。オレも、殺さねぇと。マーブを、皆をあんなにした、敵を」
 黄金色こがねいろの仮面がけ、太陽の様な双眸そうぼうが開かれた。
 ヒョウは、掴まえた手を引く。
「ライガ、まだだ。まだ……。行かないと。オレが降ったから、敵は足を止めてる」
 ヒョウの心音が響き、骨の手へと伝播でんぱして、手の方からも拍動が返された。
 いや、それだけでは無い。
 地の底から幾百万、幾千万もの拍動が、ヒョウとライガを押し上げる。
 ヒョウの手の中にある骨がぴくりと震え、見る間に肉を取り戻し、血液よりも鮮やかな深紅の外骨格が包んだ。
「…………ヒョウ、ごめんな」
 かすかに、ライガの声がした。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の八

 その顔貌がんぼうを見た者は居なかった。
 ツィンクと敵を探して、爆風にき乱された砂原を歩き、何かがったのか、将又はたまた何かを引きったと見られる跡を辿たどり、灰色の獣人の声を聞いたアキッレは、の後ろ姿と、こうべを垂れる兄――ジェンナロ・ヴィナッチャの姿を見て、状況を悟った。
 無表情とも、鬼の形相とも言える顔貌で、アキッレは駆け出しざまに愛剣とよろいこすり合わせて振動させ、灰色の獣人の胴体、其の心臓に当たる部分を一文字に斬り裂く。
 一太刀ひとたち。肉と骨、そして硬い何かをまとめて斬り飛ばし、幾つにも分かれた肉塊にくかいが七度、大きく震えて、灰色の獣人は暗灰色あんかいしょくの煙と化した。
 しかし、煙に紛れて砂原を滑る様に駆け回る小さな獣の影を、アキッレは見逃さない。
「兄上! マンドーラを!」
 自ら首をねようとしていたジェンナロへ向けて叫び、アキッレは小さな獣を追って走る。
 暗灰色の煙は小さな獣を隠す様に立ちめ、アキッレは剣を振るって煙を払い、小さな獣が不意に転身した瞬間、其れを踏み付けた。
 柔らかい感触が鉄靴てつぐつ越しに伝わり、アキッレは剣を振りかぶる。
 そうした瞬間、無数の弦を爪弾つまびく様な金属音が鳴り響き、其れを受けたアキッレの焦茶色こげちゃいろの剣が振動した。
 小さな獣を踏み付けた足に体重を乗せ、湿った音を聞き、足を離すと同時に踏んでいた其れへと剣を振り下ろす。
 砂原ごと穿うがたたれた小さな影は、二度三度と震える度に細切れになり、七度目には黒い血の跡だけを残して消えた。
 息を荒らげ、奥歯を噛み、アキッレはジェンナロの居た方へ振り向く。
 アキッレとジェンナロの間には、首と胴が分断され、アキッレが放った斬撃により無惨な姿と成ったツィンク・コルネットの死体が転がっていた。
「……アキッレ、吾輩わがはいは、どうすれば良かったのだ…………」
 ジェンナロの悲痛な声は、夜風に乗ってアキッレの耳に届く。
「兄上。ツィンクを、そしてヨハンの死を招いたのは私の失態です。敵を斬る為には、彼女諸共もろとも斬る他に無かった」
 話す傍ら、アキッレはツィンクの死体を横切り、項垂うなだれるジェンナロの前で片膝を突いた。
「お立ち下さい兄上! 敵はまだ居る。我が部隊にも生存者が居るはずだ! 我らはまだ戦わなければ――」
 兄への激励げきれいを飛ばす最中、ジェンナロの視界が閃光に包まれ、うめく。
 直後に聞こえるのは剣戟けんげきの音。其れは前方から聞こえ、アキッレは目をつむったまま後退した。
「兄弟でこんなにも違うんだなぁ! 部下想いの兄と! 人の心がぇ弟! 兄上さんは苦労するなァ!」
「――口だけは達者な獣がッ!」
 灰色の獣人の声と、ジェンナロの声。その合間には幾つもの剣戟が重ねられ、アキッレは視覚がままならない状態で剣を構える。
「ヨハンとツィンクの剣、返して貰うぞ!」
 ジェンナロが叫び、赤銅色しゃくどういろの剣が奏でる金属音を聴いて、アキッレは前方を斬り付けるく構えを取った。
 目の前でせわしなく足音が交差し、刃がぶつかり合う音がし、ジェンナロが雄叫おたけびを上げる。
 取り戻しつつある視界で灰色の影を捉えたアキッレは、構えていた剣を振り下ろした。
 一瞬だけ、確かな手応えと共に獣人が悲鳴を上げ、かすむ視界が暗灰色に包まれる。
 アキッレはまぶたを下ろし、耳と皮膚に全神経を集中させた。
 風と、乾いた煙が肌を撫ぜ、背後でごく小さな足音が響く。
(まだだ……)
 胸中で呟き、己を制して、つかを固く握り締めた。
 小さな音は足下で止まり、右足のよろいかすかな重みが乗って、アキッレは右足を振り上げつつ目を開く。
 踏み込む様に突き出した右脚、其の大腿部だいたいぶの鎧にしがみつく小さな獣を左手で掴まえ、空中にほうった。
 宙を舞う獣へ焦茶色こげちゃいろの剣を振り下ろし、獣の腰から下を斬り落とす。
 振動していたアキッレの剣は、その一撃を七度、繰り返して小さな獣に伝え、痛め付け、砂地に叩き落とした。
 狙いをわずかにれた斬撃では、小さな獣は死なない。
 ジェンナロは合図も無く赤銅色の剣を奏で、アキッレは再び振動を始めた焦茶色の剣を振りかぶる。
 歯を食い縛り、前肢まえあしだけで逃れようとする小さな獣を、脳天から背骨をち割るく狙いを定め、呼気と共に半歩踏み込み、眼下の獣目掛けて剣を振り下ろそうとした。
「……アキッレェ!」
 尊敬する兄の悲痛な声色で、アキッレは瞬時に死を覚悟する。
 振り被っていたはずの剣が音を立てて砂原に落ち、肘から上腕にかけて痛みと熱感が走っている。
「兄上――」
 口にした瞬間、背中をしたたかに打たれて声が途切れた。
 鎧を突き破って、無数のとげが背中の肉を穿うがち、その傷口を中心として吸い込まれる感覚。
 アキッレは意志の力を総動員して踏み留まり、最後の息を吸った。
「勝ってください……! 貴方あなたの弟で、良かったと……!」

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 21の九

 暗闇の色をしたつかへ、両腕を失った男性騎士が呑まれる様に形を変えていき、よろいや衣服の破片をき散らして、柘榴色ざくろいろの刃に変じる。
 さやから抜き放つ様に柘榴色の長剣を振るって、外骨格で形成した深紅の甲冑かっちゅうまとうライガは、剣の重みを確かめつつもう一人の騎士へ向き直った。
「……勝てると思うか、オレに」
 騎士に問い、ライガは一歩を踏み出す。
れしか、生きる道は無かろう……!」
 答え、赤銅色しゃくどういろの剣を振りかぶって騎士が駆け出し、ライガは長剣を構え直した。
 砂を蹴り、彼我ひがの距離を見定めた騎士が、何度目かに踏み出した足に体重を乗せ、袈裟斬けさぎりを放つ。
 ライガは其れを半歩退いてかわし、騎士の顔面へと長剣を振り上げた。
 反射的に腰をらせた騎士はすんでの所で柘榴色の刃を躱し、斬撃を受けた騎士のかぶとひしげて宙を舞う。
 素早く退しさった騎士はライガの間合いから外れ、しかし、背後に落ちてきた別の人影にぶつかった。
 振り返ろうとした騎士の顔面に、黄金の外骨格を纏う右手が叩き付けられ、人影は騎士の頭を鷲掴わしづかみにしたまま砂地へと突き倒す。
 よろいが打ち合わされる金属音とうめき声が、衝突の音にき消され、黄金の人影――外骨格を纏ったヒョウが身内から輝きを放ち、其の体が揺らいだ。
 左の脇腹からすくい上げる様に、身の丈程もある大剣をたざさえた大柄な騎士がヒョウを弾き飛ばし、宙を躍らされたヒョウは関節部から火を噴いて体勢を整えようとする。
 その後はライガの視界には映らない。
 新手あらてを認識した瞬間に駆け出したライガは、大柄な騎士の目の前で跳び上がり、空中で敵の首目掛めがけて剣を振った。
 ライガの行動に反応してのけた大柄な騎士は、大剣の腹をライガに向けて盾のごとく構え、斬撃を受けて砂原を転がる。
 その間に着地していたヒョウは、ライガに吹き飛ばされた大柄な騎士へ向けて駆け出し、ライガは上体を起こそうとしている騎士へ長剣を振り下ろした。
 柘榴色の刃は赤銅色の剣身で受け止められ、ライガは騎士を砂地に押し付ける様に体重を掛ける。
「死んどけよ……ッ! 悪魔の国の犬がッ!」
 怒鳴り、一層深く押し込まれた騎士は砂原へ背を付け、両腕で赤銅色の剣を押し返そうとする。
「……アキッレ、吾輩わがはいに、力を……!」
 押し返そうとする騎士の動作は、ただの抵抗では無かった。
 鍔迫つばぜり合う二色ふたいろの刃が擦れ合い、赤銅色の剣が鳴動する。
 その音と振動に、ライガの心臓は大きくねて周囲に心音をとどろかせ、深紅の外骨格が逆立つ様にうごめく。
 変化は柘榴色の刃にも及び、蜃気楼しんきろうにも似た揺らぎを見せて軟化なんかし、赤銅色の刃と絡まり合った。
 なかば融合した刃はなおも擦れ合い、連続して爪弾つまびく金属音を増幅させ続け、ライガは頭痛を覚える。
「何を、してやがる……クソッ!」
 退しさろうにも絡み合う剣は解けず、騎士がその勢いを利用して立ち上がり、ライガの目眩めまいは勢いを増して全身をむしばみ、ライガはうなり声を上げて騎士の顔面へ左手を伸ばした。
 そうした自身の手を見て、ライガは息を呑む。
 鋼よりも硬い深紅の外骨格が、液体の様に揺蕩たゆたい、絶えず形を変え続けていたのだ。
 こらえ切れず見下ろした先では、ライガの胴も、脚も、同様にして揺蕩い、形を変え続け、そして、ライガは剣を手放した。
 一瞬、体勢を崩した騎士へ倒れ込む様に拳を叩き付けたライガは、深紅の液体を散らして膝を突き、揺らぐ視界の中で騎士を捉えて二度目の拳を放つ。
 体勢を崩した騎士は自身の剣のつかを手放し、絡み合う二振りの剣は砂原を滑って離れて行った。
 目眩と頭痛がわずかに引いて行き、ライガは騎士に跳び掛かって拳を叩き付ける。
 不格好でいびつな拳で、何度も、何度も、頭部を守ろうとする騎士の両腕に叩き付け、ライガは不意に吹き飛ばされた。
 音が消失し、何の反応も示さない左腕の感触から片腕を失ったと理解しつつ、右手の五指を砂原に突き立てて勢いを殺し、荒くなった呼吸を整える。
 左目も潰れ、右手で探れば左腕は疎か胴体の左側が吹き飛ばされており、しかし、幸か不幸か液状化した外骨格が傷口をふさいで出血を止めていた。
 一秒程度で自身の状態を理解して顔を上げたライガは、揺らぐ視界で無数の人影と、彼らが手にする松明たいまつの光を見て、きしむ程に奥歯を噛み締める。
「次から、次へと……!」
 西の砂丘、その稜線に青い布を身に付けた軍勢が立ち、ライガを見下ろしていた。

つづく

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