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2019.02.10 雪が降った日の次の朝

中華っぽいどんぶりにキーマカレー。要するに「多文化共生」を表現したかったんです。うそです。器は適当です。きのうからジップロックの袋でトマトペーストなどに漬けておいた鶏むね肉を、今朝になって炊飯器の保温機能を使い低温調理しています。70℃くらいのお湯を入れて、そこに袋をそのままぶっこむ。1時間かそこら保温。初の試みです。ちゃんとできるかわからないけれど、実験。

以前、「食にこだわりがない」とたぶん書きました。でも料理は楽しんでやります。「こだわりがない」の内容は「わがままを言わない」くらいのことです。なにが嫌いだの、なにがないとダメだの言うことはない。うるさいことは言わず、ことさら求めることもない。適当なあるもので腹を満たすし、なくても死なない程度ならかまいません。飢餓状態になれば求めます。死ぬから。そうでない限り、さほど空腹を不快に感じません。少しの空腹感は、むしろ心地よい。空腹を育てる時間がたいせつです。最悪でも死ぬだけです。

友人が選んでくれたレストランで、まずい料理を食べたとしても、そのまずさも楽しいと思う。ふだん積極的にまずいものを食べることはありません。だってまずいから。せっかくまずいものを差し出してもらえたのなら、その貴重なまずさを味わってもいい。「自分にとってのまずいとはなんなのか?」を考える機会にもなります。「まずい」経験から深まる理解もある。もしかしたら友情も深まるかもしれない。同じまずさをくぐり抜けた同志として。団塊の世代が脱脂粉乳のまずさを得意げに語るように。

顕著な身体的異変があらわれなければまずくても大丈夫です。食後に身長が5メートルになったり、触覚が生えたりゴリラみたいに毛深くなったりしなければ。いや、そうなったらそれはそれでおもしろい……。魔法の食事だ。人間という仕事から降りられる。

いまのところ人間やってるから料理もします。
人間プレイ。それとすこしの好奇心。

途中で大切な電話がきて、ブックオフの出張買取もきてなんやかんやしてたら昼食の時間。鶏むね肉のトマト煮。散らしたのは青のりではなく、パセリ。にんにくも漬けていて、精がつく。「にんにくは高血圧に効くんだって!」と祖母が物欲しげに主張するので、ひと切れ分ける。

思っていたよりおいしくできました。食事の感想は陳腐なことばしか浮かびません。しっとりジューシーでおいしい!みたいな。こういう部分で自分は「食べること」に関心がないのだと気がつきます。関心は「つくること」まで。関心のないところの語彙は育たない。

その場でリアルに口走ったのは「味、ついてるね」でした。祖母もつられてか「味あるね」と言っていました。主観ゼロの感想。どんな味がついていたのか。おいしいトマト味でした。これで少なくとも今日のところは祖母の血管がブチ切れずに済むでしょう。食べ終えて部屋の掃除をして、本が減った清々しい中でまたこれを書き始める。

雪が降った日の次の朝。あっけなく晴れていました。うそみたいにあっけらかんと。天気のうつろいはよく気分のアナロジーに使用されます。「やまない雨はない」などという励ましのことばがある。雨は、いつかやむ。単なる事実です。

空のようすは誰にでもわかりやすい事実だから励まされるのかな、と思う。そこにはうそがない。全員が「雨」の体験者だから共感もしやすいし、反論もできない。その通り。「単なる事実」の受容に人は勇気づけられるときもある。逆に絶望するときもある。

雪はやみ、やがて晴れた。晴れた時間もつづかない。午後には曇り空になった。でも雲の覆いの上では、変わらぬ青さが広がっているらしい。そのさらに上では宇宙の暗闇が膨張しているらしい。果てはわからない。

どの水準に信を置くかは、きっと人さまざま。できるだけ変わらないところを信じたいと思う。青いとこ。もしくは遥かな暗い、わからないところ。決して知りえないところ。しかしわたしたちが身を置く現実は、変わりやすい空の下にある地表だった。ここに在る。単なる事実として。

悩みごとを相談されたら、あるいは自分でも悩みごとを抱えていたら、身も蓋もない事実だけにその内容を還元するといい。それだけで、だいぶ落ち着くと思う。現在には、現在だけがある。もはやないものは、もはやない。未だないものは、未だない。自分の範囲と他人の範囲を事実ベースで切り分ける。言い換えれば、可変性(自分)と不変性(他人)に分ける。そこに長短の時制を導入する。長期的に見てどうか?短期的に見てどうか?さいごに分解した「事実」を自分の価値観ベースで順位付けする。

たとえば、上記のような整理方法はいかがでしょう。まずは自分で試してみよう。紙に書くといい。まっさらなノートを用意して、もちろん誰にも見せない。方程式を解くように書きつける。単なる事実を記述してみる。限りなく無味乾燥に。

ふやけた生温かい鳥の死骸に赤い植物の味が染みている。
とか。
そんな感じの見方。



にゃん