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映画『ザ・ウォーク』プティが描く円の中に。


 『風立ちぬ』製作中のジブリに密着したドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』で印象的なシーンがある。宮崎駿がなんてことない風景を眺めながら「あの電信柱を上って、電線を伝って、あの屋根からあの屋根に飛び乗ったら、どこまでもいける」と言うと、その言葉に重なるように彼が手がけたアニメの名シーンたちが引用されていく。塔から塔へと大ジャンプするルパン、電線の上を走る猫バス、箒に乗って大空を舞うキキ。宮崎駿の見ている風景を観客が共有するシーンである。宮崎駿の映画はファンタジーだが、その風景は現実世界と地続きで、眺め方ひとつですぐに目の前に現れる。少なくとも彼の目にはそう映っているのである。

 1968年、本作の主人公フィリップ・プティは歯医者の待合室でたまたま見かけたワールド・トレード・センター建設中の記事を見て、そこに描かれた2つのビルの間に1本の線を見る。誰がこの記事を見て、そこにその線を見るだろうか。ましてや、そこを渡ろうなどと、そして、それがいかに美しいことかと。『風立ちぬ』の主人公の堀越二郎がサバの骨を見て「美しい」と言ったように、これはそんな風景を眺めている人物の実話である。

 人はそれぞれ、その人なりの風景の眺め方があり、芸術はそれを他者に伝える装置として機能する。プティにとって、それは大道芸であり、綱渡りであった。映画の序盤、パリの街で大道芸を披露するプティは道に円を描き、その中に入る。もし、プティの大道芸を見ようと集まった観客が、その円の中に爪先でも入ろうものなら、一輪車のタイヤで足を踏まれ、円の外に追い出されてしまう。もちろん、それは路上パフォーマンスをする上で最低限の、自分の芸を邪魔されないために必要な処置にも見えるが、それ以上にこの円には重要な意味があるように思える。

 2008年公開のドキュメンタリー映画『マン・オン・ワイヤー』でプティは「夢は宇宙を支配するという壮大なものではなく、詩人として舞台の上で美を極めること」と語っている。プティにとって芸を披露する円の中は“美”を極める神聖な場所であり、それ故、その円の中は孤独でなければいけない。なぜなら、創作活動のほとんどは孤独と背中合わせだからだ。しかし、本作は3DCGを活用し、カメラの視点をプティの円の“外”ではなく“中”に置くことで、観客は映画館の席に座りながら、あの爪先でさえ入ることが許されなった円の中に放り込まれる。そこから見えるのは恐怖と、どこまでも広がる孤独の、その美しさなのである。

 私たちには決して奪われない魂がある。その魂は反社会的で美しく、誰にも手が出せない。ワイヤーの上に立っているプティはその魂を象徴していた。チョークで円を書くまでもなく、そこには誰も入れない。警察も指をくわえて見ているしかなく、まるでピエロが王様を茶化すようなその姿は、芸術が常識や法律や国家といった枠組みの外にあるものだと思い出させてくれる。ワールド・トレード・センターの南棟から北棟へと見事に渡り切った彼は、そこで挑戦を止めずに、結果的に45分もの間、ワイヤーの上にいた。彼はステージから降りたくなかったのである。

 そんな彼をステージから降ろしたのは警察の忠告ではなく、1匹の鳥だった。ワイヤーの上で寝そべっていたプティのもとに1匹の鳥がやってくる。彼はその鳥を見るなり「ここにいてはいけない」と判断し、タワーへ戻っていく。プティがチョークで円を書いたのは神聖な場所だからだ。しかし、彼自身も芸術家として美を求めるばかり、入ってはいけない円に知らず知らずのうちに足を踏み入れていたのである。彼は美の追求の先に、神の視線を感じたのである。

 プティは自分が見た一本の線を可視化し、ニューヨークの人々の意識を変えた。この時の実際の写真を見たが、細いワイヤーは地上からは見えにくく、彼はまるで宙に浮いているように見える。空を歩く人、想像も出来ない風景である。この映画で初めて知ったが建設当初のワールド・トレード・センターはニューヨークの人々の間で不評だったそうだ。しかし、この一件後、そのイメージは一変した。プティがワールド・トレード・センターに見つけ出した“美”を、ニューヨークの人々も共有したからである。この一連の出来事が、ニューヨークから遠く離れたパリの歯医者の待合室から始まっていると思うと、実に面白いではないか。

 実話にありがちな「その後、ワールド・トレード・センターは~」という野暮なナレーションはなく、展望台の永久無料入場券を持つ主人公の顔に全てを語らせるラスト。美の探求に終わりは無く、美しさに永遠はない。映像として残っていなかった45分間の失われた風景を蘇らせた本作は、2001年9月11日に世界中を駆け巡った衝撃的な映像を、映像の力で超えようとする挑戦だったように思える。ワールド・トレード・センターは悲劇の象徴ではないと。

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