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私のFrozenⅡ①|むかしむかし…

邦題「アナと雪の女王」、前作は世界中で大ヒット。子供たちは「レリゴーレリゴー」と歌い、大人も(アメリカ海軍兵さえ)登場人物が自由を手にし、真実の愛の新しい解釈を示す物語に感激しました。
そして、これまでのディズニーらしさは払拭され、王子はヒロインの王子様では無く悪役となり「真実の愛は恋愛にあらず」を打ち出しました。
メイキングフィルムでも語られるように、ディズニーは元ネタとなるアンデルセン童話「雪の女王」のアニメーション化(いろんな意味でディズニー化)しようという試みは1930年代にすでに発生しており、そこからやっとのことで生まれた作品です。
※ちなみに世界初長編フルカラーアニメーションの「白雪姫」は1937年の作品

個人的なタイミングもあり、今の私がどう感じたかを記録したいので、主観まっしぐら、ストーリーを追いながらちゃちゃを入れるスタイルでアナ雪2を読み取っていきたいと思います。

◆閉ざされた森の物語

映画は前作と同様に幼き日のエルサとアナの様子から始まります。「昔々…」からはじまる本のように。
ふたりに両親が魔法で閉ざされた森のことを教えてくれます。

精霊に守られたその森には「ノーサンドラ」と呼ばれる人々が暮らしていました。彼らは魔法は使えなくても、森の自然と上手に調和し、与えられた自然の恵みに守られていました。
そこへやってきたアレンデールの当時の国王であり、エルサたちの祖父・ルナード国王は、彼らと平和の協定を結び、その証として「平和の贈り物(ダム)」を贈ります。
その完成式典では、ノーサンドラ人もアレンデール人もみな和やかに森の精霊たちの歓迎を受けて過ごしていましたが、突然どこからともなく争いが始まってしまいました。
アレンデールとノーサンドラは剣を交え、森が争いの場となってしまったことから、森自身が森を閉ざしてしまいました。
以来精霊たちは姿を消し、分厚い霧が空から森の入り口までを覆いつくし、誰も入ることも出ることもできなくなりました。

その場にいたエルサたちの父・アグナールは攻撃に意識を失いますが、幸い何者かに守られ森を無事脱出しアレンデール国へ戻ることができました。アグナールが覚えているのはその時に聞こえた「声」だけだというのです。

「アレンデール王国」という設定

まずここでノーサンドラとアレンデールの関係が、どこの土地にも良くある土着民族と移民で国家を築く人たちとの関係である事がわかります。
「自然の恵み」と表現されますが、彼らは魔法はなくても精霊たちがその能力で手を貸し、豊かな暮らしを自然とともに共存することで得ています。
日本人のイメージ的には信仰や暮らし方からアイヌが似ていますね。

そして「平和の贈り物」であるダムは、架け橋のようにも描かれていて、まさに平和の贈り物にふさわしい様子です。

父・アグナールを助けた謎の声は、彼が争いの直前に見た、精霊と戯れるノーサンドラの少女と関係があるようにもしっかり見せてきています。
その声がアグナール国王を助けたのは確かでしょう。

イドゥナ王妃は、恐ろしい森の物語に怯える幼いふたりに優しく「ここは安全よ」と声をかけます。
「何故贈り物をしたのに争いになるの?」とアナが疑問を投げかけますが、当時その終止を見たわけでもなかった若い王子にはわかるはずもありませんでした。

お母さんの子守唄

イドゥナ王妃はふたりに「私の母が教えてくれた歌に出てくる川なら真実を知っているのかもしれない」と子守唄を
歌ってくれます。

この子守唄が一曲目「All is Found」
字幕の方では

アートハランという全てを知る川がある水は全てを記憶していて その奥に答えがある見つけたいなら溺れないように川は耳を済ますものに歌いかける真実を知ろうという勇気はあるのか?記憶を守る母なる川…

ざっくりこんな訳でした。

子守唄などは大抵口頭伝承されていく重要なキーとなるのは定番なので、今作でももちろん大切なキーワードです。
ほんの少しの警告と、大切なメッセージ。親から子へと受け継がれるもの。
寒い国に伝わる雰囲気たっぷりの一曲です。

そんな家族の思い出から映画は始まります。

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