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【駐夫インタビュー001】北脇さん@アメリカ合衆国

駐在夫、略してちゅうおっと。
へーそんなのあるんだ、って感じですよね。あはは。
びっくり。
駐在員になるとき、ビザの関係で、例えば夫婦の片方だけ働けるビザだけど、もう片方は働くビザじゃなかったりとか、そういうものになるんですって。わかります? アンド知ってました? 私、知らなかった。半世紀知らなかったよ、、、。
なんかおもしろそうだしインタビューしよう! と思ったのだよね。今回は。

で、今回のインタビュアーはMrプラーさん。
ご本人もタイで駐在夫されています。
Mrプラーさんのインタビュー聞いて、秒で追加インタビュー決定したんですよね。
これがそのインタビューたち。

https://note.com/unknowninterview/n/ne85ab8710709

ちうわけで、今回の枠組みは、駐夫が駐夫にインタビューするという建付けです。
わかります? そうです。近い環境にいる人同士で、自分たちの環境のユニークさを確認していく試みというわけです。
人を通して自分を知る、自分を通して人を知る、という。
遊びのような、社会にとって良いかもしれないような、この取り組み。
Mrプラーさんが自ら手をあげて、インタビュアーやりまっす!!! と宣言してくれました。
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 北脇 さんです!

年齢:40代後半
住んでいる国:アメリカ合衆国


現在:ぶっちゃけた話で言えば早く帰りたいなと思ってますけど。

Mr.プラー:
まず一番最初の質問が、この駐夫インタビューはやっぱり日本から離れてっていうところになりますんで、今どの国にいらっしゃいますか。 

北脇:
アメリカです。アメリカのシアトルにいます。 

Mr.プラー:
ありがとうございます。今何をされていますか。 

北脇:
まあ、一言で言ってしまえば駐夫をしてます、ということになります。 

Mr.プラー:
はい。 どんな感じで過ごされてますか。 

北脇:
ですね。どっから行こうかな。1日のスケジュール的なところで。

Mr.プラー:
そうですね。1日のスケジュールを教えてもらえたら。 

北脇:
そうですね。朝、いつもちょっと早起きして5時に起きて、家族の朝ご飯と、子どもが今ミドルスクールに通ってるんですけど、お弁当を持参するスタイルなので、お弁当を作って朝送り出します。  詳しいことは後で話すかもしれないですけど、今年ですね、いろいろな思いがあって社会保険労務士という資格を取ったんですね。
今年合格したばっかりなんですけど、子供が学校に行っている時間はですね、知識のメンテナンスというか復習をしていたり、今駐在というかこちらに来て5年目なんですけど、もう少し英語できるようになりたいな〜なんていうのを思っていて、英語の勉強してたりします。

Mr.プラー:
なるほど。お弁当っていうのはもうあれですか。もう5年間作られてきた。 そんな感じですか。 

北脇:
そうですね。 はい。 ずっと私が作ってます。 

Mr.プラー:
どうですか。今お弁当を作っていて、どんなお気持ちですか。 

北脇:
いやもう慣れてるのでそんなに苦でも何ともなくて、食事の支度をするということについては、もう10年ぐらい結婚してから、子どもが生まれる前からやってたので、苦でもないですね。 なんか割と楽しい。
最初の頃なんかプラモデルみたいなの作るのと同じ感覚で、何か食べたいもののレシピを調べてきて、必要な材料を調べて、どうやって作ったらいいんだというのを調べて、何かしら完成して、食べれるものができたらそれがちょっとした喜びになってて、割と料理好きなんだなというふうなことに気がつきましたね。結婚してからなんですけど。
そういう状況だったので、 そうですね。 食事の支度はそんなに苦ではないですね。  

Mr.プラー:
アメリカの食生活を教えてほしいんですけど、お弁当を作るのに日本とは違うせいで苦労した点とか、逆に全然大丈夫だよとかそんなんありますか。 

北脇:
アメリカってご存知だと思いますけど国土がとても広いので、住んでる場所によっては食材入りにくいみたいなところあるかもしれないんですけど、シアトルは海岸沿いで港町なので、日本の食材も結構手に入るんですね。 日系のスーパーとか、アジア系のスーパーとかっていうのがあって。
もちろん日本にいることと比べたら、手に入らないものもたくさんありますし、値段的にちょっと高いので毎日毎日和食っていうわけにはいかないんですけど。 
1ヶ月間、何か作るものを被らないように回すぐらいのことはできますね。 

Mr.プラー:
なるほど、 あと今ですね、この駐夫されていて、今どんな気持ちでお過ごしになってますか。 

北脇:
ぶっちゃけた話で言えば早く帰りたいなと思ってますけど。

Mr.プラー:
早く帰りたい。 その理由とは何ですか。 

北脇:
子どもが今は小学校5年生なんですが、大きくなってきて、そんなに手かからなくなってきて、これからもっともっと成長するともっと手がかからなくなるわけですけど、未来永劫ずっと駐夫をしてようとか専業主夫でいうことは思ってなくて、社会復帰というか仕事にも復帰したいなと思ってるんですね。
そうするともうちょっとあんまりこういう言い方好きじゃないんですが仕事してないブランクの期間がもう5年近いんですよ。 年齢も50、来年の4月で50になるんですけど、このまま何もしてないともうはっきり言って定年が見えてしまうような年なので、できるだけ早く日本に帰って、社会復帰したいなみたいなことは思ってる。 

Mr.プラー:
なるほど、わかりました。 

北脇:
はっきり言ってしまって全然海外に興味なかったんで、最初の頃は生活すること自体がとても苦痛でしたけど、もう5年もいるんで、生活には慣れてしまってただ生きてるだけだったら全然いいんですけど、もう腹くくってもう死ぬまで専業主夫しますみたいなことだったら全然いいんですけど、ちょっとそうではないので、はい。
帰りたいなというふうに思っています。

Mr.プラー:
ちょっと深掘りさせてもらって、最初5年目で大体いつぐらいから慣れたなとかってありますか? 現地に慣れたのは。

北脇:
どのくらいかな。ちょっと特殊な事情というか、私2019年の6月にこっちに来たんですね。 

Mr.プラー:
はい。 

北脇:
で、2020年の1月からコロナがワーッと広まったじゃないですか。 アメリカの国内って何て言うんだろ、州によって対応まちまちだったんですけど、私の住んでる州はですね、外出禁止令が出たんですね。 
どういうことかっていうと、家にいて、人と接触しないように家にいてください。レストランとかの外食産業、キャンプ場、ゴルフ場、その他何でもいいんですけどそういうエンターテイメント施設、子どもの習い事もみんな禁止になっちゃったんですよ。 
そうするとですね、娘の通ってた学校もリモート授業。 出かけていいのは、仕事に行く人、仕事するなとは言えないので、オフィスワーカーはオフィスに行くとことができます。あとスーパーとか薬局とか医療関係ですね。さすがにそれ止めちゃうとみんなが生きていけないみたいな、エッセンシャルワーカーとかっていう言い方してましたけど、そういうところは開いてます。ということだったんで、人と接触するのは、2年ぐらいなかった。なんかちょっと2年は言い過ぎなんですけど、そういう厳しい制限があったので、慣れる前にいろんなものがシャットダウンされて、世間から隔離されてしまいましたみたいな感じだったのでちょっと慣れるのにちょっと時間かかりましたね。 
2年、3年、3年目ぐらいかな。なんかやってけるかなみたいに思えたの。 

Mr.プラー:
この3年目ぐらいのときって何か変化とか、これが変わったなっていうのってありましたか。 

北脇:
これが変わったな。ちょっとだけですけど、簡単なボランティアですけど、割とアメリカの学校って、両親、親にボランティアしてくださいみたいのが来るんですね。 

Mr.プラー:
そうなんですね。

北脇:
うん、来るんですよ。例えば私がやってたのは図書館、学校の図書館で返却されてきた本を棚に戻すっていう。別にボランティア募集しなくてもいいじゃないかみたいな話なんだけど、なんかそういう簡単なボランティアを募集したりするんですよ。 学校のPTAの運営に関わってくださいとか。

Mr.プラー:
はい。 

北脇:
日本でいいますと、学校の前の旗振り当番みたいなやつですかね。 日本だと持ち回りで当番でやったりすると思うんですけど、ボランティアでやる人を募集したりするんですね。 
その中で私は図書館や片付けをするボランティアをたまたま募集してたので、それぐらいのことだったらやろうかなと思って、ついでに学校での子どもの様子を見れたりするんで、それもあって応募して、1年だけだけどそのボランティアを始めて、そうですね。
3年目ぐらいのときには、さっき言ったコロナの規制がまだ何か残ってたような気がするんですけど、だいぶ緩くなって、人と人との集まりも解禁されて、なんか集まりごとというか、何なんだろう。 みんなでバーベキューしましょうとか、できるようになってきて、ちょっと上向いてきたかなっていう感覚になれたのが3年目ぐらいかな。はい。 

Mr.プラー:
ありがとうございます。 駐夫での友人関係ってのはどうですか。 

北脇:
友人関係というのは。

Mr.プラー:
そうですね。アメリカに行くと、奥様やお子様は学校とか職場とかで同僚とか、クラスメイトがいて、友人ができていくじゃないですか。 

北脇:
はい。

Mr.プラー:
駐夫ってなかなか友達作りってどうなのかなっていう、個人的な質問なんですけど。

北脇:
あー、なるほど。 そうですね。この駐夫の会のおかげで、このグループの中でシアトルに住んでる方が私の他に、日本に帰国したり別の場所に引っ越したりはしてるんですけどトータル、のべで言うと、4家族くらいいるのかな。

Mr.プラー:
そうなんだ。 結構いるんですね。

北脇:
そうなんですよ。 多い少ないは別にして、知り合ってすぐ帰られてしまった人もいるし、しばらくしてからニューヨークの方に引っ越しされた方もいますし、逆に日本から後から来られた方もいるので時期は被ったりしていないかもしれないんですけど。
そういう繋がりであったり、あとはもうちょっとそうだな。友達って言ってもあとは娘の学校とか習い事とかで顔を合わせるお父さんお母さんとか多少お話する人はいますけど。 腹を割って、何ていうんですかね、 日本の学生時代の頃からの友達だとか、会社の同僚とかで仲良くしてもらった人とか、っていうようなそんな深い付き合いにはちょっとなかなかならないんですね。ちょっと表面的といえば表面的です。

Mr.プラー:
なるほど。

北脇:
だけど、それで特に何か、そうだな。 最初の頃はちょっとだいぶ困ってたけども、なんかそういうのにも慣れてしまいますよね。 

Mr.プラー:
確かにそうですね。いろんな環境にも慣れますよね。 

北脇:
こんなもんかみたいになってしまいますよね。

Mr.プラー:
なるほど。ありがとうございます。

過去:楽しいこと。何だろうな。楽しいこと。子どもの成長かな。 

Mr.プラー:
次は過去のパートっていうのをちょっと聞きたいなと思っていまして。 

北脇:
はい。 

Mr.プラー:
どういう経緯で駐夫になったかっていうのとか、その経緯とか、パートナーとか子ども、周囲の身近な人の反応とかそういうのも含めて教えてもらえたらなと思うんですけど。

北脇:
はい。 駐夫になる少し前にさかのぼりますけど、子どもがですね、生まれたときに妻が1年間産休を取ったんですね。 1歳になる年の4月から、今度は私が育児時短を取って、保育園の送り迎えとかするようになったんですね。 2年間ぐらい育児時短したんですけど、それで子どもの面倒を私がメインで見るように途中からなってた、ていうのが前提にあります。
その後、フルタイムに復帰して3年ぐらいしてから、海外駐在の話が出ました。そのときは妻の方もどうしても海外駐在を受けたいと、行きたいということで、ちょっともう強引に話を進められてしまったので、逆にそうするとパートナーである私の方はどうしようかということで困るんですね。
そのときに1人でいろんなことを悩みまして、帯同側の皆さん、同じことを悩むのかなというように思いますけど、選択肢として、私だけが日本に残って、妻と娘がアメリカに行くと。もう一つは反対に私と子どもが日本に残って、妻だけ単身赴任で行くとか。もう1つは現実的に選んだ選択ですけど、私が会社を辞めて、駐夫になってこっちに来ると。アメリカに来るという選択肢があります。
妻が1人で単身赴任でっていうパターンにすると、当時子どもが結構なママっ子だったんですね。私も育児時短をしてた経験があって、ママがいない生活をするのはちょっとつらいなと。私がお世話するのもつらいですし、子どもの何かメンタル的な負担という意味でもつらいなと、いうように思っていて、その選択肢はちょっと選びにくいなと思ったんですね。
逆に妻が子どもをアメリカに連れて行くという選択肢をすると、当時日本でずっと暮らしてたので子どもは英語できませんと。ちょっと人見知りなところのある子なので、それはそれでなんかいきなり海外の日本語の通じないところに放り込まれてしまう。家に帰ってきてベビーシッターさんを頼むにしても、英語になってしまうとなると、かわいそうだなというふうに思ったんですね。 
3つ目の選択肢は私が会社を辞めるっていう選択肢なんですけど、当然それをすると、私自身がキャリアアップどころか仕事そのものも失いますし、収入も失いますし、いつ日本に帰ってくるかもわかんない。それに対してもすごく抵抗ありましたけど、なんか子どものためには、私が会社を辞めるのがいいのかなっていうのと、妻がだいぶ強引だったので、なんて言うんですかね、自分さえ我慢すればそれで、丸く収まるんならもうそれでいいかっていうような、ちょっと諦めに似た気持ちも当初はありましたね
だから何か積極的にというか、前向きな気持ちでこっちに来たわけでは全然ないですね。 はい、来た当初の経緯はそんな感じでしたね。 

Mr.プラー:
ありがとうございます。 周囲の人、会社とか、そういうみんな会社とか周りの人の反応はどうでしたか。 

北脇:
そうですね。 育児時短をしたときにいろんなこと言われたんですよ。
2通りあって。 直属の上司にはですね、「男のくせに何だ」と。「みんなと同じ時間働かないやつに良い評価を与えてやるわけにいかない」と。

Mr.プラー:
なるほど。

北脇:
「周りの目もあるから、えこひいきしたみたいな、周りの人間が不公平に感じるような評価はしてやれない」と。その当時ですね、たまたま近々定年退職になる管理職の方がいたんで、「北脇くんをその後釜にしてやろうと思ってたんだけど、残念だ」と。「本当にいいのか」というような文脈で言われたんですね。まあ、私のキャリアを心配してくれたと受け止めてますけど。 
また別の方なんですけど、その年に定年退職だったと思うんですが、役員の方でまた全然違うこと言われたんですよ。 その方曰く若い頃は深夜まで働いて、週休2日じゃなくて土曜日も半日働くっていうのが昔のスタイルだったと思うんですけど、平日は深夜まで働いて、土曜も仕事に行って、日曜日は家帰って寝てるだけだったと。
「一生懸命働いたこと自体は後悔もしてないし、役員までこれて、これはこれで良かったんだけど、子育てに全く関わらなかったことについてはすごく後悔がある」っていうふうにおっしゃったんですね。「今の北脇くんのような選択をできる世の中に変わってるのはす私はすごくうらやましい」というふうにその方をおっしゃおっしゃいました。 
そうですね。その会社の人、2人ともだいぶ年上の上司なんですけど、でもいろんなものの考え方があるんだなというふうに、そのときに思いました。
日本の会社ってやっぱり男性が長時間働くことを前提にいろんな仕組みができている。 評価制度もそうですよね。 そこも何か世の中変わってきたんだから変えたいな、変わるといいななんていうふうにそのときに思いました。 

Mr.プラー:
はい。

北脇:
それが社会保険労務士、人事系の資格に興味を持つきっかけの1つでもあるんですけど。 

Mr.プラー:
なるほど。そういうことだったんですね。

北脇:
うん。 そんなことで、先にもう時短を取ってたので妻の海外転勤について「僕会社辞めます」って言ったときにあんまり驚かれなかったですね。 

Mr.プラー:
そうなんですね。なるほど。 

北脇:
もう何ていうんですかね。 もう実績があるんで。 うん。 その時フルタイムになって3年目だったので、そのときの上司なんか優しいソフトな人だったんで、なんて言ったかな、「部下を持つ立場にしてあげようと推薦しようと思ってた。」とかっていうのはぼそっと言われましたけど、前述の2人よりはもう全然ソフトな、「ああ、そう」っていうような感じでしたね。 うん。 

Mr.プラー:
この周りの反応、会社の反応を聞いてどう思われます?

北脇:
あんまり何かこれといった感想はそのときなかったかな。他にも何人か内々に、本当に辞表を出す前に何人か報告をしましたけど、たまたま若い頃からお世話になってた方が定年退職するタイミングで、その方と「同じタイミングで辞めることになったんだね、昔は楽しかったね」みたいな、思い出話みたいなことはあちこちでありましたけど。

Mr.プラー:
はい。 

北脇:
何かこれといった反応も特になかったように思いますね。やっぱりもう時短を先にやってたので、この人はそういう考えの人なんだなっていうのはなんかみんな思ってたのかなと思います。 

Mr.プラー:
なるほど。実際駐夫で5年前に来られて、そのときの感想っていうか行く前と来てからはやっぱだいぶ気持ち違うじゃないですか。思ってたのと違うとか、そのときの気持ちはどうでしたか。 

北脇:
すごい落ち込みましたね。なんていうか、そもそも仕事してないっていうこと自体にものすごい違和感あるじゃないですか。皆さん一緒じゃないかもしれないですけど、私はすごくあったんですよね。
やっぱり会社に行けば、それなりの自分の役割とか責任とかあって、そのときに何か問題になってたり課題になったりするようなことがあって、ある程度ここを目指してやっていこうねっていうような目標があったりして、自分が何か主体的に関わって責任を持ってやるっていうことが発生すると思うんですけど、それが全くなくなるっていうとなんかすごいポカーンとしてしまいましたね。
なんていうか、「なんかもう何もやることがないんだけどどうしよう」みたいな、ポカーンとしてしまう時期が結構ありましたね、こっちに来てから。もちろん娘の送迎とか、まだその頃5歳とかなんで、空いた時間で家で遊び相手になってあげなきゃいけないとかそういうことあるんですけど、やっぱり何か自分自身の責任として何か責任を負って何か主体的に頑張るってことが全くなくなるっていうのはすごい違和感ありましたね。

Mr.プラー:
すごいわかりますね、はい。 

北脇:
うん。 あともう1つこれもわかってたことですけど自分自身の収入がなくなるっていうのも、なんていうんですかね、すごく違和感があって。例えば何ですかね、食材とか買うとか、家賃払うとかっていうことは、妻が払ってくれることに対してそんなに抵抗はなかったですけど。
私ゴルフ好きで、たまに行くんですけど、そういう遊びに行くお金とか、洋服でも何かちょっとした道具でもいいけど何か自分のものを買うっていうことを、なんか妻の財布からお金を出してもらって自分の物を買うっていうのは、ドロボーしてるような気分ですごい抵抗があって、今でもありますけどね。 それはすごくストレスでしたね。 

Mr.プラー:
それは今でもだいぶ大きいストレスですか。 

北脇:
私は割とストレスですね。 だからなんか、安物しか買ってこないです。 

Mr.プラー:
それは分かります。なかなかね、お金を自由に使えないことのもどかしさってのはすごく感じますよね。 

北脇:
ちょっと息抜きで遊びに行くお金をいただくことについては、だいぶ慣れてきましたけど、うん。 なんだろうな、何かちょっとしたものを買おうって気が起こらなくなってしまうんですけど。

Mr.プラー:
そうなんすね。そこで過去から現在にかけて話を聞いて、もしお金に糸目がないっていうか何でも買っていいよっていったら何が欲しいですか。 

北脇:
そうだな。何が欲しいかな。そうだな。服とか、あと自分用にカスタマイズしたゴルフクラブですかね。それなりにお値段がするものっていうと。うん。 

Mr.プラー:
ゴルフはどれぐらいの頻度でされるんですか?

北脇:
月2回ぐらいかな。大体。

Mr.プラー:
日本のときもゴルフはされてたんですか。 

北脇:
してましたけど。ゴルフされますか?

Mr.プラー:
私もちょっとだけします、はい。 

北脇:
うん。 日本の場合って、一緒に行く人を何人か集めて、いちいち予定を立てて予約をして、車で1時間とか2時間かけて行くじゃないですか。 

Mr.プラー:
そうですね、はい。 

北脇:
大体1万円、ちょっと今のお値段いくらぐらいかわかんないですけど、相場は1万円とか1万5000円かまあまあ値段がかかる。アメリカって土地が広いので、家の近所30分ぐらいのところにゴルフ場10か所ぐらいあるんですね。 

Mr.プラー:
すごいですね。 

北脇:
お値段もですね、ちょっと最近、インフレで値段だいぶ上がっちゃったんですけど、為替相場もちょっと円がだいぶ弱くなってしまったんですけど、それでも1万円しないんですよ。

Mr.プラー:
なるほど。いい感じですね。 

北脇:
来た当初なんか3000円くらいで回れたので、結構回れましたし、予約なしでふらっと行って1人で回れるんですよ。 

Mr.プラー:
あ〜、いいですね。 

北脇:
もちろん友達と行くこともあるんですけど。そういうなんかゴルフするにはやたらといい環境が整ってるので、割と手軽に行けるので月に2回ぐらい行きますかね。 

Mr.プラー:
いいですね。 今ね、実際にアメリカで5年住んでて、一番楽しいことって言ったら何を挙げますか。 

北脇:
楽しいこと。

Mr.プラー:
はい。

北脇:
楽しいこと。何だろうな。楽しいこと。子どもの成長かな。 

Mr.プラー:
子どもの成長。 

北脇:
なんか自分どうこうっていうよりも。

Mr.プラー:
それはなんで楽しいと思いますか。 

北脇:
来た当初ってやっぱり小さかったのもあって英語も喋れないので、学校に行くたびに送り迎えを私がしてたんですけど、教室まで連れて行くと、もう泣いてしまってどうにもならない。ある時、帰りの時間に迎えに行ったときに学校の玄関で泣いて、先生に手を取られて出てきたんですけど、なんでって聞いたら、アメリカの学校ってスクールバスあるじゃないですか。 

Mr.プラー:
はい。 

北脇:
スクールバスで帰る人と親がピックアップで連れて帰る人がいるんですけど、うちは歩いてすぐ学校にいける距離だったっていうのもあるんですが、 私がトコトコ歩いて迎えに行くんですね。 
学校の中で「バスの人はこっちだよ」っていうふうに誘導する人がいて、こっちこっちって呼ばれたんだけど、子どもは私が迎えに行くの知ってるから「私はそっちじゃないんだ」っていうのはわかるんだけど、それをまだ言葉にして伝えることができなくて、連れてかれそうになってどこに連れて行かれるかわかんなくて、不安で泣いてたんですね。 

Mr.プラー:
なるほど。 

北脇:
それをまた私もろくすっぽ英語喋れないもんだから、やっぱり拙い英語でGoogleTranslateを頼りながら一緒に出てきた先生に伝えて、理解してもらって、っていうようなことがあって、だから最初の頃ってそういう、何だろう。 子どもの世話をしてればいいというだけではなくって、言葉が通じない人と、私もですし、子どももですし、これどうしたらいいんだろうっていう。今のエピソードは1例なんですけど、そういうことはちょこちょこあって。
そういうところから今5年経って、今年の夏、一時帰国したときに私と子どもと2人で過ごす時間があったんですけど、ちょっといろんなスケジュールの都合で、2人で過ごす日々が1週間ぐらいあったんですけど、ラーメン博物館に行ってみたり、動物カフェみたいなところに行ってみたり、2人で結構楽しく過ごしたんですよ。子どもなんかすごく嬉しそうに付いてきてくれて、他にも日本語補習校の宿題をもらったときに、「やったから見てほしいんだ」とか、「わかんないとこあるから教えて欲しい」というのを自分から言ってくるようになったし。5年前来た当初からするとすごく成長したのが感じられて、それがなんか一番嬉しいというか。
なんていうか自分自身もちょっと子育てに苦しい思いをしたんで、なんかうまくいってよかったなというか、子どもの成長をそばで見守れて、元気に楽しく過ごしてるのがすごく、楽しいことばかりではないかもしれないですけど、なんか良かったことですね。 

Mr.プラー:
なるほど。実感がこもってますね。 

未来:やっぱり子孫を残して育てていくっていうのは、なんか、なんですかね。うまくいくと本能的に、なんかいいですよね。 

Mr.プラー:
現在過去というパートで来まして、次は未来のことについてお聞きしていきたいんですけど。 

北脇:
はい。 

Mr.プラー:
これからどうしていきたいとかありますか。 

北脇:
そうですね。 この自分の過去の5年10年ぐらい経験してきたことで言うと、仕事をしてたとき世の中、働き方改革だっていう、法律がすごくたくさん変わった時期に法務部にいたんですね。 
なんていうか、女性活躍だとか、男性ももうちょっと何か育休取って子育てしましょうみたいなことで、法律がすごく変わった時期に法改正の対応を会社でやってたんですよ。
会社のルールを変えるとか、 法改正の中身を社内で説明するだとか、そういうことをやってて、自分自身もこういった時期に育児時短を取り、会社を辞めてこっちに来たり、子育てをしたっていう経験もあって。 
日本で仕事に復帰することを考えたときに、社労士の資格を取ってそういうことができるところで働きたいなというような思いになってて。 
あともう1つはやっぱり言葉の通じないところで生活するっていうことの大変さがとても身に染みてるので、これもちょっと社労士の仕事の一環ではあるんだけど、日本で働いている外国人の方のフォローするようなこともできるといいかなとか、試験合格したといっても、事務指定講習っていう講習を受けないと本当の意味では社労士になれないんですけど、その講習もまだ受けられる状況にないので、どうやって自分がやりたいって思ってることをサービスとして形にできるかなということを考えていたり、まあそういう感じですね。
仕事復帰というか社会復帰をどうやったらできるかなということを結構考えてますかね。 

Mr.プラー:
これは例えばもう帰国時期ってもう決まってるんですかね。

北脇:
決まってないです。 

Mr.プラー:
今5年目ですけど、6年7年アメリカにいる可能性もあるっていう感じですか。

北脇:
そうですね。 

Mr.プラー:
なるほど。 未来に関して自分の職業観はすごいはっきりしたものをお持ちだと思うんですけど、例えばあと何年後まではいるけど、何年後以降はもう日本に帰るとか、そういうのありますか?

北脇:
来年、25年か。26年には帰ろうかなっていうのは何となく思ってますけど。

Mr.プラー:
あと2年後ですね。

北脇:
うん、我慢して2年かなというか、うん。 

Mr.プラー:
それは何でですか。 

北脇:
そうですね。1つは先ほど言った社労士の講習が、確か10月に申し込み開始で、1月から7月ぐらいまでの間にその講習を受けるんですね。 講習期間が半年ぐらいあるんです。 申し込みの期限もそこの10月から11月の間にかけてっていうところしか申し込み期間がないので、そこを目指して帰ろうと思ってるんですよ。 

Mr.プラー:
なるほど。 

北脇:
帰ったとして諸々準備、ちょっと開業するって確定ではないですけど、仮に開業しようとすると講習に半年、準備にも半年かかる。1年は多分ほぼ収入ねえな、準備期間があるな、っていうような感覚なので、早く帰れるに越したことはないんですけど。
っていうのと、今子どもが小学校5年生なので、6年生、中学1年生の春とか夏とかぐらいには帰るのがちょうどいいかなっていうような、何となく思ってるっていう。
まだちょっとぼんやりした感じですけど。

Mr.プラー:
未来についての話って、ご家族、特に奥様と共有はされてますか。 

北脇:
一応この前こう思ってるよっていう話をしました。 

Mr.プラー:
向こうの反応はどうですか?

北脇:
妻はですね、アメリカにできるだけいたいんですね。 なので黙って聞いてましたけど、実際やろうと思ったら一悶着あるかなっていうような。

Mr.プラー:
もし一悶着があったらどうされますか。 

北脇:
強引にでも帰りますね。 娘を連れて。

Mr.プラー:
娘さんや奥さんとですか?

北脇:
ちょっとめちゃくちゃかもしれないけど私は強引に帰ります。 

Mr.プラー:
お子様は奥さんの方と一緒にという感じですか。 

北脇:
子どもは物心ついた頃ぐらいからもずっとこっちなので、日本の小学校のイメージ、日本の中学校のイメージって全くないんですよ。 

Mr.プラー:
そうですよね。

北脇:
うん。 なので、多分日本に帰りたいかどうかっていうふうに聞いてもなんかちょっとわかんないと思うんですよね。 

Mr.プラー:
そうですね。 

北脇:
うん。なので友達、単純に友達と離れるの嫌だからできるだけこっちにいたいっていうのか、日本に帰ってもいいかなっていうのは、ちょっとわからないんですよね。 そのときになってみないと。

Mr.プラー:
なるほど。

北脇:
うん。3人で家族みんなで帰るよって言えば「ふーん、そうか」ってなると思いますけど、ちょっとそこは難しいですよね。 子どものことを強引に済ますのはちょっとあんまり良くないと思うので。

Mr.プラー:
そうですね。

北脇:
その妻と私だけの関係だったらね、どっちも大人だからもう強引に「もうあんたの好きにすれば」って言ってもいいですけど。

Mr.プラー:
なるほど。大体今の未来が1年2年後の話だと思うんですけども、例えば、だいぶ先の10年とか20年後とか死ぬまでに何かこれをしたいなとかそういう希望などありますか。 

北脇:
はい。 なんかあんまり考えてなかったけど、そうですね、やっぱり子どものことですかね。駐在なのでいずれ日本には帰るんでしょうけど、帰ったときに日本の学校に慣れてるかなとか、日本の場合って高校大学進学の受験戦争みたいなことがあるけど、大丈夫かなとか。
子どもはもう英語も日本語も立派なバイリンガルになってるので、高校は親元から通うだろうなと何となく思ってますけど、早い人はね、中学から寮に入ったりして、親元離れるんでしょうけど。何となく高校ぐらいまで親元にいて、大学以降は海外の大学に行きたいっていうんであれば、もうね、そのときに本人の好きにすればいいかなというように思ってますね。
そこまで行けばね、妻の方もやっぱり海外で暮らしたいっていうんだったらどうぞご自由にって。10年ぐらいしたら一家離散してるかもしんないですけど。 

Mr.プラー:
人間いずれ死ぬじゃないですか。そしたら、死にたい土地っていうか、やっぱ最後はこの土地に住みたいとかそんなんってありますか。 

北脇:
そう、そうですね。私関東で育ちで、こっち来る前は東京都内に住んでたんですけど、両親も都内にいるんですね。なので死ぬときには、東京か、ちょっと気が変わって、もうちょっと田舎の方にいるかもしんないですけどいずれにしろ日本のどこかで余生を過ごしたいなと思いますね。 

Mr.プラー:
日本にいたい、やっぱり海外は嫌だっていうそういう感じですか。 

北脇:
そうですね。 嫌というよりは、なんかやっぱり何か落ち着けないんですよね。

Mr.プラー:
そうですね。何もしなくても落ち着く環境はやっぱり日本にはありますよね。 

北脇:
いやなんか温泉はあるし、ね、何でしょう。 外食でも宿泊でも、とてもサービスいいですし。 とても穏やかに過ごせると思うんですよね。 

Mr.プラー:
ありがとうございます。 気がついたらもう50分経ってまして、あっという間なんですけど、最後の方のまとめとして、読まれた方へのメッセージでもいいですし、何か自分が言いたいこと言い足りないことでも何かあれば言っていただければと。

北脇:
そうですね。こういう生き方をする人、多分日本ではとても珍しい部類の生き方をしてると思うんですけど、特に男性ですね。 仕事は大事ですし、それでご飯食べてくわけですからとても大事なことなんですけど、それと同じぐらいやっぱり子育てを大事にしたらいいかなっていう、特にこれから子育てするような年代の人の1つの参考になるといいかなと思います。 うん。 

Mr.プラー:
ありがとうございます。最後のコメントもすごく人となりがすごく出ますね。すごく面白いですね。 

北脇:
いや、そうですね。なんか、なんすかね。動物的に生きててよかったって感じがします。 子育てを一生懸命するっていうことについて。
肉食動物の雄のように他の動物を襲ってご飯を取ってくればいいっていうようなもんではないと思うので。仕事をして生活の糧を得て、子育てもするっていうのがなんか人生観として生きてる感じがしますね。 

Mr.プラー:
面白いですね。このフレーズみたいな感じで考えて、いろいろお話を聞いていて、子育てっていうのもすごい大きなキーワードだと思って。 北脇さんにズバリ、子育ては何ですかって聞きたいんですけど。

北脇:
何ですか、子育てって何ですか。 何だろう。 何だろう。何ですか。 なんだろう。 何だろう。難しい質問ですね。 

Mr.プラー:
難しいですよね。何でもいいです。 

北脇:
動物としての本能を満たしてくれる。

Mr.プラー:
かっこいいですね。 動物としての本能を満たしてくれる。どんな本能を満たしてくれますか。 

北脇:
いや、なんていうか、ご飯を食べたり寝たり、何か三大要求に近いような感覚ですけど。 やっぱり子孫を残して育てていくっていうのは、なんか、なんですかね。うまくいくと本能的に、なんかいいですよね。 

Mr.プラー:
ありがとうございます。

Mr_JellyFishJones (@MrJellyjone4692) / X

あとがき(インタビュアー)

 駐夫という存在についてどういったイメージをお持ちになられましたか?
仕事をしなくていいなぁと思われる方、今はいいけど日本に帰ってから大変そうだなと思われる方、色々だと思います。
 はじめまして、プラーです! 私もちゅうおっとです、私のインタビューはこちらに、、、

「駐夫」という言葉も6年前ほどにジャーナリストの小西 一禎さんがパートナーの海外赴任に帯同する形で新しく作った言葉だそうで、まだまだ世間には浸透していない言葉なので、それ自体にはあまり意味はないのかもしれません。
駐夫インタビューを通して、この言葉に色んな意味を与えていこうと思う第一回目のインタビューでした。

 私、プラーの感覚としては、家族構成や娘の年齢など共通項が多く、共感するものが多かったインタビューでした。また、何を聞いていけばいいのかと不安に思っていましたが、聞きたいことが次から次へと溢れてきました。まだまだ聞きたいことがあっただけに、自分の質問力のなさを反省しました。でも、駐夫インタビューのスタートが切れたことで、ぼんやりですが、こういう質問をしていこうという方向性がつかめました。ありがとうございました。

クリスチャンの私から言葉を送ります。
日本への帰国が、家族円満で達成されることをお祈りしております。

あとがき(編集)

タイピングで「ちゅうおっと」と打ちすぎて、ついに「駐夫」の漢字変換が自動的に出てくるようになったMeadowです!アメリカ文学専攻のわたくし、薄ぼんやりと「米国在住ってどんなだろう」と思っていましたが想像以上に過酷ですね。私はあと数年、日本で無印良品のマカロニアンドチーズを食べながらコツコツ貯金する他ないようです。アメリカのゴルフ場の草原(meadow)を思い描きながら…(なんちゃって)。

真面目な話、個人的にはアメリカってものすごく面白いんですよね。若い国だからこそ、そして人種のるつぼだからこそ、アメリカを知ることは世界を知ることに直結すると思っています。
でも日本の居心地の良さが話題になった時は思わず深く頷いてしまいました。
またインタビューを聞いていて思い出したのは高校時代に渡米した先輩の一言。「やっぱり日本がいい…トイレにウォシュレットがついてるから」。それはそうだ!!

記念すべき駐夫インタビュー第1回、遠いアメリカの地からのご参加ありがとうございました!
いつか悲願の帰国を達成されますことをお祈りしています。

【インタビュー:Mr.プラー】

【編集:meadow】

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