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25歳、上京物語。

25歳、アラサー。
「上京して夢を追うにはちょっと遅いよね」
「何でもっと早く出て来なかったの?」と
何人にも言われたし、言わないあの人も言いたげな顔をしていた。

正直ビビった。
「お前には何もできない」と言われて育った私は夢を全力で追う事を物心ついた時からビビっていた。

本当は、小さい頃からファッションが大好きだった。毎月大好きな雑誌を舐めるように見たし、「私ならこう合わせる!」とか「こうポーズ取る!」とか誠に勝手ながら妄想していた。

少し大人になってからは、縁あって地元のファッションイベントや美容師の友達の作品でモデルをした。
無性にワクワクする、心地よい緊張感が好きだった。そして何故か自分と一番向き合える瞬間だった。

本当は、絵を描く事が大好きだった。
父と行った市の絵画コンテストでは集中しすぎてデッサンだけで時間オーバーで提出すらできなかったけど、私の心は十分満たされていたし楽しかった。

本当は、言葉が好きだった。
もちろん本も好きだったし、学生の頃の作文コンクールは入賞してない時の方が少ないだろう。
授業中ポエムを書いては休み時間に皆で見せ合った。

本当は、創造するのが好きだった。
専門学校では行事でショーを1から自分達で考えて創った。学校以外でもファッションイベントでコーディネート、ヘアメイク、BGMのチョイス、会場装飾、演出全てやった。

とにかく夢中で、とにかく楽しかった。
社会人になってからも、ビーズでアクセサリーを作ったりポーチに刺繍をしてみたりもした。

でもその度に何度も何度も呪いの言葉が浮かんだ。
「お前は何もできない」
好きだけど、私がこれで食べていくのなんて無理だ。

専門学校の就活の時もそうだった。
ギリギリまで悩んで結局私が選んだのは
食いっぱぐれの心配がない、もう一つの道だった。

その後就職して3年間働いたが、どうしても毎日もやもやした。

「好きな事をして生きたい」

大好きな事たちが忘れられなかった。

夢を諦められなかった。

結局は「呪いの言葉」より「私の意志」の方が勝ってしまったのだ。
それを自分で感じてからは「呪いの言葉」と上手く付き合えるようになった。

それから上京資金を貯めるべく地元で約1年働き、2019年の夏に上京した。

もう上京して半年経ったのだが、noteの存在を最近知って、この上京物語を記録したいと思って初めた。

今から1年後の2021年1月8日、どんな私でいるだろうか?


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