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絶対今後何があっても自分は幸せな人

私は今年45歳に今年なります。この無名人インタビューを始めたときには、42歳でした。後厄でした。
厄年のときに仕事を退職することになり、左眼は白内障になり、当時好きだった人(付き合ってないけど)と一緒に働いてメチャ喧嘩して嫌いになり、転職活動しながら、Youtubeでずっと東海オンエアを見ていました。ずっとです。ずっと。当時、すでに最盛期をやや過ぎていたかと思う東海を。今まで見たことなかったものを見ようと思って、ずっと、日暮里の部屋で一人で。ずっとずっと。
ずっと、ずっと。ずっと。
ずっと。
ずっと。
ずっと。
それはそう。だいたい私は、こうして新しい自分の知らない興味分野を知っていくんです。
そういう身上の私ですから、インタビューに参加するまぶしい若者たちを見ると、最初は気おくれしていました。学生社長や、学生活動家や、積極的に行動する人たちを眺めて、眺めてるうちに、でもだんだん慣れてきてしまいました。
慣れちゃったんだよね。自分の若い頃とは違う生活を送っていた人たちとも、ぜんぜん何にも考えずに話せるようになってしまいました。
ふう。というか、無名人インタビュースタートは42歳で、会社を退職したのは40歳じゃない? むちゃくちゃな記憶錯誤だな。
面白いよね、自分の人生の記憶に飽きない。忘れてしまえば人生は何度でも楽しめる。あわてんぼうのサンタクロースみたいな存在に、無名人インタビューもなりたいなって思ってます。さあ今日も、お読みいただければ幸いでございます!!!
【まえがき:栗林康弘/qbc(無名人インタビュー主催)】


今回ご参加いただいたのは あるく さんです!

現在:なんか丸い形に近づいてきてるフェーズにいるなと思います、自分が。

qbc:今何をしている方でしょうか?

あるく:今は、大学生です。

qbc:どんな大学生でしょうか?

あるく:自分の中でいうと、なんか丸い形に近づいてきてるフェーズにいるなと思います、自分が。

qbc:丸の前は何だったんですか?

あるく:今までは自分で自分を持て余してる感覚みたいなのがずっとあって。自分のことはすごい好きだけど、でも自分で自分を乗りこなせないなとか、この波どうしたらいいんだろうみたいなのがずっとありました。
他の人に対して、「この人良い意味で、綺麗な丸に近い人だな」みたいなのを思うことがあったりして。でも自分はそうじゃないなって思ってたのが、最近少しずつ自分との付き合いが分かって、自分もちょっとその丸みたいなのに近づいてきて。自分とうまく手を繋げてる状態だなっていうフェーズにいる大学生です。

qbc:なるほど。大学では、何を勉強されてるんですかね?

あるく:大学はリベラルアーツを取り入れてる大学なので、私の大学の人たちは何専攻してるんですかっていうのにいつも答えられないってのがありますね。

qbc:大学には、そのリベラルアーツしかないんですか?

あるく:そうですね、国際教養学部しかなくて。国際教養っていうものが何かそもそもリベラルアーツ、いろんな学問を文系理系関係なく広く学ぶみたいな感じなので。

qbc:リベラルアーツのいろいろある中で、一番自分の中で興味持ってるのってどの辺りですかね?

あるく:それも全然専攻が決まらないまま、私、留学に行きかけてるんですけど。
ちょっと興味あるなと思ったのは、宗教とか、あとジェンダーとか。自分じゃどうやったって完全には理解できないんだろうなっていう部分に、結構興味あるんだなと思いました。

qbc:完全に理解できないって、どんな感じ?

あるく:他の先輩と喋ったときに、「世間体って言う神を信じておきながら、君はまだ無宗教だって思ってるの?」とか言われたりしているんですけど、一応私は無宗教だと自分は思ってて。
その中で、結構自分の中で印象的だったのは、高校の倫理の授業のときに、「人間が本当に絶望するときっていつだと思う?」みたいなのを先生が聞いたんですよ、みんなに。そのときに、ある程度他の人は私でも結構浮かんだなみたいな答えが出た中で、1人の子が「自分が信じてた神がいないと知ったとき」って言ったのがスッゴイ強烈で。
その子の家が元々、宗教が他の人よりも身近な家庭で育ってて。多分その子自身は宗教を凄く信仰してはいないけど、そういう世界は他の人よりも近くで見てきた、みたいな子がそれ言ったときに自分はとてもびっくりして。
私は、いないって言われたときに絶望する神もいないし、その子が言ってる意味は本当の感覚ではわからないんだろうなみたいなのがあって。
何かこういう感覚ですかね。その人のその状況とかは、多分一生かけてもわかんないんだろうなっていう。わかりたくないとかではなく、その人が考えてること体験したことは私じゃそのまんまは理解できないんだろうなってことで。

それこそジェンダーとかも、私はマイノリティじゃない、割とメジャーな方で異性愛者だから、実際自分の性が他の人と違ってカテゴリーされることとかが、どういうことなのかとか全く想像つかない。本当の意味では理解できないんだろうなみたいなのを、ちょっと興味があるのかなと思ってます。

qbc:なるほどね。ちなみに自分がマイノリティだなって思うときってあります?

あるく:それも、自分はマイノリティだなって思うことが最近あまりなくなってきてるっていうか。ある程度社会に受け入れられるために頑張れる人間だなっていうのがあって。
割と今までの人生、周りからちゃんと愛を受けてきたなとか、割とどんな環境に行っても周りとコミュニケーションをとって、ちゃんと受け入れてもらうために頑張れはするのかもって感覚があって。
でも、そういうある程度周りに迎合できて、幸せですみたいな人の話って面白くないじゃないですか。日本人って、特にそういう明るい「幸せです!」みたいな感じに拒絶反応がある気もするから。どんどん面白くない人間になっちゃってるのかなって思ったりとかしてます。

あと、就活とかある程度周りに合わせて頑張らないといけないってなったときに、自分の周りは、そもそもの就活っていうシステムに対してめっちゃ怒ったりとか、それっておかしいんじゃないですかとか結構反発できる中で、私は多分自分でそっちに合わせていけるっていうか、ちゃんとその中で評価されるように頑張れちゃう人間で。
これって自分は幸せだけど、何かこの生き方どうなんだろうなと思ったりしてます。

qbc:なるほど。ありがとうございます。学校以外にしてることっつったら何ですかね?

あるく:学校以外だと、今一番自分の中で大事にしてるのは映画サークルを立てようって動いてます。インスタグラムで、映画を通してその人を知りたいみたいな活動をしているのが自分の中では大きいです。
あともう1個は、東北地方の大学生が集まってずっと1 on 1するみたいな団体に入ってるのと。
あと学校の中でも、学生団体みたいな感じで高校生のプロジェクト支援みたいな団体をやったりっていうのが今はメインです。

qbc:映画サークルは具体的にどんなことをされてる?

あるく:映画サークルは、学校内で私は毎週映画を見ているからいつでも来たいときにおいでみたいな感じでやりたいなと思ってて。
あとはさっき行ったような、思い出の映画一本についてのお話からその人自身のお話を聞かせてもらう、そして次の人にバトンを繋げてもらうっていうのをやってます。
でも今一番私がやりたいなと思ってるのは、全国にある映画サークルって、映画作って自分の部内とか新歓で上映するだけで終わっちゃってるところが割と多いので、それを集めて大学生による大学生のオンライン上映会をやろうと動いてます。

qbc:性格はどんな性格だと思います?

あるく:この前、一言で自分の性格まとめてくださいって言われたとき、「愛と矛盾を一緒に抱きかかえた人です」と言いました。
人が好きっていうのが自分の中では大きい性格、っていうかアイデンティティかなと思います。

qbc:愛の部分は、人を好きってこと?

あるく:そうですね。

qbc:矛盾は?

あるく:上手く表現できないんですけど、映画サークルの話で例えちゃうと、一番最初はそもそもこの世の中にぶっちゃけなくても生活成り立っちゃうよね、でもあったら嬉しいよね、あったら絶対人生が変わるよねみたいな、映画とか本とか、そういうものを大事にしたいなっていう思いで始めて。

特に私の大学の人たちって、結構いろんな団体とかを掛け持ちして勉強もして、こうあるべきみたいなのがあって、みんな忙しいんですよ。常にミーティングしたりとかそういうのが大好き。大学には、結構ちゃんとした勉強みたいな、なんとか支援とかサークルが多くて、私がふらっと入っていけるサークルがあんまりなくて。

じゃあ私1人ぐらい、そういうぶっちゃけなくてもいいけどあると嬉しいものを大事にして、いつ来てもいいし何もしなくてもいいみたいなサークルを立てようと思って始めました。なのに心のどこかでずっと、自己満になるんじゃないか、このサークル立てること自体が自己満で偉そうなことなんじゃないか、映画の話を聞いたりするのもただ自分の自己満で何もならないんじゃないかとか、このサークル立てて人が集まらなかったりイベントして人が集まらなかったりしたら恥ずかしいんじゃないかとか。
最初は全然評価されること求めてないはずなのに、どこかでちゃんと自分を攻撃してて。目指したい姿と、目指さないでいて罪悪感を感じる姿と、現在の姿がそれぞれ矛盾したりとかっていうのが結構ずっとあって。それで「愛と矛盾を抱きかかえた人です」って言った記憶があります。

qbc:今、なんかこういう人になりたいとかあったりします?

あるく:もっと実力がちゃんとあって味わいのある人間になりたいなと思います。

中学生のときに、ニューヨークに家族で行って。ニューヨークのタイムズスクエアとか普通のオフィス街みたいなの歩いたときに、楽しいとかすごいとかよりも先に自然に、この世界のトップに行くには、これだけの人よりも何か秀でてるものがないといけないんだって。こんだけの人がいて、これだけの人よりも上に行かないといけないんだっていう、恐怖みたいなのを感じたのを感じて。
多分私はもっともっと何か頑張りたい、もっといろんな人に会って、凄い人達にちゃんと認めてもらえる人間になりたいっていうのがどこかであるんだなって感じるので、いろんな人と会った時に、自分の力に引け目を感じず堂々と話せる人間になりたいなと思ってます。

qbc:なるほどね。好きな食べ物は何ですか?

あるく:好きな食べ物は、ソフトクリームとかの上にかかってるカラースプレーわかります? なんかあのパラパラっていう、あれをめっちゃ好きで。主食にしてるとかじゃないんですけど。普通に好きな食べ物はご飯と麺と野菜なんですけど、好きな食べ物って聞いて浮かぶのが、そのカラースプレーで。

qbc:あれカラースプレーって名前なんですか?

あるく:そうです。あれが乗ってるとめっちゃ嬉しくなります。

qbc:そんなに出会わなくないですか?

あるく:そうなんですよ。でも、ソフトクリームとか私あんまり好きじゃないんですけど、同じソフトクリームなのにカラースプレー乗ってるだけでめっちゃ好きで食べれるっていうので、カラースプレーっていつも言ってます。

過去:高校まではみんなに励ましてもらってなんとかなってて、逆に、自分で自分に対する「大丈夫だよ」を信じれない状態。周りの人に助けてもらって励ましてもらって、やっと大丈夫なんだな頑張ろうと思えるけど、まだまだ自分の力を全然信じれなくて。

qbc:子供の頃はどんなお子さんでした?

あるく:自分で自分を持て余してたみたいな感じでした。
人間関係が何か難しかったなって思います。

qbc:人間関係で難しかったってどんな感じだったんですか?

あるく:これもすごい一例になっちゃうんですけど、周りのことに結構気付けたりとか、あと今までもずっと共感力が人よりも高いねみたいなのを言われることがあって。それもあってか、この人そんなこと言われたらこんな気持ちになるのになんでみんなこういうことするんだろう、こういうこと言うんだろうみたいなとか、自分に対してなんでそんなこと言うんだろうみたいなのを感じて苦しいみたいなのがありました。

中学校って結構はっきりグループがあると思うんですよ。
すごく覚えてるのが、別のグループの女の子が1人以外全員休んじゃったことがあって。その子が1日1人でいないといけないみたいなのを見たときに、貴方が行ってあげなよ、声かけてあげなよみたいなのを言われて。確かにその子は寂しいだろうし、一緒に動くのはいいと思うんですけど。でも私だけがお世話係っていうか、私だけが気を使ったりしてその子のためにそっちに行きなよみたいな感じで。私だけがお世話して来なよみたいな感じになったときは、やり方も言い方も何か理解できなくて。
みんなで一緒にとか、もっといろいろな方法とか声かけの仕方とかあるのに、なんでこんな方法とってこういう言い方をするのか。今考えたらスッゴイちっちゃいんですけど。そういう価値観が合わなくてモヤモヤするなあっていうのがずっとあって。何か苦しいな、面倒くさいな、傷つくなみたいなのがあったなと思うんです。

でも、私の人生、割とずっとアップグレードされているっていう感覚で。やっぱり中学生のときは小学生のときよりもずっと楽しくて、「今」が一番楽しいなみたいなの感じだったんで。「今が楽しい」がもっと長く続いてる高校生とか、大学生の今から見たら、やっぱりすごくしんどかったなとか、苦しかったなっていう感じですね。

qbc:なるほどね。クラスの中にいた外にいたって言ったら、どこら辺にいたと思う? 物理的には教室に座ってると思うんですけど、精神的にはどこにいたと思います?その時自分が学校に対してですよ、その学校カースト制度みたいなの全然関係なくて。自分の中で、学校に対しての心理的距離はどうでした?

あるく:なるほど、自分にとって。
ずっと学校は自分にとって近い存在ではあるかもしれない。ずっと苦しかったけどずっと楽しかったな。

qbc:小中高と別に離れていったりはしなかった?

あるく:全然、むしろすごく近づいていきます。

qbc:そうなんですね。なんかもう人間関係自体、距離を取ろうみたいのはなかったんですね?

あるく:そうですね。人間関係うまくいってなかったり何かトラブルがあったりとかではないけど、人間関係なんだか苦しいなってことはずっとありました。それでも、どんどん人間が好きになっていったし、距離を取ろうってのはなかったですね。出会った人のおかげで、今はもっと人を知りたいって気持ちが強くなっています。だからInstagramで色んな人に出会いたいって動き続けてるし。
もしかしたら誰かをずっと探してるのかもしれないとも思ったりします。人は好きだけど、どうしても苦しくなってしまう時もあるから、自分が安心できる人、尊敬できる人、そんな誰かを無意識に探し続けてるのかも。

qbc:ただでも、悩んだりすることもあったってことですね。

あるく:めちゃくちゃありました。もう感情が激しすぎてめちゃくちゃ学校で泣いてたりとかしてました。

qbc:激しいって、どんなときに昂ったりします?

あるく:他者比較から逃れられなくて、誰かや何かと比べて落ち込んだり、感情を動かしすぎたりしてました。高校ぐらいまでは、自分に対して、受験とか成績とか、そういうどうしても戦わないといけない感じの他者比較が強くて、ずっと。
そういうので、自分に対する不安みたいなのが激しくて。怒りとかいうより漠然とした不安みたいなのがめちゃくちゃ強くて。泣いて毎回いろんな人に励ましてもらったりとかっていうのがあります。

qbc:高校のときも泣いてた?

あるく:高校もめちゃくちゃ泣いて。高校は凄く楽しかったのに、ちゃんと思い返すと結構泣いてたな。そんなめちゃくちゃじゃないんですけど全然泣いてました。不安だったりして。結構感情を外に出しちゃうタイプなので。

qbc:なるほどね。20年の人生ですけど、それを3つに分割するんだったら、最初の変化が起こって、第1章が終わるのはいつ?

あるく:絶対高校って言うかなと思います。

qbc:そうすると、第2章は終わってます?

あるく:はい。大学でまた全然変わったので。私の人生的には産まれてから高校まで、高校から大学まで。で、大学から今って感じかな。

qbc:第2章はもう高校3年生みたいなもの?

あるく:そうですね。で、その第3章もちょうどまた新しく終わって最近始まったなっていう感覚ですね。

qbc:なにがそれぞれ違うんですかね。

あるく:高校の人たちの存在が自分の中で大きくて。そこで自分の、他の人に対する今の考え方、動き方のベースが作られたからかも。私が持て余してた自分っていう人間に対して、自分以上に、大切に扱ってもらったって感覚がずっとあって。自分以上に自分の人生を諦めないでくれたなっていう感覚で。
その高校のときに出会えた人だったり先生だったりから、ちゃんと明確に愛してもらってるなって思えたので人の信じ方みたいなものをなんとなく見つけた感じがする。

また話ずれちゃうんですけど、その人と一緒にいないときでも「きっとどんなときでも、この人は自分のことちゃんと大事に思ってくれてるな」とか「自分の安心と安全を願ってくれてるな」って信じられることが私の中の一つの愛の定義で。
だから私もその人の安心とか安全を願うっていうことが多分私なりの愛情表現なんですけど。そういうふうに考えるようになったのは多分高校2、3年で出会った人たちのおかげって思った。っていうのがあって。

qbc:何か具体的にあったんですか? 愛してもらえてるなって思う出来事っていうのは。

あるく:すっごく小さいことの積み重ねなんですけど。高校生で受験とか色んな不安なことがあって、緊張したり泣いたりしてたけど、思えば、1人で泣いてたときないなって思って。
絶対誰かが一緒にいてくれて、私のためだけに待ってくれてたりとか、帰ってからも電話してくれる人がいたり。先生も私のためだけに個室みたいなのを用意してくれたりとか。それが何か1人とかじゃなくて、本当にクラスみんなが、私もすごく好きだったし私もすごい大事にしてもらったなって感覚が、すごい勝手なんですけど自分にはあって。
学校歩いてても何か声かけたくなる人がいろんなところにいてっていうのが、すごい自分の中で幸せで。それがすごい幸せだったなって感覚があります。

qbc:なるほど。大学選びはどんな感じだったんですかね?

あるく:大学選びは、やっぱり英語とか国際系っていうのが一番大事で。本当に私何かを決断するのが苦手なので、大学調べを全然やらなくて。調べた感じどこも同じ見えるってなったときに、とりあえず偏差値高いところだったら勉強してる中で選択肢狭まらないだろうと思って偏差値上の方だった国公立大学を2つ選んで。で、どっちも絞れない、もうどっちの受験勉強もして、で、受験して合格した方に行こうと思ってて。でも奇跡的にどっちも受かったっていう感じです。何か全然決めれなかったなって感じ。

qbc:でも決めたわけじゃないすか。どういう風に決めたのか、言える範囲ので言っていただいてもいいですか?

あるく:これも自分の中でいろいろあるんですけど、多分1個目は、その選んだ方の大学で出会った先輩方が自分的にかっこよくて、こうなりたいなって思ったりとか。入ってから感じたのは、この大学に入りたかったんじゃなくて、その先輩方みたいな人間になりたかったのかなって。
あともう一つは、私の地元って結構みんな札幌か東京に行くんですけど、高校まではみんなに励ましてもらってなんとかなってて、逆に、自分で自分に対する「大丈夫だよ」を信じれない状態。周りの人に助けてもらって励ましてもらってやっと大丈夫なんだな頑張ろうと思えるけど、まだまだ何か自分1人の力を全然信じれなくて。で、じゃあ1回ちょっと離れて、1人でこの大学に行って自分だけの力をもうちょっと考えようかなって思ったりとかもあったし。
あと、なんとなくお母さんがこっちに行って欲しいって思ってるんだろうなって、ちょっと感じたりってのもあったりとか。結構いろいろぐちゃぐちゃって考えて、ここにしました。

qbc:なるほど。その選択はどうでした? 

あるく:今必死にこっちでよかったって思ってもがいてるときですね。自分の中で、こっちでよかったって思わないとっていうのが、大学の1、2年生は大きいテーマでした。それが特に1、2年生しんどくてしんどくてって感じでした。

qbc:なるほど。過去一番苦労したなって思うことなんですか?

あるく:大学1年生が人生で一番しんどかったなと思います。

qbc:なんで?

あるく:色々重なって。なんとなく私の大学にあるのは、いろんな団体やって、いろんな活動をやって、学校の勉強も頑張ってっていうのが理想みたいな価値観。それに対して自分で、「いや、自分はここまで頑張ってこうしよう」とか、「こういうふうになりたいから自分はここまで」みたいな基準が何もなくて、周りに合わせようと必死で、人と比べたりして。
もともと私が他者比較がものすごく強かったのもあって、大学入って、もっと都会とかでいろんな経験を積んだ人たちと一緒の環境で、周りが色々頑張ってるのを見て比較したのもあったり。

自分も何かしようと思って、インターンとかを始めたんですけど、学校の勉強とインターンの両立ができなくて苦しかったり。

自分の中でその高校生のときの友達が大きい存在だったんですけど、その子たちと喧嘩をしちゃって、距離ができてなかなか会えない中で、やっぱりコミュニケーションがうまくいかなかったりとかして、それもすごいしんどくて。自分がもしこっちに来てなくてちゃんとみんなと同じように東京に行ってたら、変なコミュニケーションの取り方もなくて仲良いままだったかもしれないのに、ちゃんと大事できなかった、みたいな思いも大きくて。

大学生活に対して想像とのギャップにぶちあったったり、大事にしたかった色々なものを大事にできなかったりして、「みんなから離れてこっちに来て本当によかったの?」って考えてしまうのがずっと苦しくて。
もう、そういういろんなものが一気にガーって重なったのが大学1年生で、間違いなく一番しんどかったなと思います。

qbc:なるほど。インターンはどんな感じだったんですか?

あるく:やったこと自体はSaaS系のスタートアップの会社でやらせてもらって。本当に良い環境で、その会社の人たちも私みんな大好きで、っていう環境だったのに、そこを続けられなかった。一応数ヶ月間続けたんですけど、一旦お休みっていう形で離れちゃって。そうなっちゃったってのも「自分できないんだ」っていうのを進めたり。
大学で、朝一番最初から図書館にいて一番最後に図書館から帰るみたいな子が、私が途中で離れちゃったインターンを始めたっていうのを聞いて、私以上にもっと色々なことをやってる子でもできてるのに、私は何もできないんだみたいなのも考えてたりとかして苦しいです。

qbc:東京行った友達とは、どういう喧嘩したんですか?

あるく:喧嘩自体の中身は結構小さいことだったと思います。
でも、今回の成人式で、それが全部仲直りみたいな感じになって、今は連絡取りあってて。去年まで距離が出来ちゃった間もずっと苦しかったんですけど、自分の中で後半は、もしかしたら今はあの人たちと関わる時期じゃないのかもしれないとか、自分が苦しくならない意味づけとかはできてて、自分の中でうまく消化できてたんですけど。
そこで終わりじゃなくて、めっちゃふとしたきっかけでその子から連絡がきて、仲直りして今普通に戻ってることで、今直面してる問題とか苦しさって、何年とか時間をかけてでも、こういうふうに自分が思ってなかった解決の仕方するんだっていうのに気づいてからすごい今自分の中で生活とか気持ちが楽になって。この経験が今は大きいですね。

未来:私未来のことを考えて進んでいくっていうよりは、後ろを度々振り返って、それに意味づけして人生をかみしめて幸せになるタイプなので、目の前のことだけに必死で。

qbc:未来はどんなイメージをもっていますか? 最終的に死ぬぞっていうところまで見据えた上で、未来ってどんなイメージですか?

あるく:スケジュール管理とか将来のことを考えて、とかがめちゃくちゃ苦手なので、細かいこと全然考えてないんですけど。

途中までは自分で自分に対する大丈夫だよが信じれなかったのが、今では自分との付き合い方がわかって、自分で自分のことをちゃんと信じれるようになってきたので。絶対今後何があっても自分は幸せなんだろうなってのは思ってますね。
だから何するとかは全然ないけど、多分ずっと楽しく生活してるんだろうなっていうのをぼんやり考えてます。

qbc:明確にそれはいつのタイミングで自信を持てるようになった?

あるく:やっぱり本当に最近ですね。

qbc:丸っていうイメージは、なんで丸っていうイメージですかね?

あるく:理由があるわけじゃないんですけど、大学んときに人と喋ったりとかしてて、この人綺麗な丸、いろんなバランスが取れた綺麗な立体的な丸だなって、感覚で思うことがあって。っていう感じで本当に何の理由もないですね。

qbc:何か将来ここに住みたいなとか、ここにいたいなみたいなのあります?

あるく:それも全然ないんですね。就職も何となく東京なんだろうなとか思うんですけど、東京がいいではなくて。多分場所とか環境よりも、自分が誰と出会ってその人とどういう関係でいるかっていうのが多分自分の中での幸せなので、そこで出会えた人のこと自分がちゃんと愛せたら私どこでも幸せなんだろうなって。

qbc:今年、年内にこれだけはやっときたいなみたいなことって、もう何かあります?

あるく:年内は、やっぱり映画サークルの、他の大学の人たちとのイベントをちゃんと形にしたいなっていうのが、自分の中で目標です。
本当に初めて「自分がやりたいって思ったことをやっていいんだ」とか「やりたいって言っていいんだ」って気づいて。
始めた動機が自分の「やりたい」が主体だった経験って以外にあんまりなくて。それがこの映画の活動は、やってるときもこんなに楽しくていいのかなって感覚。この経験私だけがしていいのっていうぐらい自分でやっててずっと楽しいっていうのが、本当に人生で初めてなので。Instagramの活動はちゃんと大事にしていきたいなって今思ってます。

qbc:20代は?

あるく:本当に目標とか立ててないんです。今気付きました。

qbc:目標立ててるからすごいっていうのは全然なくて。今、20代のうちにしておきたいことって言われたら?

あるく:それは、いろんな人に会いたいなっていうのが一つの軸ですかね。

qbc:その会いたいっていうのは、知ってる人に会いたいんですか?

あるく:色んな人に「出会いたい」です。私、新しい人に出会うのが本当に好きなんだなって大学で気づいて。いろんな人にもっともっと出会ってもっと知りたいなって。これを軸に大学生活を送るんだなってのはあります。
私、未来のことを聞かれるっていうよりは、多分後ろを度々振り返って、意味づけして人生をかみしめて、それで幸せを見つけるタイプなので、常に目の前のことに必死で。楽しいを積み重ねて振り返って、ずっと楽しいをアップデートしてるなって気づくタイプで。未来を見てないです。

qbc:なるほど。とはいえ、瞬間瞬間の判断基準があるわけじゃないですか。右に行くのか左に行くのかっていう。そのときに基準にしているものっていうのは、言葉にできますか?

あるく:すごく難しいな。でも「自分の可能性を狭めないように」みたいなのがずっとあって。
あと、先輩に「君ほど世間体っていう神を信仰してる人はいない」みたいに言われるぐらいに、客観的に見たら、周りの人の考えに左右されてるなって結構思うことがあって。
それこそ留学先とか決めるときも、名のある大学とかを選ばないといけないみたいのかも、どうやって決めたらいいんだろうとか。みんなは旅行したいとかこれが学びたいとかがある中で、自分はやっぱりレベルの高い大学に行きたいみたいなのがあって、そこから逃れられなくて。
で、最初はそれがコンプレックスでつまんない生き方してるなって思ってたんです。他者から評価されたりとか偏差値とかって、今これだけダイバーシティとか多様性とか言われてる世の中で、もう逆行するっていうか。

かっこ悪いよって言われたりもしたんですけど、多分自分は他者から評価されたいんじゃなくて、私が考えられないような、思いもしなかったようなことを考えてる人に出会いたいってのが多分……そっか、そうですね。私、自分が考えられないことを考えてる人に出会いたいんだ! 今、気づきましたね。
それがあるから、何かその評価されたい偏差値が高いところに行きたいっていうこと自体が目的なんじゃなくて、やっぱりすごいなと尊敬できる人にいっぱい出会いたいからある程度何かの基準に頼っちゃうっていうか、そういうことを考えてるんだなって。別に何か引け目を感じることじゃないんだなっていうのも最近感じました。

そうだ、私そうですね、いろんな人に出会いたいって、私が理解できない、私じゃ思い浮かばなかった人にいっぱい出会いたいんですね。気づきました。おかげで。

qbc:よかったです。受身でそれを選び取ってるか積極的に自分で考えて選んでるかはまた別の話なので。偏差値って言っても別に実利があるからめっちゃいいじゃんと思うんです。実益的な他者から評価されてっていうのはその自分で選び取ってるんだったら。なんとなく母親の言うこと聞いてそれとかじゃなければ全然、アクティブです。盲目のままにっていうよりかは。

あるく:そうですね、何か悩みながらも自分で進んではいるな。確かに。

qbc:タロットカードで質問を決めてるんですけど。今デビルの正位置が出たんで、すげぇカード出たなと思って。

あるく:どういう意味なんですか、それ?

qbc:いや、悪魔、悪魔。
確かに悪の話ってなかったなって思って。常に光の世界に生きてたみたいな話あったじゃない。で、どう悪について考えるんだろうとは思いましたね。

あるく:マジョリティーとかまではいかないけど、自分はそのときそのときを楽しんで生きてるわけじゃなくて、振り返って楽しかったって噛み締めてるタイプの人生なんですけど。最初に言ったようにそういう話って、特に日本人あんまり好きじゃないんだろうなって感覚がずっとあって。
だからこの話、自分はすごい幸せだけど、どんどん面白くない人間になってるのかもしれないっていうのが最近の恐怖です。あれ、でもまた他者の考え方というか、他者の価値観に左右されてるな。

qbc:自分が面白いってのはどんな?

あるく:確かに。私自分のこと面白くない人間だなとか思うんですけど、面白いって何なんですかね。

qbc:具体的に面白い人ってこういう人でしたみたいなのが思い浮かぶんじゃないですか?

あるく:教養のある面白さのある人。
でも、私の中の面白いって。もっとちゃんと考えてみようと思います。自分に対しても人に対しても面白さというか味わい深さを気づいたら求めるんですけど、感覚ですよね。何なんだろう。

qbc:なるほどね。最後に言い残したことがあればお伺いしておりますが、いかがですか?

あるく:instagramのアカウントを見守ってほしいです~~

qbc:ありがとうございます。

あとがき

歴史学者のカーが「歴史は繰り返さない。ただし韻を踏む」ってことを言っていたかと思うんですけど。
これになぞらえて、私は、「人間は同じではない。ただし韻を踏む」と思うんだ。
ということで、このインタビューですね。今回のインタビューをしながら、別の人のインタビューを思い浮かべていたということだ、私は。

フレーズのニュアンスは違うけど、言っている意味は同じだよね。
ともあれ、
「歴史は繰り返さない。ただし韻を踏む」は、
「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」で、
言ったのはマーク・トウェインらしい。
(まあそれも定かではなく怪しいという指摘もあるが)。
ともあれ、
似てるからと言って同じ人生にはならない。人生に意味なんてないが、人生に意味があると思って他人の生き方を見つめることに一定の楽しさはある。
自分の人生と引き比べたり、別の人生と比べたり。まあ、そればっかりで日が暮れる、てことばかりは続けられないんだけれども。
でも、そういうあれこれ比べっこの時期があるっていうのも、まああ、人生には必要があると思うよ。人生の踊り場っていうかさ。
エアーポケットというか。森の中にぽっかり生まれた樹木のない空間とかさ。
そこに人間み生まれるでしょう。
では良い明日を。

【インタビュー・編集・あとがき:qbc 】

【文字起こし:生きにくい釘】

【編集協力:mii】

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