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皆さんの幸せを願ってます、自分も含めて。人

むかしむかし、ある村に、幸(さち)という名の若者がいました。幸には不思議な癖がありました。誰かと会うたびに「あなたの幸せを願っています」と言うのです。そして必ず「自分も含めて」と付け加えるのでした。
村人たちは最初、幸のことを変わり者だと思っていました。しかし、幸に「幸せを願っています」と言われると、なぜか心が温かくなり、自然と笑顔になるのでした。
ある日、村に大きな問題が起こりました。長年の干ばつで、畑は枯れ、人々は食べ物に困っていたのです。
そんなとき、幸は村人たちに言いました。「皆さんの幸せを願っています、自分も含めて」
するとどうでしょう。その言葉を聞いた村人たちの心に、不思議な力が湧いてきました。「そうだ、みんなで協力すれば、きっと乗り越えられる」と。
村人たちは力を合わせて新しい井戸を掘り、知恵を絞って drought-resistant crops (耐乾性作物)を植えました。幸は常に「皆さんの幸せを願っています」と言いながら、率先して働きました。
やがて、村には再び豊かな実りが訪れました。人々は喜び、感謝の気持ちで互いを思いやるようになりました。
驚いたことに、村人たちも幸のように「あなたの幸せを願っています」と言うようになったのです。そして必ず「自分も含めて」と付け加えるのでした。
この言葉が村中に広まると、不思議なことが起こりました。争いが減り、助け合いの精神が育ち、村全体が明るく活気づいたのです。
後に、幸はこう語ったそうです。「他人の幸せを願うことは、自分の幸せも願うこと。みんなが幸せであれば、自分も幸せになれるのです」
そして「みんなの幸せは自分の幸せ」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月14日19時00分に書く無名人インタビュー887回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Mariko さんです!

年齢:40代前半
性別:女性
職業:ライフコーチ

インスタグラム
https://www.instagram.com/mariko_educe_coaching/


現在:そもそも自分の力で誰かを幸せにするなんて無理だなって気がついた。

qbc:
今何をしてる人でしょうか?

Mariko:
ライフコーチをしています。

qbc:
ライフコーチってなんですか。

Mariko:
人生に行き詰まったり、どうにもいかないなって思っている人たちの話を聞いて、この先どうなりたいのかってことを一緒に考えていく。それを仕事にしようと思って、ライフコーチと名乗っています。

qbc:
息詰まるってどういうことなんですか。

Mariko:
特に子育て中のお母さん達にフォーカスして、自分のお子さんとの関係性が悪くなったり、どう子育てしたらいいのか悩んでいる人の力になりたいと思ってます。
親子関係をより良くする関わり方を一緒に考えていきましょうっていう感じです。
あとは、学校に行けなくて悩んでるお子さんに直接コーチングをしています。
子ども達には、ワクワクする人生を生きて欲しいと思う気持ちが強いので、親以外の身近な大人として寄り添ってあげられる存在でありたいと思ってます。

qbc:
学校の先生は、小学校?中学校?

Mariko:
中学校の教員を12年間やってました

qbc:
今のお話だと親も子もどっちも対象にするっていう感じですかね。

Mariko:
そうです。

qbc:
はじめられてみていかがですか。4月からですよね。

Mariko:
学校に来られていないお子さんや困っている親御さんに寄り添うというのは、先生だった頃は日々忙しすぎて、やってあげたくてもなかなかできないことだったので、今はそれができているっていう感じがあります。

qbc:
気持ち的にはどうなんですか。

Mariko:
すごく充実感があります。それから、これをもっと広げていけたらいいなと。もっといろんな人に知ってもらって、純粋にもっと多くの人と関われる機会が増えたらいいなって思ってますね。

qbc:
具体的に何をすることになるんですかね。

Mariko:
子どもに対しては、何か話をしたければしてもいいし、何か自分の作業をやりたければそれを見守ることもできるし、親ではない大人との関わりを持つ時間で、その子にとって、なんか少しでもプラスになればいいなっていうそんな感じですかね。
お母さんたちは、旦那さんがいたとしても、子どものことを1人で抱えて悩まれてる方が多いので、まずはしんどくなっているお母さん自身の気持ちを癒して、満たしていくってことをしています。

qbc:
具体的なサンプルケースが知りたいんですよね。

Mariko:
最近だと、お子さんが学校に休んだり行ったりのいわゆる五月雨式の登校を繰り返しているお母さんからの相談がありました。
お母さんとしては子どもにできればこの先も学校に頑張っていってほしいけども、やっぱりそれは親の勝手な願望で強制はできないこともわかってる。結局どうすればいいのか分からない、っていう悩みを抱えている。
お母さんの話をよくよく聞いてくと、子どもに夢とかやりたいこととかを見つけて欲しいのに、今は夢中になれることが見つけられていなくて不安だ、って言うんです。

お母さんの不安な気持ちもすごくよくわかるし、お子さんも今一生懸命いろんなことを探してる最中なんですよね。
コーチングをしながら、最初に「お母さんは自分のやりたいことって何かあるんですか?」って聞いていくと、お母さんは、ずっとお子さんにばっかりフォーカスし続けてきていて「自分のことなんて考えてる余裕もありませんでした」みたいなことにふっと気が付かれるんですよ。そこから「どんな事をしてる時がわくわくしますか?」とか「何をしている時が楽しいですか?」みたいにお母さん自身にフォーカスして1時間ぐらい対話していくとどんどんお母さんがスッキリされていきます。
「子どもに何かをさせなくちゃとか、何か好きなことが見つからないと子どもは幸せになれないって思い込んでたってことに気がつきました。」って。
「やっぱり子どもには子どもの人生があって、子どもにあれこれ言う前にそもそも母である自分が幸せになった方がいいんだなって思いました」っていう感じでした。

お子さんにはお子さんで「お母さんにはちょっと言えないけど、思ってることとか、学校で何かしんどいことある?」なんて聞きながら、基本はそれぞれと話したことは本人の許可なしには伝えませんが、親子で直接コミュニケーション取るのが難しい時には、私がお母さんとお子さんの橋渡しをするようなことをしたりもしますね。

qbc:
始めたきっかけはなんですか。

Mariko:
それまで誰かを幸せにしたいって思いながら教員の仕事してたんですけど、そもそも誰かに何かを働きかけて幸せにするって無理だよなって気づくタイミングがあったんですよね。

幸せになるかならないかは本人が決めることなのに、自分が誰かを幸せにして「あげる」っていう発想自体がそもそも勘違いしてたなって気づいたんです。逆を言うと、自分が不幸だったり不機嫌でいると、それだけで周りの人を傷つけたり不幸にしてしまう。子育てはモロにそうです。母親が不幸なままで子どもは幸せにはなれない。
それ以来、自分が幸せになれば我が子も含めて周りにいる人も連鎖的に幸せになっていくってことに気づきました。だから「自分を犠牲にする生き方とか子育てはもうやめませんか?」って自分と同じように悩んでいるお母さんたちに伝えられたらいいな、と思って今に至ります。

qbc:
幸せに「させる」のは無理だって気づいたのは、何歳のときに何が起きたんですか。

Mariko:
1つは教員やってたときに自分の教え子を自殺で亡くしたことがあって。そのとき自分としては精一杯やってたつもりだったんですけど、結局その子を失って、助けられる方法はなかったのか、みたいなことをしばらく考えたときもあったんです。でもその考え方のまま生きてると、もうずっとずっと苦しいんですよね。
自分自身が幸せに生きること以外にもうやれることがないというか、人を変えようと思うこと自体が、おこがましいというか、それって何か違うんじゃないかなっていうふうに考え始めた、って感じですかね。

誰かを救ってあげたいと思う気持ちは大事だけど、やっぱりどこまでいっても他人が救ってあげることはできない。最終的にはその本人が変わりたいとか、よくなりたいって思わなきゃやっぱり変わらないから、そういう気持ちにさせるためには,まず自分が幸せでいられることをするしかないって、そんな感じです。なんかぼんやりしてるんですけど。

qbc:
そこからさらに職業にしようと思ったのは何でですかね。

Mariko:
直接的な一番のきっかけは、夫が逮捕されていなくなっちゃったことです
それによって自分の仕事に結構な影響を受けたんですね。逮捕されたことはもちろんニュースにも出ましたし、みんな知ってるわけです。
私はすぐに離婚して、子ども連れて当時住んでた家から引っ越して、生活を立て直そうと思ってたんですけど、しばらく職場にも行けない時期があって。その後仕事に復帰しましたが、同僚や生徒、保護者もみんな「お気の毒でしたね」っていう空気感の中で働きながら気を遣わせてしまってるのも苦しくて、その流れを自分で断ち切らなくちゃいけないなっていう気持ちもあって辞めました。

子どもも、父親の一件で精神的にものすごく不安定になっちゃって。私がこのまま無理して教員として同じ働き方を続けたら、教え子は立派に育っても、我が子は確実にグレて人生踏み外すなって思いました。それで1回仕事をやめようって。
でも、教員の仕事はすごく好きだったんですよね。子どもに教えるのが好きっていうよりも、私との関わりを通して子ども達なりに感じて学んでいくみたいな、そういうのが私としてはしっくりきてたので、これで終わりにして、何もかもなかったことにするんじゃなく、先生とは違う形で今までの経験を自分の仕事にできる方法って何かないかなって思ったら、ライフコーチの仕事が出てきたっていう感じですかね。

qbc:
メンタルとしてはそのときから今までっていうのはどんな感じだったんですか。

Mariko:
実は元夫が逮捕されたとき、ちょっと解放された感じがあったんですね。
すごいすっきりしたっていうか。
元々結婚して10年目ぐらいだったんですけど、今まで自分が我慢して何とか結婚生活が成り立ってるみたいな10年間だったので、これ以上やりたくないことを我慢して生き続けなくてもいいよ!って神様がチャンスをくれたような感覚で受け止めました。
もちろん大変な日々でしたが、それでも自分の足で人生歩いているみたいに感じられて、充足感っていうのか、幸せの感覚って言ったらいいのか。

qbc:
その感覚は何年ぶりでしたか。

Mariko:
初めてだと思います。

qbc:
それは子ども時代も感じたこともなかった?

Mariko:
なかったです。
子供時代は自分の生まれ育った家庭が割と複雑で、とにかくしょっちゅう夫婦喧嘩してて、それこそ父親が母親に手をあげちゃうこともあるし。そんな中で、私が家の中でバランスを取る役割というか、夫婦喧嘩をいさめる役だったんですよね。
妹がいるんですけど、発達障害があって、父親が上手くできない妹を叱責すると母がそれを怒って止める。そうすると父は「お前が甘やかして育てるから」と母を責めて喧嘩になる。父は私だけを可愛がる。母は私に父の不満を吐き出す。そんな風に私が我慢すれば家族がうまく回るみたいな感じで生活してました。なので大学卒業してすぐに当時の交際相手と勢いで結婚して家を出ました。

qbc:
趣味は何ですか。

Mariko:
旅行です。

qbc:
どんな旅行が好きですか。

Mariko:
海外が好きです。アフリカ行ったりとか、日常から離れられるような別世界に行くのが楽しみでした。そういう意味ではやっぱり常に開放感みたいなのを求めてたのかな。あと一時ダイビングもやってましたね。海の中で解放される感覚というか。

qbc:
性格についてお伺いするんですけども、周りの人からなんて言われますか。

Mariko:
強い人っていうのはよく言われるかもしれないです。何があってもめげない。
あとは芯がある人って言われることも多いですね。

qbc:
自分自身ではどう思っていらっしゃいますか。

Mariko:
そうですね、自分でも強いなとは思います。人に甘えたり頼ることができないんだと思いますね。

過去:自分は他の人とはちょっと違うんだってアピールしたかった

qbc:
子どもの頃はどんな子どもでした?

Mariko:
妹が5歳のときに生まれたんですけど、5歳までは何となく幸せに生きてたような記憶がある。5歳で妹が生まれたときから母親が妹にかかりきりになる感じがあってその辺からちょっとずつ屈折していった感覚があります。
いつも我慢しなくちゃいけないっていうのが心のどっかにあって、例えば自分が何か頑張ったりすると親が喜んでくれるから、一生懸命いい子でいようとするみたいなのが強かった気がしますね。のびのび子どもらしく過ごしてたっていうより、大人が喜びそうなことをするみたいな子どもだったと思いますね。子どもとしてはすごく不自然な感じだったかもしれないです。

qbc:
小学校とかどんな感じですか。

Mariko:
覚えてるのは、小学校1年生のとき。
今考えれば一番子どもらしいことをしたかもしれない。いや子どもらしくないか。
放課後の学校に忍び込んで、先生が机の中に保管してあったテスト用紙を盗むっていう悪事を働いたんですよ。
その時の担任の先生が私を叱るんじゃなくて、「こんなことするなんて、精神的に追い詰められてないですか?大丈夫ですか?」ってうちの親にそういう言い方をしてくれて。そこで初めて母親がゆっくり私の話を聞いてくれたんです。担任の先生が助けてくれたことがすごく印象に残っています。
あとは、小学校6年生のときに中学受験しました。親が言ったわけでもなく、何か自分は他の人とはちょっと違うんだ、みたいなことを何となく周りの人にアピールじゃないですけど、そういうふうに見せたかったみたいな気持ちがあって、突然親に地元の中学行きたくないから私立に行きたいみたいな事を言って、ちょっとだけ塾に通わせてもらって中学校は私立に行きました。

qbc:
勉強して入った中学校はどうだったんですか。自分にとっての環境として。

Mariko:
中学校2年の時には不登校になったんですよね。学校の居心地は別に悪くはなかったんですけど、取り立てて楽しい毎日でもなく。学校が遠かった分、通うエネルギーが途中で切れちゃって。結局3ヶ月間ぐらいかな。行くのが面倒くさくなっちゃって行かなかった、って感じでしたね。

当時親は仕事が忙しくて、ずっと休んでたことすら気づいていなかったかもしれません。お腹が痛くて休みたいって言ってたので、時々病院(内科)に連れて行ってくれることはありました。今みたいに「不登校」って言葉すらなかった時代なので。親も毎日必死で働いていて、私は基本家で一人テレビ観て過ごすって感じでした。結局家にいるのもつまらなくなって、また学校に戻ったっていう感じだったんですけど。
中3のときには、人と違うことをしてみたいっていう気持ちがまた出てきました。当時父親が勧めてきたこともあって、高校1年生の夏に1年間アメリカに留学させてもらいました。

qbc:
アメリカのどこですか。

Mariko:
アメリカのニューハンプシャー州っていうカナダとの国境沿いの、超田舎です。家の庭にクマとかヘラジカが出てくるような山奥でした。

qbc:
留学どうでした。

Mariko:
留学生活は充実してましたが、結構きつかったですね。全然英語も得意じゃなかったし、喋れないけど、とにかく違う場所に行きたいって感じで行ったので。
あとはニューハンプシャー州って99%白人みたいな地域だったので、アジア人に対する人種差別というか、学校の中歩いてるだけで野次が飛んでくるみたいなそんな場所だったのでそれもきつかったです。
あとは、数少ない中国人の友達が、私と同じぐらい英語が喋れなかったんですけど、正しいとか正しくないとか関係なしに、ひたすら喋りまくる子で、その子に強烈に憧れたっていうのはすごく記憶に残ってますね。こういう生き方がしたいなって思いました。その子は本当に自由で、人からどう思われるとか、自分が間違ってるかもしれないとかそういう恐れみたいなことが一切ない人で、その生き方に強烈に憧れて1年間過ごしてましたね。あとは、言いたいことも自由に言えない抑圧された環境で過ごしてみて、自分の親に対する感謝の気持ちが湧きました。嫌だと思ってた自分の家や家族がすごくありがたいなって。

qbc:
ご両親からはどのように育てられたと思いますか。

Mariko:
父は私に色々と期待していた気がします。母は、1人の人間としてちゃんと線を引いて育ててくれたような感じはありましたね。子どもだからとか一切言われたこともないですし、あなたが自分で決めたならそれでいいんじゃないって、いつもそういうスタンスでした。割と自由に育ててもらった気がしますね。

qbc:
大学はどうでした。

Mariko:
大学は2回行ったんですね。最初は高校で留学したこともあって安易に外語大に入ったんですけど、結局言語ってツールなので学問としては面白くなくて。中退して別の大学に入り直して、そこで心理学を勉強しました。

qbc:
就職は?

Mariko:
コンサルティング会社に新卒で入りました。

qbc:
人事コンサルですよね。

Mariko:
そうです。大手企業の人事担当者に向けて、社員の採用ツールの開発・販売とか、人事評価の制度設計するみたいな仕事でした。

qbc:
その仕事はどうでしたか。

Mariko:
すごく面白かったです。営業職だったので、1億円とか予算を背負って既存顧客のフォローから新規開拓まで大手企業を回っていました。ただ、数字で全ての評価が決まるってことが4年間やってみて全然フィットしなかったんですよね。1円でも多く取ってくる、みたいなことを言われても全然モチベーションが湧かなくて。4年経ったところで区切りをつけて転職したって感じです。

qbc:
で、教師になった。

Mariko:
そうですね、そこから12年間。

qbc:
なんでここで先生に?

Mariko:
両親が両方とも教員でした。大学で就活してるときに一瞬教員も考えたんです、教育実習も行ったので。そうしたら、父親がそのまま教員になるなんて絶対やめた方がいい、使えない教員まっしぐらだ、みたいな事をポロっと言ったんです。確かにそうかもって思って。1回民間企業で働いてみよう、それで気が変わればまた変えてもいいしっていうなんかそんな感覚でしたね。あとは母が根っからの教育者でした。特別支援学校で、生徒に噛まれたりケガしたり自分もボロボロになってめちゃくちゃハードなのに、子どもと関わる時は嬉しそうに楽しいって言いながら働いていて。だからいずれは自分も先生をやってもいいなと思ってました。

qbc:
結婚は何年ぐらいだったんですか。

Mariko:
結婚は、実は2回してるんですけど、最初の結婚が24から29までの5年間、教員になる前ですね。2回目は教員になって2年目かな。

qbc:
何か自分の人生を振り返って、転換点ってどこにあると思います?

Mariko:
転換点はやっぱり前の夫の逮捕だなとは思いますね。

qbc:
どうしてですかね。

Mariko:
今自分は幸せなのか、初めて自分と向き合ったっていうんですかね。今までは、何となく流れに乗って生きてきたんですけど、初めて本当に自分がやりたいって思えることを本気で選び取る生き方をしてる感覚というか。嫌なことがあったとき逃げ道探しながらこっち行ってみようって何となく生きてきたような気もするんですけど、そうじゃなくてこれが今やりたいからやってみよう。よしやるか!みたいに思えた。

qbc:
1回目の結婚のときは自由を感じられなかったですか。

Mariko:
最初の相手はすごく優しくていい人で何にも不自由はなかったんですけど、常に相手にもっとちゃんとしてほしい、自分のことを引っ張ってほしい、何かそんなことばっかり考えてて、全然相手に優しくできず。どんどん自分が嫌な人間になっていっちゃったのが1回目の結婚生活ですね。

2回目は真逆の人で、自分が尽くして尽くして、それで幸せを感じられると思って選んだら、とんでもない、自分がひたすら我慢する生活になっちゃって。当時の自分の心の在りようがロクでもなかったなって思ってますけど。

未来:大人でも子どもでもなく、真ん中に立つために生きてんだなって感じ。

qbc:
未来について聞いていきます。10年、20年、30年って最終的に自分が死ぬっていうところまでイメージしてどんな未来イメージしてますかね。

Mariko:
そうですね、いつ死ぬかわからないんですけど、死ぬときが来てもやることやりきって後悔せずに死ぬような感じがしてるのと、それまでに子どもの居場所になるような、子どもも大人もいろんな人が集えるような場所をつくれたらいいなっていう気持ちはありますかね。うん。

qbc:
それを思い描いたときに、実現可能性みたいなところで言うとどのぐらいですか。

Mariko:
何かやろうってこのまま思い続けてればやるんだと思います。あと何かしらの形で子どもに生身の形で関わることはしたいので、それがフリースクールみたいなものなのか、学校現場に戻ることなのか、その辺はちょっとぼんやりはしてるんですけど、そういう仕事は一生やり続けてる気がしますね。この先も。

qbc:
その子ども、子育てとか、子どもに関わるっていうのはどっから来てるかってわかりますか。

Mariko:
なんでしょうね、多分自分の使命みたいなものなのかなと思ってます。親の身勝手さで子どもが苦しむとか、多分過去の自分もそうだったんですけど、今まで関わってきた生徒、さっき言った亡くなっちゃった子とかも含めそういう子達を見てきて、自分がやらなくちゃいけないことだって自然と湧き出てくるものです。はっきりしたものはないんですけど、大人でもない子どもでもない真ん中に立つために自分は生きてるんだなっていう感じがすごくします。未来を描いたとき。

qbc:
人生の幸せみたいなものが、物質化して握れるみたいなものだったとしたら、掴んだのが40くらいだっておっしゃてて。そうじゃなかったときの握力ってどれぐらいで掴んでたんですかね。

Mariko:
全然なかったと思います。すごい握力で掴んでたんですけど、掴んでるもの自体はちょっとどろっとしたというかふわっとしたっていうか、なんかあんまり実態のないものをものすごい力で掴んでいたような感じですかね。
今はなんかちゃんとそこに存在してる感覚があります。これだったのかっていう。

qbc:
じゃあ掴む力は変わってない?

Mariko:
変わってないと思います。掴んでるものが違うだけで。

qbc:
たどり着けたのは、いろんなことをしたからなのか、それともタイミングだったのかってどう思います?

Mariko:
タイミングかな。いや、でもいろんなことで苦しんでもがいてたから見つかったのかなっていう気はしますね。
最初に自分がコーチングと出会った時のきっかけも、当時夫との関係が最悪で、我が子にも手をあげちゃうような追い詰められた状況で、どうにかしなくちゃいけないと思って勉強し始めたのがきっかけなので、やっぱり自分の今の現状をどうにかしなくちゃ、みたいなところがいつも何かきっかけにはなっていたかなと思います。

qbc:
人生経験は今のライフコーチに生かされていますか。

Mariko:
はい。別にここまでハードな生き方しなくてもいいでしょ、って自分でも思いますけど、だからこそ(他の人の苦労が)想像がつくこともあるので。そういう意味では、逆にこれを生かせる仕事って他に何かあるかなって、これ以外にちょっと思いつかなかったっていうところもありますかね、うん。

qbc:
もしもの未来の質問っていうのをしていて、もしも、幸せを実体化させてるのが、20歳のタイミングだったら、どんな人生になったと思います?

Mariko:
なるほど、20歳でこの幸せの状態だったらってことですね。20歳でそれが来てたら、幸せであるっていうことにあんまり気付かなかったかもしれないです、ちょっと答えになってないかもしれないですけど。幸せって究極のところ「無」だなって最近思っていて、それって20歳では気づけないし、平凡な毎日だな、みたいなそういう捉え方しかできなかったかもしれないです。比較するものがあるから幸せを感じられるような気もするので、結局自分で苦労しにいってたと思います。20歳で幸せを掴んでいたら。

qbc:
今パートナーを探すとしたらどんなタイプの人がいいですか。

Mariko:
そうですね。ああしてほしいとかこうしてほしいとか、私に変わること望むような人は難しいなと思うんですよね。私も相手に変わることは1ミリも望まないし期待もしないので、同じスタンスで何かただそこに存在してくれてるだけで幸せだなって思えるし、そう思ってくれる人だったらいいのかなって。本当に漠然としてますけど、ただただそれに尽きるかなって感じですね。

qbc:
これはその当たってる当たってないはともかくとして、幸せなるための条件、環境とか、それって何ですかね。

Mariko:
幸せになるための条件は、自分で自分を愛することですかね。

qbc:
愛とは何かっていう話になっちゃうんですよ。

Mariko:
そのままを受け入れるって感じだと思います。自分のここが嫌いとか、こんなことしてた私が嫌とか、そういうものを全て手放して、今いるありのまんま、そのまんまで何も感じない。もうそれでいいじゃんって、スッと思えることが愛なのかな。自分をそういう状態で受け入れられたらもうそれだけで幸せな気がしますね。

qbc:
質問の角度を変えると、今の状況ってなんの気持ちが引かれたんですか。過去に比べて今この感覚ってほとんど感じないとか。

Mariko:
1つ確実になくなったのは、今までの生き方は、苦労しないとダメだっていう信念がありました。苦労は買ってでもしろ、みたいな。そうじゃないと人としてダメになるんじゃないかっていう恐怖心みたいなのがあって生きてきたんで、進んで面倒くさいことに巻き込まれに行くっていうか、敢えて物事を悲観的に捉えるみたいな生き方をしてきてたんですけど、それがなくなりました。だからもう今はやりたいように自分の思いのままにただやればそれで幸せになれるから大丈夫だよ!って思えるようになった感じですね。

qbc:
なるほど。ここまで来るのに長かったですか短かったですか。

Mariko:
体感では長かったですね。

qbc:
不要だったと思います?必要だったと思います?

Mariko:
必要だと思います。起こるべくして起こって今の自分がいるだけだっていう感じですね。なんか不要な意味づけはもうしないで生きてこうって感じです。

qbc:
個人的な質問なんですけど、人生楽しいっていったときに、20代と40代って人生どっちが楽しいと思います?

Mariko:
ダントツ40代だと思います。

qbc:
不安がってる20代がちょいちょいいるんで。みんなあんまり言わないじゃないですか。

Mariko:
そうですね、最高に楽しいと思いますけどね。お金払っても20代に戻りたいとは思わないです。そのときはそのときでやっぱり先が見えないとか、あの独特の不安感ってやっぱ苦しいですよね。若さはあるけど、何ができるわけでもない感覚。本当はそんなことないと思うんですけど。

qbc:
落ち着かなさね、怖いですよね。感受性も鋭かったと思うし。

Mariko:
そうなんでしょうね。だからいい意味でどんどん鈍くなっていくんですごい楽ですね。

qbc:
鈍感であることって割とプラス。

Mariko:
いや本当、最強だと思います。うん。

qbc:
ありがとうございます。最後の質問ですね、最後に残した言葉で遺言でも読者メッセージでもインタビュー独り言でもいいです。最後に残したことがあればお伺いしています。

Mariko:皆さんの幸せを願ってますっていう感じですね、自分も含めて。幸せになりましょう。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

人生は迷路だなって思った。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:むん】

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