峯澤典子 Noriko Minesawa

詩集に『微熱期』(思潮社/歴程賞)、『ひかりの途上で』(七月堂/H氏賞)、『あのとき冬…

峯澤典子 Noriko Minesawa

詩集に『微熱期』(思潮社/歴程賞)、『ひかりの途上で』(七月堂/H氏賞)、『あのとき冬の子どもたち』(同)等。詩集や連絡先などについてはnote内「プロフィール」の記事をご覧ください。 旧ブログ(過去の記録):https://uncahier.blogspot.com/

マガジン

  • 読むこと、書くこと。【日々のメモ 2024】

    その日ふと思ったことや好きなもの。 読んだ本の数行などを写す「メモ帳」として。 いつも持ち歩いているノートのかわりに。 ひとつの微風くらいの気軽さで記録。

  • 【エッセイとお知らせなど】

    エッセイや詩に関するお知らせ、記録など

  • 詩を読む。

    日々読んだ詩集や、好きな詩についての書評・感想など。

  • 【連作 エッセイ】詩の日誌 「抽斗の貝殻のように」

    詩や詩作の周辺や日々思うこと。大切なものたちをめぐるエッセイとして。不定期更新中。

  • 詩作品

    noteに載せた詩作品をまとめて。

最近の記事

ひとり旅にはない地図(新しい詩誌のこと)

 以前、このnoteにも書いた。今年は個人誌を作ろうかな、と。  この2年くらいの間に書いた詩に、新作を合わせて小詩集にしてもいいかも……とも考えた。  その本の完成までの経路も想像できた。  ある一つの停車駅を目指して、わたしは小さなコンパートメントにひとりで座っている。長時間の移動にもかかわらず、乗車する人もあまりなく、知り合いに会うこともない。  自分の内側の言葉の振動だけを感じる静けさのなか、窓の外を眺めれば、ひと気のない広場や小さな川や丘、家々の壁や教会の塔など、

    • わたしの投稿時代のこと

       2023年6月号から始まった「現代詩手帖」の選考委員の仕事も無事に終わり、いま、最後の対談合評のテープ起こしの原稿を確認しているところ。  人の詩を読み、選ぶという作業は、自分にとっての詩とは何かを改めて考える時間でもあり、選びながらつねに自問していました。ほんとうによい経験だったと感じています。  投稿してくださったみなさまと、わたしにはない鋭く柔軟な視点で作品の良さを引き出し、冷静かつ温かい選評をいつも書かれていた山田亮太さん、そして毎月的確かつ迅速にサポートしてくださ

      • 姿を消した本のこと(斎藤史の一首とともに)

         数年前、詩集以外の本を一緒に作りましょう、と提案してくれた人がいた。  何かの企画を一緒に、とお声がけいただくことはあっても、そのすべてが実現するとは限らない。依頼する方とされる方の都合が合わなかったり、進めるうちに考えの方向が分かれてしまうこともあるから。    あのときも数か月、いや一年以上は、原稿のやりとりをしていたと思う。  打ち合わせのあとに原稿を送り、それについて意見をもらい、書き直し、社内での検討の結果、また企画の始まりへと戻り、新しい原稿を書き、ふたたび修正

        • わたしはわたしの言葉だけに属している(ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』)

           平日に休みをとって映画館へ。監督の31年ぶりの長編新作ということで上映前からだいぶ話題になっていた、ビクトル・エリセの『瞳をとじて』を観た。  『ミチバチのささやき』や『エル・スール』は、多くの人たち同様、わたしも初めてスクリーンで観たときから大好きで、自宅でもDVDをたまに流す。  新作は、かつて映画監督だった主役の男と、映画俳優だった男との過去の友情の記憶と記録と、それらの喪失と再生をめぐる物語。  『ミツバチのささやき』の主演のアナ・トレントが、突然失踪した俳優の娘

        ひとり旅にはない地図(新しい詩誌のこと)

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        記事

          『世界の詩論』からのメモ。連休の終わりに…

           この連休は、机のまえに座れるときは、いくつかの準備のために詩集や詩を読んでいた。  人の詩を読むのは、慣れない舟に乗り込み、見知らぬ波間に揺られるようで、やはり緊張する。  とくに自分のとはまったく異なる詩想や書法の詩を読むときには。  その合間に詩とは関係のない小説を読んだり、外出したり。また詩に戻るために、ひとつ前の記事にも書いたように伊藤悠子さんの詩集を読んで、気持ちを初期化したり……。    数冊読んだところでまた止まり、自分にとっては「読む喜び」を純粋に与えて

          『世界の詩論』からのメモ。連休の終わりに…

          「人の世」にいつか戻るまで(伊藤悠子「この木を過ぎて」)

           最近、さびしい、という言葉を、数人の友人から続けて聞いた。それぞれに、親しい人と別れたばかりだった。  さびしいという感情の根雪のような冷たさと重さに戸惑うからだろうか。衣服につく水滴を急いでぬぐうように、それが心の奥に染み込むまえに、さびしさをすぐに振り払おうとする人もいる。さびしさに囚われる時間を作らないように、あえて忙しくして。それは、自身の心身の安定を守るためには、ときには必要なことかもしれない。  しかしわたしは、さびしいのなら、ずっとさびしいままでいればいいと

          「人の世」にいつか戻るまで(伊藤悠子「この木を過ぎて」)

          詩「消印」。合唱曲の動画をご紹介

          昨年の10月の記事(下に貼り付けます)にも書いたのですが。 カワイ出版の創立50周年企画「笑顔で歌おうプロジェクト」にて、 作曲家の田中達也さんが、私の詩「消印」(詩集『微熱期』)に曲をつけ、合唱曲をお作りくださいました。 混声四部合唱と同声三部合唱のために。 「Fontana di Musica」と、「合唱団わをん」のみなさまが、それぞれ歌ってくださった動画がYouTubeで公開されています。 どちらの動画も素敵です……。 こうして美しい曲になると、自分の詩が自分のもので

          詩「消印」。合唱曲の動画をご紹介

          詩の「投稿欄」についてのお話会(5/26開催)のこと(その2)

           5月26日(日)に松下育男さんと開催する予定の、詩の「投稿欄」をテーマにしたお話会のこと。  松下さんとメールで軽く話したときに、「投稿欄の選者の声は、選評以外であまり聞いたことがない」という話になった。  投稿欄の選評は、選んだ作品の特徴や惹かれた箇所について語っただけで、どうしても決められた文字数に達してしまう。合評対談にしても、そこで話したことのすべてを文字化することはできない。  だから、そういう整った文字からはどうしても零れてしまうものについて話すのも、詩作を多面

          詩の「投稿欄」についてのお話会(5/26開催)のこと(その2)

          初夏の計画。詩の「投稿欄」について話す会を開きます(松下育男さんと)

           今年は3月末から4月にかけて「現代詩手帖」の新人作品欄の選考も終わる予定。そのあとは夏の発行に向けて、個人誌を制作しようと考えている。  その一方で、ここしばらく人の詩を読むことを続けてきて、感じたことや考えたことを共有する場を作るのも面白いかな……と、ぼんやりと思っていた。  わたしは一人で本を読み、ノートに何かを書きためてゆく時間が子どもの頃から変わらずにとても好きで、いまも、人の集まりにはあまり参加しない。  とはいえ、ときどきお招きいただく詩のイベントや講演の場で

          初夏の計画。詩の「投稿欄」について話す会を開きます(松下育男さんと)

          一通の白い羽根(宇佐見英治「恋文」)

           雪の日のあと、溶け残る白を思わせる詩誌が届いた。表紙にも本文にも、軽い白地の同じ紙を用いた、中綴じの一冊。表紙には絵や写真や色もなく、詩誌のタイトルと参加している三人の書き手の氏名のみ。  ほぼ毎週、複数の詩誌をお送りいただく。たいていの詩誌は、前号と書き手もデザインもページ数もあまり変わらない、きちっと表紙が糊づけされた無線綴じの冊子であることが多い。  そんな集まりのなかに、見開きの真中がホチキスで留められ、ページの「ノド」が白く開いた中綴じの本を見つけると気分が変わ

          一通の白い羽根(宇佐見英治「恋文」)

          雪、詩、白の譜(糸井茂莉『ノート/夜、波のように』)

           今日は夕方から雪が積もりはじめた。家に着くまでに通りの往来も少なくなり、いまいる部屋から耳を澄ましても、車の音はもう聞こえない。  耳を澄ましても静か、という時間がいちばん落ち着く。  気持ちが静まるときにだけ波が引いてゆく、わたしの一部であるはずのひと気のない明るい浜辺がどこか遠くにあり、砂の奥にふだん隠れていたものが、波が引いたおかげでやっと見えてくる。  それはたぶん甘く曇ったシーグラスか、割れずに残っていた小さい貝殻か。それは自分が埋めたものでもあり、もう地図には

          雪、詩、白の譜(糸井茂莉『ノート/夜、波のように』)

          オリオン……!(野尻抱影「節分」)

           今日は、ある詩集賞の選考に出席するために出かけた。七年前にもこの詩集賞の選考に関わった。その選考の日、駅からすぐの八幡宮にお参りしたことを思い出した。  今日も集合場所に向かう前にお参りしていこうかな……と軽い気持ちで境内を見あげると、予想以上の人混み。節分だから?……と気づき、参拝の順番を待っていたら遅刻してしまうので、引き返した。  お参りはできなかったけれど、出店の並ぶ狭い参道を通り抜けただけで、気持ちが少し華やいだ。親しい人と話しながら、やや上気した顔で階段を上っ

          オリオン……!(野尻抱影「節分」)

          「美しい」と書かない理由(田村隆一「腐刻画」)

           高校生や大学生の頃、発売を楽しみにしていた雑誌が何冊かあった。たとえば月刊誌『マリ・クレール』や季刊の文芸誌『リテレール』。どちらも安原顯が編集者だった時代の。1980年代後半の『マリ・クレール』にはファッションのページのほかにも、国内外の文学や映画を紹介する記事や特集がよく載っていた。執筆者や紹介された本や映画からは編集者独自のこだわりも感じられ、その雑誌ならではの「色」や「好み」があることも面白かった。  吉本ばななの「TUGUMI」も単行本になる前に『マリ・クレール

          「美しい」と書かない理由(田村隆一「腐刻画」)

          だれも知らない蜜月(生田梨乃『愛』)

           今日は用事で外出する前と帰宅後はずっと、「現代詩手帖」の投稿作品を読んでいた。入選と佳作とそれ以外の境目を決めるのに、前日の自分の読みを疑いながら、何度も読み返す。  作品の発表の場所も方法も増えているいまはとくに、詩の投稿欄に作品が載るかどうかが、書くモチベーションのすべてではないだろう。  しかしわたし自身は、投稿欄で敬愛する書き手にいただいた選評はいまでも思い出すくらいに、大切に思っている。  限られた文字数の選評。それは詩を書くときの芯の中心にあるもっとも細い糸が

          だれも知らない蜜月(生田梨乃『愛』)

          漠然とした悲しみと(高橋幸宏『SARAVAH SARAVAH!』)

           夜。会社帰りに新宿へ。坂本龍一が音響を監修したという映画館(109シネマズプレミアム新宿)で、高橋幸宏のライブ映像の限定上映を見るために。  このライブ『SARAVAH SARAVAH!』(サラヴァ・サラヴァ!)は、彼のソロデビュー40周年を記念し、2018年に開催されたもの。  幸宏さんが26歳のときに作ったファースト・ソロアルバム『Saravah!』のすべての曲を、40年後に完全再現した一夜かぎりのライブだった。  「Saravah!」の曲名は、幸宏さんが好きなフラン

          漠然とした悲しみと(高橋幸宏『SARAVAH SARAVAH!』)

          詩は伝達……?

           昨日21日のメモで、タルコフスキーの著書『映像のポエジア』(ちくま学芸文庫、鴻 英良訳)のなかから引用した箇所。  ここを読みながら、詩人の入沢康夫が「詩作品は、伝達の手段ではない」(「詩は表現ではない」とすら)と『詩の構造についての覚え書』で言っていたことを思ってもいた。詩は感情の吐露ではないと。  詩の書き方や内容は人それぞれだから、何をどう書いても本人が納得すればいいとは思う。  けれど、個人的には、作者の主義主張や感情を直接的に、単に伝えるだけのものはあまり再読